古河城址
2011年04月17日 | 城
ここから奥のほうに入っていきます。
全体的にはこのような感じになっているのですが。。。
わかりやすくいうとこんな感じで堀が作られています。諏訪曲輪。
北朝足利氏の拠点で足利成氏が居をここに構え、古河公方と呼ばれた。
戦国時代の関東管領上杉氏のとの争いや鎌倉公方・堀越公方などが出てきたような気がするが詳しく知らないからパス
江戸時代に入ってからは日光への参拝路(日光街道)にあたり、この街道における重要な位置づけでかなり栄えた模様。
幕府の要職にあたる人が治めていた。※古河藩の藩庁。
徳川将軍の日光社参の際には岩槻城・宇都宮城とともに宿泊して日光に入ることが慣例となっていたらしい。
この城址の横にあった鷹見泉石記念館も一緒に。
枝垂れ桜が非常にきれいでした。
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