久しぶりに齋藤孝氏の本を読んでいる。
『子どもの集中力を育てる』(文藝春秋)
氏の本はずいぶんと読み込んでいるので、この本自体にことさら目新しい主張が発見できたわけではないが、読み直しの感覚でいくつか響いてくることばがあった。
センスとは何となくの感覚ではなく、認識力です。
スポーツのセンス、音楽的なセンス…結構簡単に言い切ってしまいがちなことばだが、教育の用語としてとらえると突っ込みどころのある言葉だ。
環境が凝縮されると、エネルギーが逃げません
場の広さや設定に気を使うのはなんのためか、子どもに対応する教師の動きはどうあるべきか、それらを子どものエネルギーの流れという意識でとらえることは興味深い。
学校の目的は、上達の普遍的な論理を身につけさせることに尽きます
どの段階で何をすべきか、「上達」と言い換えて考えてみたいことはたくさんある。
などなど、新学期に向けて貴重な刺激となっている。
引用した箇所は、齋藤氏得意?の太字体になっていないが、それも自分のセンスなのかなあなどと思ってみる。
『子どもの集中力を育てる』(文藝春秋)
氏の本はずいぶんと読み込んでいるので、この本自体にことさら目新しい主張が発見できたわけではないが、読み直しの感覚でいくつか響いてくることばがあった。
センスとは何となくの感覚ではなく、認識力です。
スポーツのセンス、音楽的なセンス…結構簡単に言い切ってしまいがちなことばだが、教育の用語としてとらえると突っ込みどころのある言葉だ。
環境が凝縮されると、エネルギーが逃げません
場の広さや設定に気を使うのはなんのためか、子どもに対応する教師の動きはどうあるべきか、それらを子どものエネルギーの流れという意識でとらえることは興味深い。
学校の目的は、上達の普遍的な論理を身につけさせることに尽きます
どの段階で何をすべきか、「上達」と言い換えて考えてみたいことはたくさんある。
などなど、新学期に向けて貴重な刺激となっている。
引用した箇所は、齋藤氏得意?の太字体になっていないが、それも自分のセンスなのかなあなどと思ってみる。