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「中野京子が語る橋をめぐる物語」

2014年04月05日 09時25分02秒 | 読書(エッセイ&コラム)

「中野京子が語る橋をめぐる物語」

橋にまつわる様々な逸話を紹介している。

P104
ヴェッキオ橋――ポンテ・ヴェッキオについて
ポンテは「橋」、ヴェッキオは「古い」の意
その形態のユニークさは、一度見たら忘れがたい。特に日本人は橋の上に建物を載せるとう発想がないので、でこぼこ不揃いな数階屋をずらりと並べたポンテ・ヴェッキオは、まるでお伽の国のお菓子の橋のよう(東京ディズニーシーに、これをモデルにしたヴェッキオ橋がある)
(中略)
橋は戦乱や氾濫で何度か立て直され、現在のものは十四世紀半ばに再建されたから、すでにもう650年以上たつ。正真正銘「ヴェッキオ」である。
ただし当初は肉屋や魚屋が営業しており、腐肉や内蔵が川へそのまま捨てられて悪臭紛々だったらしく、お伽のイメージからは遠かった。それを宝飾店に限定させたのが、15~16世紀のフィレンツェに繁栄をもたらした、有名なメディチ家だ
(中略)
フィレンツェ1都市だけで、エリザベス朝イギリスのGNPを上まわっていたとの説もある。

P110
「ドイツ橋」について
徳島県鳴門市。大麻比古神社の緑濃い敷地内に、まるでそこだけ異空間のように、中世ヨーロッパ風アーチ型石橋がかかっている。
(中略)
1919年、鳴門のドイツ人たちが、壊れた木橋の代わりに三千個の石を集め、三ヶ月かけて建造した。彼らは橋梁の専門家ではなく、神社から2キロ離れた板東俘虜収容所のドイツ人捕虜たちだった。しかも強制されてではなく、自主的に作ってくれたという。
(中略)
もっと驚くのは、戦後処理終了後のこと。何と150人以上のドイツ人が帰国せず、培った技術を生かして日本に留まる道を選んでいる。バームクーヘンで有名な「ユーハイム」も、ハム・ソーセージのメーカー「ローマイヤ」も、板東俘虜収容所のドイツ人捕虜が創業者だ。

P202
橋は、困難を乗りこえる表象であり、人生が交差する場であり、この世ならぬものと出会う所、異界そのもの。諺や言い回しに橋がひんぱんに出てくるのは必然でしょう。「架け橋となる」「危ない橋を渡る」「橋渡し役をする」「石橋を叩いて渡る」「夢の浮き橋(=はかないものの喩え)」etc。

橋とは関係ないが、「樵のろうそく」が興味深い。
P92
日本語訳がは「ろうそく」でも、フィンランド語キャンテラは、ろうそくとも松明とも違い、正確には「焚き火用の薪」のこと。樵や野戦兵たちが、手軽に暖をとったり飲み物を沸かすために持ち歩いた、直径20センチ、長さ1メートルくらいの針葉樹ないし白樺の丸太を指す。
使い方はこうだ。丸太の芯に十字の深い切れ込みを入れ、中に火付け材(白樺の皮など)を詰めて燃やす。すると向かい合った面が輻射熱で高温を維持し、隙間から新鮮な空気が入るため、うまくゆけば数時間も燃え続ける。
(一度試してみたいbyたきやん)

【蛇足】
この作品で取り上げられている橋で、私が実際見たのは3つだけ。
・・・フランスのアヴィニョン橋、ポン・ヌフ、イタリアのヴェッキオ橋。
特に、ポン・ヌフは、日本を出発する前から、意識していた。
(私は「三銃士」ファンだから)
フランクフルトのマイン川に架かる橋も見たかもしれないが、記憶にない。

【ネット上の紹介】
橋は異なる世界をつなぎ、物語を引き寄せる。奇妙な橋、血みどろの橋、愛の橋…とっておきの30話。[目次]
奇(悪魔の橋
味噌買い橋
犬の飛び込み橋 ほか)
驚(金門橋
水面下の橋
ペルシャ王の舟橋 ほか)
史(ポンテ・ヴェッキオ
鳴門ドイツ橋
古城の跳ね橋 ほか)
怖(流刑囚の渡る橋
若きゲーテの渡った橋
地獄も何のその ほか)