大相撲ファンを自認できるようになって10年近い。様々な不祥事が続いたりしたが一定の人気があるのは、我々のような年配者が目を向けている割合が高いからだろう。もっぱらTV観戦なので、解説者の存在とは大きいとつくづく感じている。専属解説者の北の富士、舞の海コンビの安定感が番組を支えている。
『北の富士流』(村松友視 文春文庫)
さらに言えば、その解説なしでは正直ここまで見続けなかったかもしれない。「北の富士さん」の自由奔放な物言いや茶目っ気たっぷりの仕草等、実に魅力がある。現役時代はわずかに知っているばかりだが、その人となりに興味がわいて手に取った一冊だった。作家の筆も冴えていて、実に面白い人間ストーリーだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/df/856f8f25cc2bb9bc1d0fdbe10b46e7b4.jpg)
章の見出しのつけ方がいい。「第一章 北の富士前夜、北海道のけしき」から「第十一章 テレビ解説席の粋、華、情」までドラマチックかつシビアな半生が描かれている。北の富士という人間を一言で表すならば「男気」だろうか。それは生まれ育った「地」と「血」によるものだ。しかし表情は不変な気がする。
あくまでも想像なのだが、もって生まれた気質こそが、若い頃の困難や現役時代の様々な試練を深刻に感じさせない要素と読んだ。それはある意味失礼な対し方かもしれない。ただ、事態がどうあれ「呑み込む」ことに長けていたのは確かで、そういう積み重ねが「男気」をつくるといえば、格好良すぎるだろうか。
「○○流」と称される者は、まず自分を形づくるスタイルを持っている。ひょっとしたら、それは何かを「まもる」ことかと浮かんだ。その何かとは北の富士の場合「格好よさ」に見える。それは時に「時代の正義」に抗い、黙する姿になったりする。この本で描かれた模様は複雑だが、輝きが色褪ない流儀がある。
『北の富士流』(村松友視 文春文庫)
さらに言えば、その解説なしでは正直ここまで見続けなかったかもしれない。「北の富士さん」の自由奔放な物言いや茶目っ気たっぷりの仕草等、実に魅力がある。現役時代はわずかに知っているばかりだが、その人となりに興味がわいて手に取った一冊だった。作家の筆も冴えていて、実に面白い人間ストーリーだ。
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章の見出しのつけ方がいい。「第一章 北の富士前夜、北海道のけしき」から「第十一章 テレビ解説席の粋、華、情」までドラマチックかつシビアな半生が描かれている。北の富士という人間を一言で表すならば「男気」だろうか。それは生まれ育った「地」と「血」によるものだ。しかし表情は不変な気がする。
あくまでも想像なのだが、もって生まれた気質こそが、若い頃の困難や現役時代の様々な試練を深刻に感じさせない要素と読んだ。それはある意味失礼な対し方かもしれない。ただ、事態がどうあれ「呑み込む」ことに長けていたのは確かで、そういう積み重ねが「男気」をつくるといえば、格好良すぎるだろうか。
「○○流」と称される者は、まず自分を形づくるスタイルを持っている。ひょっとしたら、それは何かを「まもる」ことかと浮かんだ。その何かとは北の富士の場合「格好よさ」に見える。それは時に「時代の正義」に抗い、黙する姿になったりする。この本で描かれた模様は複雑だが、輝きが色褪ない流儀がある。
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