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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

春日(和粋食処)の「にぎり定食」

2013年09月07日 | グルメガイド
一昨日(9/5)、出張の帰りに「和粋食処 春日-KASUGA-」(奈良市杉ヶ町28-1)に立ち寄った。ぱ~ぷるの『ランチパスポート奈良』(北部版 Vol.1)980円を持参すれば500円でランチがいただけるという特典を使い、割引対象の「にぎり定食」(通常価格850円)をいただくためである。この定食、にぎり寿司が7貫に、うどんorそばがついているというスグレモノだ。お店のHPには、

単品モノからコース料理まで 季節の味が楽しめる本格和食処

40年続いた寿司屋が居酒屋にリニューアルされ、メニューも一新。人気の寿司に加え、気軽に楽しめるランチや居酒屋メニュー、大人数も大歓迎のコース料理など、様々なシチュエーションに対応可能。伝統の技と味を受け継いだ店主が作る、本格和食をリーズナブルに食べられると人気も上々だ!また2階には、慶事・法事などでも利用できる個室も完備。




場所は、大森町交差点の北東にある「奈良市生涯学習センター」の北西側。「ベジタリアンレストラン 喜菜亭」の西にある。JR奈良駅からだと、徒歩5~6分というところだ。『ランチパスポート奈良』には

種類豊富なランチの中でも幅広い層から人気の「にぎり定食」は、ぷりぷりした海老や軽く脂がのったマグロなどが楽しめる贅沢な定食。元寿司屋だけあって、毎朝仕入れる魚介は鮮度も抜群。さらにうどんかそばもついてボリュームも◎。心とお腹を満たすランチをどうぞ!



それが写真の「にぎり定食」だ。まずはとろサーモンをひと口。うーん、よく脂が乗って、とても美味しい。みずみずしいマグロもイカも鮮度抜群で、ほんのり甘い。ウナギも大きく切ってデンと載っている。さすが40年続いたお寿司屋さんである。



回転寿司の勢いに押され居酒屋に業態転換されたのだろうが、お寿司屋さんのDNAは、シッカリと受け継がれている。ざるそばは「通の味」とまではいかないまでも、麺もツユもよく冷えていて、普通に美味しくいただいた。こんな良いお店は早速、グルメ仲間の長岡さん(奈良市観光協会事務局長)に教えてあげなければ…。

『ランチパスポート奈良』の収支は、煮込みハンバーグ(fue)とお茶漬け定食(風神)でプラスマイナス・ゼロとなっていたので、今回で350円(=850円-500円)のプラスである。今度はぜひ仲間を引き連れて、夜の部にお邪魔しようっと。
※食べログは、こちら

tetsudaおススメ度(ランチパスポート使用時の満足度。最高点は3つ星)は、★★★!
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談山神社のけまり祭(産経新聞「なら再発見」第44回)

2013年09月07日 | なら再発見(産経新聞)
今朝(9/7)の産経新聞奈良版のページを開くと、赤やグリーンの華やかな色彩が目に飛び込んできた。秋の到来を予感させるさわやかな写真だ。それが今日の「なら再発見」である。見出しは「談山神社のけまり祭 大化の改新の縁 大切に継承」だ。筆者は談山神社総代で、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」会員の雑賀耕三郎さんである。

雑賀さんはソムリエの会の「ガイド名人」である。それは単に「話術が巧み」「笑顔がいい」ということだけではない。とにかく現地に何度も足を運び、関係者の話を聞いたり、行事を取材したりして、よく調べられるのである。図書館もよく利用される。「なら再発見」の原稿作成でも、「現地は写真撮影のために1回だけ、あとは電話かメール」という私などとは、心がけが違う。今日の記事からも、祭りの撮影、神社へのヒアリング、鞠製作の藤田さんへの取材と、何度も現地入りされた様子が伝わってくる。記事はすでに雑賀さんがご自身のブログに紹介されているが、以下、全文をお読みいただきたい。



 桜井市の南、多武峰(とうのみね)の談山(たんざん)神社は春と秋に「けまり祭」を行う。境内の一角に青竹を四隅に立てた鞠庭(まりにわ)で蹴鞠(けまり)を奉納する祭りである。
 蹴鞠はサッカーのリフティングを思わせるような演技で、鞠を順次蹴り上げ、地面に落ちると中断する。演技の連続が面白く、ラリーが続くと歓声や手拍子の応援も出て、静寂な談山神社はいつになく沸き立つ。
      *   *   * 
 演者の男女は平安時代の貴族を思わせる装束に身を包み、「アリ」「ヤア」「オウ」の3声を掛けあいながら蹴り回す。
 ひとつの鞠を落とさないように、鞠庭にいる全員が心技を一体にして蹴り続ける。背筋を伸ばした優雅な姿勢で長く蹴り続け、勝負は競わず、相手が受けやすい鞠を打ち続けることが上手といわれる。
 青壮年は若さの力、年配者は円熟の技で、年齢や性別に関係なく楽しめる蹴鞠はスポーツとしても優れている。
      *   *   *
 鞠には特徴がある。白く塗り上げられた鞠は鹿革製で、中空。重さは約120グラムと、サッカーボールの3分の1ほどだ。
 鞠作りをする一人に、桜井市の藤田久沙夫(ひさお)さんがいる。藤田さんは「鞠は2枚の鹿革で作ります。つなぎ合わせた革袋の中に麦を詰めて形を整え、白く塗り、穴から麦を抜きとって中空の鞠に仕上げます」と作り方を説明してくれた。「10年がかりの試行錯誤の末、やっと納得のいくものができました」と顔をほころばせる。



 藤田さんの作った鞠はけまり祭で使われたこともあり、さらに談山神社から日本サッカー協会に寄贈され、日本サッカーミュージアム(東京都文京区本郷)の「ボールの歴史」コーナーにも展示されている。
      *   *   *
 日本書紀によると、中臣[なかとみ](藤原)鎌足は専横を極める蘇我蝦夷(えみし)、入鹿(いるか)の親子の打倒を考え、中大兄(なかのおおえの)皇子(天智天皇)に近づこうと考えた。法興寺(飛鳥寺)の槻(つき)の樹の下で皇子が鞠を打つ、そのとき沓(くつ)が抜け落ち、鎌足が拾った。ひざまずいて差し出すと皇子もひざまずいて受け取った、と記(しる)されている。


上記3点の写真は、雑賀さんの撮影

 これが大化の改新(645年)の大業成就(たいぎょうじょうじゅ)の始まりとされ、この縁(えにし)を大切にして談山神社はけまり祭を行うのだそうだ。
 日本書紀にある「鞠を打つ」という競技は、今日のポロやホッケーのような競技だともいわれる。また「鞠を打つ、沓が抜け落ちる、拾う」という一連の動作からは、現在の蹴鞠の姿を感じ取ることもできる。
 今となっては当時の競技内容は定かではないが、古代のボールゲームが大化の改新に役割を果たしたことは間違いのないところだ。
 現在、談山神社で行われている蹴鞠の形は平安時代に完成した。清少納言が「枕草子」の中で、蹴鞠は面白いと書くほどの隆盛期を迎えるが、その後は盛衰を重ねた。今は京都蹴鞠保存会が、その文化と技術を継承している。
 談山神社の春のけまり祭は4月29日(昭和の日)、秋のけまり祭は11月3日(文化の日)、いずれも同社のけまりの庭で行われる。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 雑賀耕三郎)


《日本書紀にある「鞠を打つ」という競技は、今日のポロやホッケーのような競技だともいわれる》とある。蹴鞠がどのような競技だったのか、実態はハッキリしないようだ。


天平行列の様子(2010.5.3)。撮影は同僚のMくん

かつて「打毬(だきゅう、うちまり)」という競技があった。Wikipedia「打毬」によると《日本の競技・遊戯。馬に騎った者らが2組に分かれ、打毬杖(だきゅうづえ。毬杖)をふるって庭にある毬を自分の組の毬門に早く入れることを競う。現在は、宮内庁と青森県八戸市の長者山新羅神社、山形県山形市にのみ伝承され、長者山新羅神社では騎馬ではない「徒打毬(かちだきゅう)」も行われる。紀元前6世紀のペルシャ(現在のイラン)を起源とし、古代中国を経て伝来したもので、ペルシャからヨーロッパに伝播し、イギリスで近代化されたポロとは同源とされる》とある。

宮内庁のHPにも《奈良・平安時代には,端午の節会の際に行われる宮中の年中行事となりました。鎌倉時代以降は衰微していましたが,江戸時代に至り,八代将軍吉宗が騎戦を練習する武技としてこれを推奨したため,新しい競技方法も編み出され,諸藩においても盛んに行われるようになりました。明治以降,日本古来の馬術は実用に適した西洋馬術に圧倒され,打毬もまた洋鞍を用いる現代式打毬に転化されましたが,宮内庁主馬班には,現在,江戸時代(中期頃)最盛期における様式の打毬が保存されています》とある。



これらの故事にちなんで、2010年の「平城遷都1300年祭」では、南都銀行女子ホッケー部のメンバーが、ホッケーのスティックを持ちながら天平衣装で練り歩いたこともある。

それにしても、鞠の作り方やサッカーミュージアムでの展示など、初めて知ることばかりで、興味津々だった。秋のけまり祭は11月3日(日・祝)である。ぜひ皆さん、足をお運びください。雑賀さん、興味深いお話を、有難うございました!

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