ノーベル医学生理学賞発表されましたけど、ちょっと驚きました。失礼ながら他にもっと適切なものがあるのではないかと思いました。Piezoに関してはちょっと触っているので、フォローしていますけど、今では関連した論文が週に1-2本出れば多いぐらいのレベルです。比較するべきではないとは思いますけど、昨年のHCV、一昨年のHif1、その前のImmune Checkpoint とかを思い出せば、インパクトという点で見劣りするように思います。近年は、研究そのものが細分化してしまい、広く大きなインパクトがある発見や発明というものそものが少なくなったような気がします。受け手があってはじめてインパクトは起こるので、受け手の数とその影響度の大きさがインパクトを決めます。そういう点からは近々、RNAワクチンでしょうけど、委員会はあと数年は様子を見るでしょうね。ま、インパクトがどうとかイノベーションがどうとか、研究している本人にとっては、余計なお世話でしょうが、賞というのはそういうゲームですし。私のやっていることはインパクトはゼロですけど、自分が楽しいことが一番だと思っています。
今日は、先週末から始まった学会の最終日です。学会はハイブリッドですけど、参加者の2/3はオンラインの参加を選びました。私もオンラインのみの参加です。というわけで、気楽なもので、空港に行ったり、辛い飛行機でマスクをつけて移動したり、晩飯の心配をしたりする必要もありません。発表も、バーチャルポスターで、ウチの優秀な技術員の人がオンラインポスターの作成もそのナレーション録音もしてくれてすでに提出ずみ、質疑応答時間も特にないというので、ふらっとサイトを覗きに行って、面白そうなものを見ればよいです。知り合いに会うのはできませんけど、知り合いの多くも会場には来ないようですから行ってもあまりメリットはなさそうです。今年は去年と違って、ライブ配信はGuidebookというソフトをつかっており、これが強烈に使いにくいです。
最近はウチの分野の学会も面白くなくなりました。初めて参加した時は、とても面白いと思ったものでした。当時はゆったりした時代で、学会も丸々一週間あって、水曜日の午後は観光のために開けてあるというようなスケジュールでした。その時、一緒に参加した大学院時代の師は昨年亡くなってしまいしたが、会場のそばの海辺のシーフードレストランで一緒に昼食を食べたのを昨日のことのように思い出します。会場は活気があり、多くの企業がコースディナー付きの教育講演を開催し、そこでタダ酒を飲み、タダ飯を食べながら、いろいろな所から来た人の中に混じって面白い話を聞く非日常の一週間でした。今では会費を払ってのビュッフェで、見慣れた人がどこかで聞いたことのあるような話をして、その中身は翌日には忘れてしまうという有様です。
学会が面白くなくなった理由は複数あります。第一に分野が縮小しつつあること、第二に主に研究資金の問題で基礎研究よりも応用研究的なものに重点を置いた研究が増え、製薬会社の下請け研究みたいなものが増えたこと、それから、私の興味が分野の中心的な関心からかなり外れてきたこと、などが理由として浮かびます。研究が細分化したこともあると思います。先のノーベル賞のように、多くの人が関心を共有するような研究は少なくなったと感じます。しかし、結局、多くは私の側の問題です。早い話が「ああ、昔はよかった」と思うほど長く居すぎたこと、それから今のこの分野の研究にあまり刺激を感じなくなったことが大きいです。
大体、研究は三十年周期で焼き直されるように思います。いま流行っているAIやコンピュータによる種々の解析などは、90年台に流行した人工生命研究を思い出させますし、その人工生命研究はさらに60年台に流行したサイバネティクス研究の焼き直しでした。われわれの研究分野も一回り前の流行を新しい技術を使って焼き直したという感じのものが増えてきた(と感じる)ようになりました。はやりすたれはどこの世界にもあり、それは螺旋階段のように循環しているようです。
きっと、私の年代以上の他の人も私と同様の虚無感を多かれ少なかれ抱えているでしょう。彼らはそれでも、研究の中身そのものよりも、ビジネスチャンスとか出世の機会とか政治力の強化とか、研究の周辺部のことがらにそれなり興味を見つけたりして、なんとかやっているようです。臨床家や教育者なら日々の義務をこなすのに忙しくて虚無感を感じているヒマもないかも知れません。
みんなそうやって次に移っていくのでしょうけど、そうして周りを見渡すと自分一人が、同じ場所に取り残されているように感じて、つい昔を懐かしんでしまうのです。過去に輝いていた(ように見える)研究への供養のようなものかも知れません。