百醜千拙草

何とかやっています

アメリカ流民主主義の欺瞞

2011-02-08 | Weblog
エジプトはアラブ諸国の中では、もっとも科学研究が盛んな国のようで、Natureの1/27号の記事によると年間の科学論文出版数は約4000あります。しかし、科学研究に回される資金の割合や研究者数の割合でみると、そう高いわけではなく、人口とGDPが他国よりも多いので結果として数がでているということのようです。一方、科学に資金を回す割合が最も多いのがチュニジアで、百万人あたりの研究者の数もヨルダンに次いで二位、約1600人います。アラブ世界において、これらの科学研究が盛んな国で市民革命が相次いで起こっているというのは興味深いと思います。科学者は批判的に物事を見る訓練を受けますから、その辺りの思考様式が市民革命に関係があるのでは、と想像したりしている訳です。
 エジプトでは、これまでのムバラク政権は親米でした。もっと言えば、アメリカ傀儡政権に近いものでした。ちょうど日本と同じです。この市民革命は、独裁政権に対して民主主義を求める戦いである、と日本では報道されていますが、どうも実情はそうではなさそうです。エジプト出身のFiFiさんのブログに次のような記載があるのを知りました。(http://ameblo.jp/fifi2121/)

そもそもこの革命、エジプトの民主化運動なんて言葉で軽く繰られても、それでは深いところは読めませんよ。
エジプトは他のアラブ諸国に比べたらただ一点を除いては不自由なく生活している国ですからね。はっきりいいましょう、ムバラクは確かに長年政権を握ってきたので独裁政権です。しかし、それはアメリカの作った親米政権による独裁であるわけで、国民はその親米による独裁に憤慨しているのです。それはなぜ独裁政権である同じアラブの隣国リビアではこの時期に革命が起きないかとゆう理由が物語っています。要するに民主化を求めているならリビアでも同じように革命が起こっておかしくないですよね?つまりこれは民主化運動とは違うんです。親米政権にウンザリなんです。リビアはちなみに反米政権です。


反米運動だったのですね。この辺りが、日本国民とエジプト国民との社会意識の差でしょうか。一昨年の政権交代で、鳩山-小沢政権を米国からの独立を目指すための政権であった、と見ていた日本国民は一体、何割ぐらいいたでしょう。そして、デララメ極まりない国家権力を利用した小沢氏の失脚工作が、日本独立を阻止しようとするアメリカからの攻撃であったと理解している国民はどれぐらいいるのでしょうか。
 日本は民主主義という名前を被った独裁国家でした。独裁といってもヒトラー、ムソリーニ、フランコやマルコスみたいな具体的な独裁者がいるのではなく、日本における独裁者とは官僚-マスコミ-財界といった既得権益者の複合体であり、個人ではなく、いわば巨大な粘菌状のものです。そのことが、日本が独裁国家であることを、そして本当の敵をわかりにくくしているのだと思います。独裁国家の問題は、国民に主権がないことです。独裁国家が国民主権の喪失であると定義すると、日本は独裁国家以外の何ものでもないと結論せざるを得ません。いくら国民が望んで、政治家に期待をかけても、空きカンのような信念と誠実さのないクズでは、保身と権力欲を突かれて、すぐに独裁粘菌複合体に抱き込まれて国民との約束を平気で裏切るようになりますし、国民のために働いて既得権益複合体の利益を崩そうとする鳩山-小沢民主党のような政治家は国家権力とマスコミで謀略に嵌められその力を削がれます。私は私よりももっと年長の研究者の人が書いているブログなども拝見しておりますが、そんな批判的にデータを眺めるトレーニングを積んで来た人でさえも、日本は民主主義国家で、新聞は社会の木鐸で、検察や警察は国民と社会の安全を守るためにあり、日米同盟は日本の安全保障のためにある、というデタラメをそのまま信じておられたりします。この辺りが、エジプトよりも日本で国民主権を確立することが、遥かに難しいという理由ではないでしょうか。

オバマは先のState of Unionの演説で「民主主義」を何度も口にしました。アメリカがこの言葉を外交というコンテクストで唱える時は危ない、と私は感じます。不条理の固まりの空きカンが「不条理を正す政治」と言ったのは、明らかに不条理な小沢排除をやる、という意味でした。自分が不条理を犯している場合に、まず不条理でないものを不条理と決めつけて先制攻撃するのが不条理の人間のやり方です。私にもこの手を使う隣人が居るのでよく分かります。喩えるなら、一方通行を逆向けに堂々と走り、普通に走っ来た人に対して、イキナリ怒鳴りつけて道を開けさせるヤクザのようなものです。同様に、アメリカが「民主主義」と言う時、それは民主主義的でない謀略が隠されていることが多いワケです。あたかも「民主主義」を世界に広げて世の中を良くするのがアメリカの役割なのだ、というような顔をしていながら、エジプトの独裁政権をずっと支えて来たのはアメリカであり、日本の独裁粘菌複合体を組織してきたのもアメリカでした。今回のエジプト市民革命、アメリカは民主主義という建前が足かせとなって、親米ムバラク政権側をおおっぴらに支援することができなくなっています。恐らく、政権の交代のあと、日本で鳩山政権を潰して、空きカンを据えたようなやりかたで、独裁を続けさせようとするのではないかと思います。アメリカのエジプトへの介入とはこの工作に他ならないのだと思います。ただ、エジプト市民は明らかにこの辺のウラについて、日本国民よりもはるかに意識的なようなので、エジプト国民は、次の政権が顔を変えただけの親米独裁政権にすることを許さないだろう思います。それに比べると、日本の状況は暗いです。日本が民主主義国家になるのは、具体的な独裁者のいる北朝鮮よりも難しいのではないか、と感じざるを得ません。

名古屋市長選、河村氏当選、民主惨敗。リコール署名の不正却下という選管の汚い手を市民がヒックリ返して市議会がリコールされ、出直し選挙となった今回ですが、知事選と絡めるために市長辞任したという河村氏の選挙戦略には賛否ありますが、こうして既得権受益組織にメスを入れることができたのだから、私は素直にこの当選を喜びたいと思います。市の税金無駄遣いを排除して減税する、と約束して市長になった河村氏に、給料を減らされては困ると議会が強い抵抗を示したため、市長自らが旗を振って議会のリコールを主導しました。これは名古屋だけの問題でなく全国の問題で、もしもこれで名古屋市が税金で養われている組織の給与カットなど無駄の削除に成功したならば、霞ヶ関を含む全国の役人にその余波が及ぶことになるでしょう。「官僚の一番好きな食べ物は何ですか」と訊かれて、河村氏「そりゃ税金にきまっとるがにぇ。ヤツらは、税金が増えりゃ、自分たちの財布が膨らむ、、」と言ったそうで(http://latache1992.blog56.fc2.com/blog-entry-392.html)それで、官僚も官僚の操り人形の空きカン連中もマスコミもこの名古屋市長選での河村氏の当選阻止を願って、対抗馬を立て、ネガティブキャンペーンをはったのです。河村氏らの公約は、無駄の削減と減税で、市民や県民、日本国民が望んできたことです。そして鳩山-小沢民主党の総選挙時の約束であります。空きカンはタナボタで首相になった瞬間からこの国民との約束を反故にし、増税路線を明確にしてアイソをつかされました。こういう誠実さのカケラもない小人がもっとも害をなすのですが、悪いことに、日本の公僕の中にはこの手の人間が少くないのが現実のようです。(だいたい連中には公僕という意識がありません)
コメント
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