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「悲しき歌姫(ディーヴァ) 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾」大下英治
藤圭子さんの評伝。
全5章。
最初の4章分が藤圭子さん、最後の第5章が宇多田ヒカルさんに充てられている。
本作品を読んで分かったことは、二人ともすごく頭が良い、ということ。
耳と声について、祖母を含めて、(少なくとも)三代続いて良い、ってこと。
P180
「で、詞は?」
「えーっ!?」
「詞だよ、詞。できてんの?」
「あっ、そうか、詞だ」
じつは、一フレーズもできていなかったのだ。
石坂は、目をつむって唸った。」(中略)
「赤く咲くのは けしの花 白く咲くのは 百合の花ってのはどう?」
「うん、うん・・・・・・」
石坂は、あっという間に一番をつくった。
赤く咲くのは けしの花
白く咲くのは 百合の花
どう咲きゃいいのさ この私
夢は夜ひらく
五分とかからなかった。
石坂はすぐに二番にとりかかった。(中略)
十五 十六 十七と
私の人生暗かった
過去はどんなに暗くとも
夢は夜ひらく
P187
藤圭子もまた、デビュー前に並々ならぬ苦労を背負っていたのである。藤圭子の抱える「負」と、時代に広がる「負」が溶け合い、当時の若者たちの心を打った。そして、地鳴りのように響き渡ったのである。
P285
ヒカルは、デビュー以来、「歌詞ってどうやって書くんですか?」とよく聞かれるようになって、困った。
自分で一番良い答えかなあ、と思うのは、十九歳の時、ディレクターの沖田英宣との会話の中で言った言葉だろうと思っている。
「どうしようもないくらい絡まってぐちゃぐちゃになったネックレスを、一生懸命ほどくような感じ」
一見複雑に見える物事を、できるだけシンプルに表現する。それは、どんな芸術表現にも通ずると思う。「生きる」ことも、そんな感じなんじゃないかと思った。
P313
「私が曲をつくる原動力って結局“恐怖”と“哀しい”と“暗い”なんですよ、全部」
P321
かつてヒカルは「音楽をやっている自分をどう思うか」と訊かれて、こう答えている。
「呪いです」
辛い道だが、ヒカルは歌手として再び、崖っぷちの厳しい道を歩み続け、光を放出し続ける宿命を負っている。
自殺の原因について、明言を避けている。
(それとなく察することはできる)
私は、それでいい、と思う。
多くの関係者が存命しているのに、全てを白日の下にさらす必要はない。
最後に、故藤圭子さんのご冥福をお祈りします。
【ネット上の紹介】
七〇年代と添い寝した昭和の歌姫・藤圭子はなぜ、孤独な最期をとげたのか。平成の歌姫・宇多田ヒカルとの親子二代にわたる壮絶な宿命を、哀悼を込めて描く巨艦ノンフィクション!
[目次]
序章 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾
第1章 私の人生、暗かった
第2章 演歌の星「藤圭子」誕生前夜
第3章 「藤圭子」伝説
第4章 藤圭子、絶頂からの転落
第5章 宇多田ヒカルの宿痾
【蛇足】
誤植があるのが気になった。
慌てて上梓したからだろうか?
校正者が悪いのだろうか?