tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

長谷寺のぼたん(2013Topic)

2013年05月03日 | お知らせ


※今年(2013)の花は、もう終わりました!

5月1日(水)、いよいよ長谷寺(桜井市初瀬)の牡丹(ボタン)が見ごろを迎えた。先週(4/28)訪ねたときはまだ3分咲き程度だったが、その後一気に咲いたようだ。お寺のHPによると《2013.5.1 ぼたん見頃 花の開花が進み、見頃を迎えております。 現在は赤や白系統の花が咲いていますが、徐々に黄色などの 珍しい種類も咲いて参ります。 連休中は見ごろが続きそうですので、是非お参りください》。

トップに貼ったYouTubeはお寺がHPで公開している動画で、5/2(金)の花の様子である。以下の写真は、4/28にJTB西日本のツアーで訪ねたときのもの。お寺の解説を『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』(山と渓谷社)から拾うと、


創建当初の遺品である銅板法華説相図に刻まれた銘文によれば、朱鳥元年(六八六)に川原寺の僧道明が天武天皇のために泊瀬の地に祀ったものという。また、播磨国揖保郡出身の僧徳道が聖武天皇の勅を受け、銅板が納められた西の岡(本長谷寺)と対になる東の岡に霊木で刻んだ十一面観音像を祀ることを発願し、天平五年(七三三)に行基が開眼供養をしたともいう。



天慶七年(九四四)に堂舎・宝蔵・本堂などが焼失して以来、十度あまりの火災に遭ったが、室町時代には民間における伊勢信仰の興隆とともに街道筋にあたる長谷寺への参詣者が増え、流行となった庶民の長谷詣が復興の力となった。教義の方面では天正十六年(一五八八)に紀州根来寺から専誉が入寺し、平安時代末に高野山大伝法院の覚鑁が開いた新義真言宗の根本道場として栄えた。



度重なる火災で中世の堂宇はことごとく焼失したが、徳川家光の寄進によって慶安三年(一六五〇)に再建された舞台造の本堂(国宝)は東大寺大仏殿に迫る規模をもち、仁王門から本堂に至る全長二〇〇㍍ばかりの登廊は、梁に吊るされた球形の風雅な釣灯籠とともに長谷寺の顔となっている。



フジもきれいに咲いていた

寺宝の銅板法華説相図と法華経二十八巻は国宝。本堂本尊の木造十一面観音立像は天文七年(一五三八)の作で重要文化財。左手に水瓶、右手に錫杖を持ち、観音菩薩と地蔵菩薩の両徳を兼ねた独特の姿から「長谷寺式」もしくは「長谷型観音」と呼ばれ、同じ様式をした仏像群の典型となっている。

西国三十三ヶ所第八番札所であり、四季折々の花を楽しむ参詣者も多い。


この調子だと、花は5/6(月)のゴールデンウィーク最終日までは大丈夫だろう。5月末までは特別開帳期間として、普段は触れることのできないご本尊・長谷寺大観音(木造十一面観音立像)の御足に触れることができる(1,000円。入山料は500円だが、セットで買うと1,300円になる)。皆さん、ぜひ長谷寺にお参りください!
コメント (3)
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