百醜千拙草

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旅の思い出 (観光編)

2019-09-19 | Weblog
旅行から帰ってきました。いろいろ楽しかったですけど、観光で行くのとそこで生活するのには大きな違いがあると実感した旅でした。今回は観光客としての印象を書いておきたいと思います。

はじめて行ったパリは予想外に良かったです。地下鉄は使いやすく便利、ときどきいるスリや強盗以外は安全です。日本の痴漢でっちあげグループと同じく、スリは数人のグループで車内で密着状態を作って犯行を働くのですが、彼らは主に東ヨーロッパからの不法移民の子供だそうです。ヨーロッパでは未成年は簡単に罰することができないということで、捕まっても数時間の勾留ですぐに釈放されて戻ってくるので、旅行者は怪しい若者の集団を避けるぐらいしか手がないようです。
言葉も、さすがに観光地なので英語で不自由を感じたことはありません。ただ、凱旋門、シャンゼリゼ、ルーブル、エッフェル塔といった観光地は人が多い上に、喫煙者も多いので、その変はちょっと残念。

ま、いろいろ記念になることはしました。
ルーブルに行くついでに、Angelinaのホットチョコレートとモンブランケーキ。30分待ちの行列に並び、この二つを味わうことができました。とってもリッチなホットチョコレートにたっぷりの生クリーム。なるほど評判になるだけのことはあります。それからシグニチャー アイテムのモンブランもたっぷりのクリームの上に濃厚な栗の甘みをふくんだ餡がふんだんにかけられています。これも大変おいしいのですけど、これを二つ食べると胃が限界になりました。
(Angelinaのモンブランとホットチョコレート。ホットチョコレートにホイップクリームを入れて楽しみます)
ルーブルではミロのビーナスとモナリザを見るつもりでしたが、モナリザはその日は残念ながらみることができず。
(ミロのビーナスのゴージャスなお尻)
初日の晩ごはんはルーブルを9時に出たので、ひぐま。パリでラーメン、予想通りの展開となりました。 醤油味の東京ラーメン。8.5ユーロ。二日目はモンマルトルからオペラ座、ルーブル、ノートルダムまで延々と歩きました。モンマルトルの教会への道はさながら京都の清水寺への参拝路のような感じで、土産物屋が立ち並び、観光客と似顔絵描きや呼び込みの人々でごった返していました。オペラ座は中に入ると正面に意味不明の黄金の巨大なタイヤのオブジェ。全く、不釣り合いです。オペラ座の天井のアートはなかなか素晴らしいですけど、四方に不気味な顔の像が配置されており、変な部分が多いところです。ギフトショップではオペラ座怪人グッズが売られています。(オペラ座の意味不明の黄金のタイヤと怪人?)
ノートルダムは先立っての火災のため全面封鎖で、裏側の補修工事が痛々しいです。再び川を渡って戻り、マレ区の繁華街のBrasserieでカモ肉料理とKronenbourgのビール。
三日目、「奇跡のメダル」を手に入れたあと、ルクセンブルグ公園を散策。この公園に限りませんけど、ポプラのような樹が幾何学的な配置で植えられていて、その整然とした並木が続く様子が、私が子供時代に思い描いていたヨーロッパの雰囲気です。葉はまだ緑でしたけど、下の絵のような感じ。

夜は、現地の旧友がカルチェ ラタンのフランス田舎料理の店に連れて行ってくれました。初めてエスカルゴ食べました。ガーリックバターの味つけです。パリでは前菜のことをEntreeというので混乱しました。アメリカと逆ですね。翌日は彼の病院の研究室。昼は近所のカフェ。パリで困ったことは普通のコーヒーを頼むとエスプレッソが出てくることで、普通サイズのコーヒーは普通のカフェでは置いていないことが多いようです。食後はクリームを垂らしたエスプレッソ、Noissette。

ストックホルムもよいところでした。到着日に空港で知り合いと会うことができ、出発までの一時間ほど今後の共同研究の話をしました。翌日は招待してくれた別の知り合いがストックホルムの旧市街(Gamla Stan)を眺めるEriks Gondolenというちょっとハイエンドのレストランに連れて行ってくれ、大学の金だから遠慮せずに喰うようにとの指示で、スウェーデン料理。デザートにCloudberryのジャムかけアイスクリームとSea Buckthorn 入りのデザート。Cloudberryは寒いところでしかとれないものらしく特有の風味。
(GondolenのCloudberry Jam Icecream)

Sea Buckthornも寒いところでとれる酸味のつよい黄色の木ノ実でなかなか美味。
(食べたものとは違いますが、この写真の上に乗っている黄色いのがSea Buckthorn)

翌日は彼の学生の公開学位審査。まずは学位のテーマに関するバックグランドの話を私が半時間ほど、それから学生が学位研究の発表、その後はまず私がいろいろと質問、それから審査員、一般聴衆の質問、その後、学位授与を決定するというプロセスでした。半時間以上に渡っていろいろ質問をしないといけないというのは当日の朝言われたのでちょっと、うろたえました。二、三、思いついたことをきけばよいのだろうと軽くかんがえていたので、いろいろと関係のない話をしながら、質問を考えつつなんとかやり過ごしました。夜はレストランでのお祝いの会。
ストックホルムでは、学位審査日の前日の午後の自由時間にGamla Stanを散策しました。このストックホルムの旧市街はこじんまりとしており、美しい石畳と可愛らしい建物で、大勢の観光客で賑わっており、話に聞くとジブリのアニメ映画の舞台に使われたとのこと。
(Gamla Stanは小さな島でストックホルムの別の場所と橋やボートでつながれており、この絵のような感じです)

お土産屋でリンゴンベリージャムを購入。あといろいろユニークな食べ物があります。例えば、スーパーで売っているおおきなチューブ入りのタラコペースト。これはご飯のお供に良いです。が、格安飛行機は荷物の量に限界があり、お土産にするのは断念。

ストックホルムで仕事は終わりで、あとは観光だけのためにベルリンとライプツィヒを訪れました。ベルリンは大きな都市で、大聖堂は見応えがありましたが、それ以外は近代的でまずまず感じの良い都会というだけです。悪くないですけど。ベルリンのドイツ人は(多分、東京の日本人と同じように)他所者には総じて不親切な感じをうけました。電車の駅員は全員無愛想で、一人は質問しようとすると、「ノー イングリッシュ」と言ってそのまま去っていき、駅のインフォメーションの親父は何を聞いても、答えは一言、二言で終わり(これは、別のお客に対しても同じ態度でしたから、アジア人差別ではなさそうです)。
翌日、ベルリンから高速電車でライプツィヒへ。基本的にドイツの電車には改札口がなく、検札も適当、駅員も少なく、どの車両のどこに乗ればよいのかよく理解できず、困りましたが、電車は快適。需要と供給によって電車賃はストックマーケットのように変化するので、当日の値段は前もって買った時の値段の三倍していました。

ライプツィヒはとても良いところです。ここも小さな街で、数時間もあれば堪能できます。ここで、バッハの働いていた教会を訪ねるのが、この旅行での私の最大の目的だったので、まずは聖トーマス教会へ。駅から10分ほどで到着。街にいるストリートミュージシャンも、バッハやバロックの曲を演奏しており、他の街とは違った雰囲気です。街は静かで、ベルリンに比べて落ち着いており、人もベルリンよりは親切な感じです。ここではパリでもストックホルムでもよく見かけた中国人団体客も余り見かけませんでした。ドイツは外国観光客に人気がないのかもしれません。
聖トーマス教会のバッハの墓とバッハが弾いたであろうオルガンを見て、向かいのバッハ ミュージアムに立ち寄ったあと、ライプツィヒ大学前を通って、ちょっと離れたメンデルスゾーンハウスへ。メンデルスゾーンがバッハを取り上げなかったら、現在ほどバッハが偉大なる音楽の父と言われていたかどうか。メンデルスゾーンが晩年の数年を過ごしたこの場所はオリジナルの階段や家具や楽器が保存されており、当時をしのぶとともに、11歳で作品集を出版し20歳ほどでバッハのマタイ受難曲の指揮をしたメンデルスゾーンの早熟の天才性にあらためて打たれました。もし若くして死んでいなければもっと多くの名作を残したでしょう。そこからまた街の中央部に戻り、聖ニコライ教会に立ち寄りました。ベルリンの壁の崩壊のきっかけとなった行進はここから始まっており、それを記念する足跡が教会横にあります。時間があったので、もう一度、聖トーマス教会に入ってぼーっとしていたら、午後のミサが始まってしまい、まったくわからないドイツ語の説教をきき、口パクで賛美歌を歌い、信者のフリをしつつ、隙をみて逃げ出しました。そのまま夕方になったので、市庁舎の横にあるゲーテの銅像を見て、その向かいのゲーテや森鴎外がよく行ったという地下にあるレストランの入り口にあるファウストの銅像をチェックしたあと、天気が良かったので、予定を変更して、広場に出ているBrasserieでドイツビール。シュニッツェルにソーセージなど、ドイツっぽいものを注文(この期間中は肉食解禁しています)。ドイツのこの手の店は、勝手に席について、通りがかるウェイターを呼び止めて注文するシステムらしく、入り口でホストを探して立っていても誰も相手にしてくれません。この旅行中、毎日ビールとワインを飲んでいますが、ドイツで飲んだ種々のビールには余り感動せず。あたりが悪かったのですかね。ビールはアメリカの方が美味しいものが多いと思います。また、ヨーロッパのアメリカン コーヒーもダメですね。ストックホルムでのアメリカーノという呼ばれるアメリカ風のコーヒーは、なんとエスプレッソを単純にお湯で薄めて作っているだけでした。やはり、コーヒーは日本が一番美味しいと思います。一方、パンはどこも美味しいです。パリではバゲットコンテストで一位となった店がたまたまコーヒーを飲んでいたカフェの向かいにあったので、買ってみました。これは、悪くはないですがふつうのバゲットでした。ストックホルムはホテルで数種類のパンを食べましたが、どれも美味しく、ドイツではチェーン店らしいパン屋があちこちにあって、種類も豊富で味も大変よいです。ヒマワリの種の乗った素朴なやつが良かったです。

ベルリンではベルリンの壁の跡も訪れました。「愚か」という言葉しかありません。このような巨大な壁を作って、民族や家族を分断し、数々の悲劇を生んだ人間のエゴ。ベルリンの壁は人間の「愚かさ」の象徴です。普通の感受性を持った人ならそう思うでしょう。(アベもこれを見て、己の愚かさを顧みればよいと思いましたが、アレには無理でしょうな)ベルリンのホテルではホロコーストを特集していました。これがドイツと日本の差でしょう。ドイツは己の愚かさに対峙し、過ちを忘れないように今でも努力を続けています。一方、日本の史上最悪のアベ政権は過去の過ちをなかったことにしようとするばかりか、歴史を積極的に改ざんし、歴史資料を破棄し、己の愚かさから目を背けて、ますます愚かになっていっています。諸外国はそれをよくわかっていて、愚かものが危ないことをしようとしている、とアベ政権への注意を喚起していますが、愚かすぎるアベ政権は諸外国がアベを危険な愚か者と思っていることさえわからないのでしょう。

あの愚かさの象徴のようなベルリンの壁を作ったのもドイツ、あの驚くべき美しさと緻密さをもつ音楽を生み出したのもドイツ、幅が広いと言えばいいのでしょうか。しかし、ドイツは過ちを総括し反省を続けることで、再びヨーロッパで確固とした地位を維持しています。一方、日本も多くの優れたものを生み出しましたが、残念なことに、愚か者に刃物を預けてしまい、多くが破壊されてしまった今、アジアの二流国に向けて凋落の一途をたどっています。

今週末からまた学会に出ますので、次回もお休みします。ヨーロッパの知り合いから覗き見た普通の研究者の生活について思うことがあったので、その次の機会に書きたいと思います。
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