
「山桜記」葉室麟
葉室麟さんの短編集。
9編収録されている。
汐の恋文
氷雨降る
花の陰
ぎんぎんじょ
くのないように
牡丹咲くころ
天草の賦
いくつか文章を紹介する。
P122
「親子は血のつながりがありますゆえ、放っておいても恐らく裏切りはいたしますまい。主従は主人に力があればこそ家来が従うでありましょうが、夫婦となると、もともと他人ゆえ心が通わねば供に暮らすのは無理でございましょう。いずれかが力を失うたからと見捨てるのは夫婦とは申せませぬ。ひたすら心の結びつきに頼って世の荒波を渡らねばならぬのですから、夫婦ほど強いつながりはないのです」
〈うわなり〉とは後妻のこと。
離縁された前妻が親しい女人を語らって箒やすりこぎなどを手に後妻を襲撃して嫌がらせをするのを〈うわなり打ち〉と呼ぶ。
P129
「よいか、〈うわなり打ち〉をいたす女子は婚家を去らねばならなかったことで、すでに負けておるのだ。そうであるのに、迎え討たれもせず、かつておのれが使った台所を打ち壊すのは虚しきばかりじゃ。負けじとひとを集め、迎え討ってやるのが、女子の情じゃ。そなたは情を知らぬと見える」
どの作品もすばらしい。
が、1編を選ぶとしたら、「花の陰」か。
細川屋敷を石田三成の命を受けて、大坂方が取り囲んで人質に取ろうとする。
ご存じのように、この時、ガラシャは壮絶な最期を遂げる。
辞世の和歌は次のとおり。
ちりぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ
ガラシャの実子の忠隆。
その忠隆の嫁が千世。
前田利家の七女で正室の芳春院(まつ)を母として生まれる。
千世は、ガラシャと一緒にいたが、所在がわからない。
ガラシャを見捨てて逃げた、とされたのだ。
「花の陰」は、千世と忠隆夫婦の物語。
この後、この夫婦はどうなるのか?
千世はどう生きるのか?
よかったら読んでみて。
歴史小説だから、史実を曲げるわけにはいかない。
けれど、著者が「こうあってほしい」って思いを演出することはできる。
同じ史実でも幾通りにも解釈できる。
私は、この葉室麟さんの解釈は秀逸、と思う。
P105
「わたくしは、ガラシャ様がどのような思いを抱いておられたかを知ろうとなされなかった義父上様に、お話しいたしたくなかったのでございます」
千世が言い切るとと、麝香が楽しそうにふふっと笑った。
「まこと、忠興殿に知らせるに及ばぬことじゃ。それこそガラシャ殿に仕えた嫁の意地であろうな」
麝香の言葉に、千世はゆるやかに笑みを浮かべた。
それはガラシャが亡くなって以来、自らに禁じていた微笑みであった。
【ネット上の紹介】
徳川頼宣に嫁いだ加藤清正の娘・八十姫の秘話。鍋島直茂の妻に伝えられた姑の言葉の意味は?著者初の珠玉の短編集。