tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

北山食堂(橿原市)の「ミニ味セット」(ミニカレーうどん+ミニカツ丼)

2013年09月21日 | グルメガイド
9/15(日)、九度山町の実家(和歌山県伊都郡)に行った帰り、『ランチパスポート奈良』(中南部版Vol.1)を携えて、橿原市膳夫町の北山食堂を訪ねた。ランチパスの「中南部版」を使うのは、これが初めてである。

最初、ランチパスをぱらぱらとめくっていても、奈良市内ほどの土地勘がないので、どのお店が良いのかよく分からなかった。そこで職場の先輩で桜井市出身・在住のSさん(奈良まほろばソムリエ)にこの本を渡し、見てもらった。すると「北山食堂は美味しいよ。特にカレーうどんは絶品!」とのアドバイスをいただいた。上北山村の名店が2年前、橿原市に移転してきたのだそうだ。Sさんは桜井から橿原のこのお店まで、車でよく通うとか。

ランチパスを使うと、950円の「ミニ味セット」(ミニカレーうどん、ミニカツ丼、漬物)が、500円!になる。単純に割ると、ミニカレーうどんが250円、ミニカツ丼が250円で食べられる計算になる。スーパのフードコートより安い!

この「中南部版」、私がいつも使っている「北部版」より、よほど気前がいい。apricot cafe(橿原市)の「ジャンボ・エビフライランチ」1,000円、創彩だいにんぐ かぐら(橿原市)の「和ランチ」1,000円、お好み焼き蛍(橿原市)の「たらこマヨネーズ スペシャルランチ」(焼きそばのお持ち帰りつき)1,790円、酒菜 和味(なごみ 広陵町)の「松花堂弁当」1,200円、とんかつ屋桜、、咲く…日。(桜井市)の「サービスチキン南蛮定食」1,029円などが、すべて500円ポッキリ!なのだ。



話をもとに戻す。9/15(日)は台風接近で雨が降っていたが、8台の駐車場はほぼ満杯で、辛うじて端っこの1台分だけ空いていたので、何とか駐めることができた。席数は25席 (カウンター7席、テーブル12席、小座敷6席) だが、カウンターだけ空席があり、そこに陣取った。混雑のためか、やや待たされたあと、しずしずと「ミニ味セット」が運ばれてきた。

まずはカレーうどんから。ダシがよく利いていてとろみも十分だが、カレー味はごくあっさり。若い人には物足りないかも知れないが、私にはピッタリだ。このツユに柔らかめのうどんがよく合う。カツ丼も同じダシを使っていて、こちらは若い人にも大いに支持されることだろう。トータルで「ミニ味セット」は、味もボリュームも、申し分ない。Sさん、有難うございました。



ふと窓の外を見ると、同僚が雨に濡れながら駐車場の空きを待っている姿が目に止まった。車には奥さんが乗って、駐車灯(パーキング・ランプ)をチカチカさせている。「おお、これは空けてあげなければ」と、残ったうどんとカツ丼を急いでかき込み、お店を出た。雨の日でも、これほど流行っているのである。

今回初めて使った中南部版(980円)、北山食堂で450円のプラス(950円-500円)なので、差し引き△530円(=450円-980円)。この程度はすぐに挽回できそうだ。

tetsudaおススメ度(ランチパスポート使用時の満足度。最高点は3つ星)は、文句なしの★★★!
※食べログの同店サイトは、こちら
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海柘榴市(桜井市金屋)は、日本最古の市場(産経新聞「なら再発見」第46回)

2013年09月21日 | なら再発見(産経新聞)
産経新聞奈良版・三重版などに好評連載中の「なら再発見」、今日(9/21)の見出しは「日本最古の市場 海柘榴市(つばいち)古代の国際交流の玄関口」、執筆されたのはNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」監事の露木基勝さんである。露木さんは桜井市三輪出身・在住なので、この辺りはホームグラウンドである。では、全文を紹介する。

三輪山麓を流れる初瀬川(大和川)流域の桜井市金屋付近は、海柘榴市(つばいち)と呼ばれた日本最古の市場があった場所だとされる。万葉集に「海柘榴市の八十(やそ)の衢(ちまた)」と歌われた古代の交通の要衝(ようしょう)だ。
周辺には、歴史に登場する日本最古の道ともいわれる山の辺の道をはじめ、飛鳥へ続く磐余(いわれ)道、竹内街道に延びる横大路(よこおおじ)、伊勢へと続く初瀬街道など当時の幹線道路が集まっていたうえに、大阪から大和川を遡(さかのぼ)ってくる船便の終着点であったという古代きっての交通ターミナルだった。



 そのため人が行き交い、物流も活発になって、我が国最古の市場ができたのだろう。
 市が立つ場所は人の交流が盛んなので、万葉の時代には歌垣(うたがき)の舞台でもあった。そこでは男女が恋の歌を相手に歌いかけ、求婚したという。影姫(かげひめ)と平群鮪(へぐりのしび)との恋が、皇太子時代の武烈(ぶれつ)天皇の横恋慕(よこれんぼ)によって悲しい結末を迎えることになったという影姫伝説も、ここの歌垣が舞台だった。

 また海柘榴市は、隋や唐の文化の花咲く国際色豊かな街だった。日本書紀によると552年、百済の聖明王(せいめいおう)の使者が海柘榴市に上陸し、磯城嶋金刺(しきしきしまのかなさしの)宮の欽明天皇のもとに経典とともに仏像を届けた。


「飾り馬」のモニュメントが建つ

 さらに608年、遣隋使・小野妹子が隋使の裴世清(はいせいせい)とともに隋から帰国した際、飾り馬75頭を路上に並べて歓迎をしたと伝わる。
 今は水量が少なく、とても船が通れるような川ではない。ここが古代には海外との玄関口になっていたと聞いても簡単には想像できないが、堤防に建つ「仏教伝来の地」の石碑や、飾り馬のモニュメントなどが当時を物語る。
 平安時代には、長谷寺や伊勢参りの宿場町として栄え、紫式部や藤原道綱の母など多くの文人が訪れた。清少納言は枕草子に海柘榴市の賑(にぎわ)いぶりを描いている。



 聖徳太子や小野妹子、清少納言が、この地でウインドーショッピングを楽しんでいたのかと思うと、それだけで楽しくなってしまう。
 当時最大のショッピング街であり、また各国からの使者を迎え入れた国際的な玄関口でもあった海柘榴市。今は往時の面影は全く残っておらず、わずかに集落に立つ道標や海石榴市観音堂にその名を留めるだけである。



9月7日に開催された「歌垣火送り」

 桜井市は海柘榴市の隆盛を復活させようと、毎年9月、金屋の河川敷公園で「大和さくらい万葉まつり」を開催している。今年は7日に開催された。いつもは閑静なこの場所も、この日ばかりは「現代版海石榴市」や、古代衣装を身にまとい、万葉集歌を歌いあげる「うた語り」などのイベントで盛り上がる。
 特におすすめは、数千の灯篭(とうろう)が初瀬川の川面を照らす「歌垣火送り」。その幻想的な光景を目の当たりにすれば、古(いにしえ)に想いを馳せずにはいられない。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 露木基勝)


かつて皇太子殿下(今上天皇)のご成婚を記念して、全国から天皇家ゆかりの河川6箇所が選ばれ、整備された。この金屋河川敷公園は、そのひとつである。私もここには何度か足を運んだが、「仏教伝来の地」碑や、飾り馬のモニュメントがなければ、ここが国際交流の玄関口だったとは、にわかに信じがたい。それほど様相が一変している。

大和さくらい万葉祭りは、同祭のHPによると《1975年(昭和50年)社団法人桜井青年会議所が中心となり、「ものの豊かさより心の豊かさ」をコンセプトに、桜井市民が年に一度肩寄せ合って踊れる楽しい祭りを実現したいという想いのもと開催される。「桜井音頭」が作られ、歌い手は都はるみさん》とあるから、もう40年近く続けられているのだ。

私は「今年(2013年)は桜井イヤーです」と、あちこち吹聴して回っている。お正月、今年は巳年なので蛇神さまである大神神社(三輪明神)に参拝客が殺到、初詣客の人数は、これまでの県下3位から2位に浮上した(1位は橿原神宮、3位は春日大社)。今もたくさんの参拝客が同神社を訪れ、「三輪茶屋」(三輪そうめん山本)の売上げは過去最高記録を更新中だという。

2月には、「卑弥呼の墓」説のある箸墓で初の立ち入り調査が実施された。同月、安倍文殊院(桜井市阿部)の木造文殊菩薩騎獅像(快慶作)などが国宝に指定された。6月には、邪馬台国説のある纒向遺跡が、国の史跡に指定された。8月には、県立桜井高校が甲子園に初出場を果たした…。もっとあるだろうが、私が知っている範囲内だけで、こんなにたくさんのGood News があった。

秋の観光シーズン、山の辺の道を歩くのは楽しい。沿道のミカン畑や柿畑も、そろそろ色づく頃である。皆さん、ぜひ桜井市をお訪ねください!

コメント (2)
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