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「ゆうじょこう」村田喜代子

2014年04月21日 20時58分51秒 | 読書(小説/日本)

「ゆうじょこう」村田喜代子

幼くして熊本の廓に売られてきたイチ。
廓の様子、廓の学校『女紅場』の師匠・鐵子さんとの交流が描かれる。
とても良い作品だ。

P251
鐵子さんが算数の問題を出す。
「おっ師匠さん、そりゃ無理たい。手の指が足りまっせん」
「それなら隣の手を借りるがいい。お金の勘定ができない者は、ぶじ年季明けしてこの街を出て行くことは難しい。いいかい。お金の勘定は、お前たちの命の勘定と同じこと。手でも足でもみんな使って必死で数えなさい」

P29
「ちょいと、寄って行かないかい」
日暮れと供に現れる最下層の売女で、夜鷹とか陸饅頭と呼ばれるクラスだ。懐の寂しい男が道端で買って用を足す、代価は十銭ほどである。
大門の中に入って、曲がりなりにも屋根の付いた寝所に一晩泊まり込むと、安い売女で一円三十銭になる。それより格が上がって酒肴が出る所で、二円から三円を払う。

P 62
娼妓の定年は普通二十七歳だ。十七で初見世に出て、十年間働いてようやく楼を出る。

P111
「遊女の嘘は美徳・・・・・・。花魁の嘘はこの世の最高の美徳でありんす」

明治5年に「娼妓解放令」というものを国は発布する。
P205
人身を売買し終身あるいは年期を限って虐使することは、人倫に背く有るまじき事で、娼妓、芸妓、年季奉公人の一切を解放すると定められた。
そしてその同じ月に、通称「牛馬切りほどき令」と呼ばれる通達が出された。なぜ牛馬かといえば、その文章がすこぶる変わっているからだ。
〈娼妓芸妓は人身の権利を失ふ者にて、牛馬に異ならず。人より牛馬に物の返弁を求むるの理なし。故に従来同上の娼妓芸妓へ借す所の金銀並に売掛滞金等は、一切債(はた)るべかざる事〉
娼妓は人に非ずして牛馬であるという前置きは、以前これを眼にした鐵子さんは驚き呆れ憤慨したものだった。そしてこの「牛馬切りほどき令」もいちおう人身売買は禁じていたが、売春を取り締まるものではなかったのだ。

福沢諭吉に関して書かれた箇所がある。P207~209
福沢諭吉のイメージが激変する。
これが、『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』、と語った方だろうか!、と。
〈例えば芸妓など言う賤しき女輩が衣装を着飾り、酔客の座辺に狎れて歌舞周旋する其中に、漫語放言、憚る所なきは、(中略)之を目して座中の淫婦と言わざるを得ず〉

文章が巧い。
そうとうなテクニック、と思う。
それもそのはず、文章の書き方の本も著されている。
朝日文庫<br> 縦横無尽の文章レッスン朝日文庫<br> 名文を書かない文章講座 

本作品、村田喜代子さんの「ゆうじょこう」は、艶めいた雰囲気はない。
どちらかというと、民話のような味わいを感じた。
全編・方言があふれているからだろうか。

遊郭を舞台にした作品と言うと、上の2作品を思い出す。

【参考】
『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』、について
(実際は、微妙にずれている)
学問のすゝめ - Wikipedia


【ネット上の紹介】
幼くして熊本の廓に売られてきたイチ。廓の学校『女紅場』に通いながら、一人前の娼妓となっていくイチが眼の当たりにする女たちの悲哀。赤ん坊を産んだ紫太夫。廓から逃亡したナズナ。しかし明治の改革は廓にも及び、ついに娼妓たちがストライキを引き起こす…硫黄島から熊本の廓に売られてきた海女の娘イチが見た女たちのさまざまな生を描く連作短編集。