昨日、アホウ首相のアホウ発言にあきれ果てて悪口を書きました。しかし、世間に人は意外にこの失言に寛容な様子です。文脈から考えれば、今の医師不足は医師会が医師抑制を強く訴えたためで医師会の責任もある、(普通のサラリーマンの何倍もの収入を確保するために、医師抑制を推進して自分の業界の苦境を自分たちで招いた問題である)という流れで、医師側の責任に言及した際に「医師には社会的常識が欠如した人が多い」という流れになったのだから、そこだけを切り取って非難すべきではないという論調を述べている人もいます。それで、ひょっとしたら、私はあのアホウ首相が嫌いだから、失言に過敏に反応してしまったのだろうかと思ってみたりしたのです。確かに、客観的証拠のない、いわば、中傷を、「おれとは波長が合わない」という主観的な根拠に基づいて、首相という立場の人間が公の場で発言したのだから、失言であるのは間違いないのです。ただ、私はこれは「女性は子供を産む機械」発言よりもはるかにヒドい失言(少なくとも後者の失言には、女性は子供を産むという事実が述べられています)と思ったのに、世間の人が比較的この失言に寛容なのはなぜなのかという疑問が残ったのです。
私はアホウ首相は本当にアホウであると、初めて国会中継かなにかでしゃべっているのを聞いたときに確信したのですが、自分でもその確信の根拠をうまく説明できなかったのでした。ひょっとしたらあの下品な顔やしゃべり方に対する単なる偏見なのかとも自問してみたりしたのですが、そんな表面的なことではありませんでした。確信を更に深めたのは、民主党の質問で鳩山幹事長の痛烈な首相の批判に、アホウ首相がニヤニヤしながら聞いていたのを見た時でした。この人は人の話を何も聞いていないというか、人の話を聞くという訓練をしたことがないのだろうと思いました。馬の耳に念仏とか馬耳東風とかいう、イノセントなものではなく、自動的に自分への都合の悪い批判を脳がシャットアウトするようにできているようなのです。私はこの手の人の理屈を理解しようとしない、そしてしないからできない、だから結局意思疎通不可能な人には、何を言ってもダメだということぐらいは知っていますし、そういう人にはなるべく近寄らないようにしています。このアホウ首相の、カップラーメンは400円ぐらいするとか、コンピュータネットワークをフロッピーで構築するとか、という非常識発言に対しては、ただの無知なのだと笑えないではないですが、この手の人が、その非常識をもって、他人の非常識を断ずるような態度は、一歩間違えれば大変危険なものだと私は強く感じたので、先日の失言に強く反応したのだと思います。(例えば、サラペイリンがプーチンが宇宙から攻めて来るとパニックになって、核ミサイルのボタンを押そうとている図を想像してみてください)
今日、「内田樹の研究室」(http://blog.tatsuru.com/2008/11/20_1132.php) にそのアホウ首相の病態生理の解析がされているのを読んで感銘を受けました。小学生でも普通知っている漢字が読めない理由として、単に覚えていないから読めないという純粋な無教養と、本当は知っているはずのだけれどそれを覚えることを無意識が遮断していたというようなヒステリー性無教養とでもいうべきものが、このアホウ首相には混在しているのかも知れません。いずれにせよ、無教養は無教養なのですが、その有害度には無教養の種類によって差があると思います。
そもそも解散総選挙のための人事で首相に据えられただけなのに、思うように支持率が伸びないからといって、ずるずると死に体の自民党の死亡宣告を遅らせるためだけに、首相の座に居座るというのは見苦しいものです。この際、潔く散った方が、まだ先に繋がると思うのですけど。
本当は、今日は一分子シークエンシングについての続報を書くつもりでしたが、また次回にします。
私はアホウ首相は本当にアホウであると、初めて国会中継かなにかでしゃべっているのを聞いたときに確信したのですが、自分でもその確信の根拠をうまく説明できなかったのでした。ひょっとしたらあの下品な顔やしゃべり方に対する単なる偏見なのかとも自問してみたりしたのですが、そんな表面的なことではありませんでした。確信を更に深めたのは、民主党の質問で鳩山幹事長の痛烈な首相の批判に、アホウ首相がニヤニヤしながら聞いていたのを見た時でした。この人は人の話を何も聞いていないというか、人の話を聞くという訓練をしたことがないのだろうと思いました。馬の耳に念仏とか馬耳東風とかいう、イノセントなものではなく、自動的に自分への都合の悪い批判を脳がシャットアウトするようにできているようなのです。私はこの手の人の理屈を理解しようとしない、そしてしないからできない、だから結局意思疎通不可能な人には、何を言ってもダメだということぐらいは知っていますし、そういう人にはなるべく近寄らないようにしています。このアホウ首相の、カップラーメンは400円ぐらいするとか、コンピュータネットワークをフロッピーで構築するとか、という非常識発言に対しては、ただの無知なのだと笑えないではないですが、この手の人が、その非常識をもって、他人の非常識を断ずるような態度は、一歩間違えれば大変危険なものだと私は強く感じたので、先日の失言に強く反応したのだと思います。(例えば、サラペイリンがプーチンが宇宙から攻めて来るとパニックになって、核ミサイルのボタンを押そうとている図を想像してみてください)
今日、「内田樹の研究室」(http://blog.tatsuru.com/2008/11/20_1132.php) にそのアホウ首相の病態生理の解析がされているのを読んで感銘を受けました。小学生でも普通知っている漢字が読めない理由として、単に覚えていないから読めないという純粋な無教養と、本当は知っているはずのだけれどそれを覚えることを無意識が遮断していたというようなヒステリー性無教養とでもいうべきものが、このアホウ首相には混在しているのかも知れません。いずれにせよ、無教養は無教養なのですが、その有害度には無教養の種類によって差があると思います。
そもそも解散総選挙のための人事で首相に据えられただけなのに、思うように支持率が伸びないからといって、ずるずると死に体の自民党の死亡宣告を遅らせるためだけに、首相の座に居座るというのは見苦しいものです。この際、潔く散った方が、まだ先に繋がると思うのですけど。
本当は、今日は一分子シークエンシングについての続報を書くつもりでしたが、また次回にします。