tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

比曾の世尊寺

2009年01月24日 | 奈良検定
比曾寺(ひそでら)跡に建つ世尊寺(せそんじ)は《吉野郡大淀町上比曾にある曹洞宗の寺院である。吉野寺、比蘇(比曽)寺、現光寺、栗天奉寺とも呼ばれた》(Wikipedia)。

《聖徳太子が建立した48ヶ寺の一つとされているが、詳細は不明である》《同寺に残っている瓦や伽藍配置などから、少なくとも飛鳥時代(7世紀後半)には存在していたとされる。平安時代には清和天皇や宇多天皇が行幸し、また藤原道長が参詣するなど大いに栄えた。中世以降は、相次ぐ戦乱などにより荒廃した》(同)。

昨年(08年)の奈良まほろばソムリエ検定(奈良検定)奈良通1級の問題に、比曾寺創建当初の伽藍配置を問う問題が出て、これにはお手上げだった。

公式テキストには「比曾寺跡」(P225)の項目があり、《創建時の寺は南面する伽藍で、東西両塔をもつ薬師寺式の配置であったことが、今に残る塔跡の礎石や南大門の跡などによって知られる》と正解が出ていた。私には「比曾寺跡=世尊寺」という聞き慣れない寺名が覚えられず、またすでに失われている伽藍の配置など、記憶の片隅にもなかった。


山門。「史跡 比曾寺跡」の石碑が建つ

で、試しに大淀町出身の母に「比曾寺跡って知ってる?」と聞いてみると「ああ、比曾の世尊寺やね。子供の頃、よう遊びに行ったわ」とあっさり言われてしまった。地元では有名なお寺だったのだ。「比曾の世尊寺」というフレーズにも感心した。地名と旧寺名と現寺名が一度に覚えられる。最近母の里を訪ねる機会があったので、その悔しさをバネに、足を伸ばしてお寺を訪ねてみることにした。


山門からは、中門と本堂が一直線に見渡せる

「戦乱などにより荒廃した」とあったので、山奥を想像していたら、全く違っていた。「北野台住宅地」という大規模な近代的住宅地の東側にあるのだ。道路の標識も、住宅地内の広い道路を走るルートを指していた。近鉄六田駅からだと、徒歩25分くらいだろう。

広い駐車場に車を止めてから一旦山門に戻り、そこから境内に入る。これは立派なお寺だ。堂々たる古刹である。これなら、1級試験に出題する値打ちは十分にある。


向かって右が東塔跡、左が西塔跡。中門と鐘楼が見渡せる

写真が問題の東西両塔跡である(向かって右が東塔跡)。西塔は焼失したが、東塔は徳川家康によって大津の三井寺に移され、今も国の重要文化財として残っているそうだ。


東塔跡

冒頭の写真は現在の本堂(=比曾寺の講堂跡)だが、手前の中庭の方を注目してほしい。ここに比曾寺の金堂が建っていたのだ。金堂の手前に東西両塔が配されているので「薬師寺式伽藍配置」となる。


中庭を横から撮ると…


世尊寺本堂。比曾寺の講堂跡に建つ

境内には「世にさかる 花にも念仏 まうしけり」という芭蕉の句碑があるが、ここは桜と彼岸花のかくれ名所なのである。


太子堂(県指定有形文化財)

「奈良検定は、現場を訪ねるのが第一」という言葉を改めて噛みしめることになった。比曾の世尊寺さん、どうも失礼しました。やはり、知れば知るほど奈良はおもしろい…。
コメント (4)
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蕎麦正なかや vs 福全寺蕎麦

2009年01月22日 | グルメガイド
1/18(日)、飛騨古川駅前(岐阜県飛騨市古川町)の観光案内所で「飛騨蕎麦 親子対決!!キャンペーン」というチラシをもらった。「軍配はどちらに?決めるのはあなた!!」と続く。対決とは穏やかでないが、これは「蕎麦正なかや」と「福全寺蕎麦」という、親と子が営むそば名店(手打ち飛騨そば認定店)の味比べをしよう、という企画なのである。これに応募すれば、飛騨牛や蕎麦の無料券が当たるという。家内も賛同してくれたので、2人で訪ねてみることにした。



最初に訪れたのは、息子さんのお店「蕎麦正なかや」(飛騨市古川町三之町1-16 )である。お店のパンフレットには《古い街並、瀬戸川の流れ。飛騨古川の空気と時間を手打ち蕎麦と共に味わって下さい》とある。
※お店を紹介するホームページ
http://www.hidasoba.com/store/nakaya.html





私は「飛騨ざる蕎麦」(900円)、家内は「飛騨かけ蕎麦」(900円)を注文(量はいずれも「並もり」=一皿分)。メニューの横には《ざる蕎麦をつゆで食べる前に… テーブルの白い器に塩(アンデス産岩塩)があります。小さじで1口分のそばに軽くふりかけて食べてみて下さい。そば本来の香りと甘味が楽しめます》と書いてある。



運ばれてきたそばを塩で一口。これはうまい。比率は7:3(そば粉7:つなぎ3)だそうだが、絶妙の歯応えだ。自然の甘さが口の中に広がる。よほど水が良いのだろう。家内のかけ蕎麦のツユも、ちょうど良い加減である。店員さんに「店内の写真を撮っても良いですか」と聞くと、ご主人が奥から出てこられ、壁に貼ってある火消しの半纏(はんてん)の説明までしていただいた。

ご主人に場所を教えてもらい、「福全寺蕎麦」(飛騨市古川町壱之町10-1)へ。チラシには「そばの里、そばの街、飛騨古川。地元流葉産そば粉使用 本格手打ちそば」とある。



私は「盛りそば」(8寸=約190g 1100円)、家内は「掛け(温)山菜そば」(1200円)を注文した。同一商品で比較すると、「なかや」と値段は同じである。
http://www.hidasoba.com/store/fukuzenji.html



うーん、これもうまい。薬味は違うが、麺の味はよく似ている。山菜そばのツユも、少しダシの味が違うだけで、これもおいしい。これで甲乙つけるのは、至難の業だ。家内も「どちらも、とても美味しい」と、相当悩んでいた。



ここでも「店内の写真を撮らせて下さい」と言うと、店員さんから「ブログをされているのですか?」と聞かれた。当ブログのURLをお教えすると、早速携帯からアクセスしていただいた。私がmixiにも入っていて、当ブログを「日記」にしている旨お伝えすると、早速「マイミク」(my mixi=友人登録)のリクエストをいただいた。おかげで、一挙に3人もマイミクを増やすことができた。引き続き古川の情報がリアルタイムで入手できることになり、これは有り難いことである。
※福全寺蕎麦さんのスタッフブログ
http://pink.ap.teacup.com/soba/



お店を手伝っておられるAさんは、当地の金融機関OBで、「青春18きっぷ」を使い、お仲間とよく奈良に来られるという。私の勤務先の前も通られたことがあるそうだ。飛騨古川で奈良ファンにお会いするとは奇遇である。

お別れ際には、お店の方全員と、冒頭の記念写真を撮らせていただいた。向かって左から2番目が店主の中家美智男さん、右端がAさんである。

それにしても、店員さんも常連さんも、とても親切で暖かい。和気藹藹(あいあい)とした雰囲気で、私たちのような遠来の一見客をお迎えして下さる。「県が“もてなしの心”を推進している奈良で、これができているだろうか…」と、心配になる。

この日お会いした方のおかげで、ますます古川が好きになった。雪景色も良かったが、春の若葉、涼しい夏、秋の土蔵街の風情も、素晴らしいことだろう。今度は「青春18きっぷ」で普通列車を乗り継ぎ、のんびりお訪ねしたいと思う。

飛騨古川の皆さん、とりわけ歓待していただいた福全寺蕎麦の皆さん、有難うございました。家内ともども、厚く御礼申し上げます。
http://www17.ocn.ne.jp/~hida39/index.html
コメント (5)
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飛騨古川・雪の白壁土蔵街

2009年01月20日 | 小さな旅
1/18(日)朝、高山駅を出て、約20分で飛騨古川駅に到着した。高山で雪はさほど目立たなかったが、ここは一面の銀世界だ。雪の少ない奈良の人間にとって、雪景色は有難い。「古川駅は雪の中~♪」などど、替え歌が口に出てしまう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E5%B8%82





飛騨古川(岐阜県飛騨市)は、NHKの朝ドラ「さくら」(2002年度上半期 主演は高野志穂)で一躍有名になった。主人公(中学の英語担当助手)は、古川に下宿しながら高山の中学校に通うという設定だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89_(%E6%9C%9D%E3%83%89%E3%83%A9)


飛騨の匠文化館

まず駅前の観光案内所に立ち寄って、観光のモデルコースを聞いた。案内所の方は、とても親切に半日の散策ルートを説明して下さる。ついでに美味しいそば屋さんも教えていただいた。最初にめざしたのは、飛騨古川まつり会館である。





当地では、毎年4月19~20日に飛騨古川祭りが催される。この会館では、祭りに使われる太鼓や、屋台(だんじり)9台のうち3台を見ることができる。さらにシアターでは、祭りの全貌が3D映像で見ることができる。これは大迫力の力作だった。



上の写真は、屋台についているからくり人形である。実際には紐で操る(これも体験できる)が、写真の人形はコンピュータ制御の機械仕掛けで、見事に一曲舞ってくれた。





会場内では、菅沼守さんが切り絵と木彫の実演をされていた。黒の色画用紙をオルファのカッターナイフで切り抜き、こんな素晴らしい作品に仕上げていく。菅沼さんは、制作過程を丁寧に説明して下さった。木を本物そっくりに彫り、彩色して仕上げる「おもしろ木彫り・立体絵画」も珍しい。
http://www.city.hida.gifu.jp/kanko/takumi/kirie_warasaiku/index.html





まつり会館のあとは、いよいよ古川土蔵街へ(冒頭および上の写真)。雪化粧の町並みは、何ともいえない風情である。



ここは散策途中に立ち寄った壱之町珈琲店(いちのまちコーヒーてん)。丹生川村から移築された民家を改装したお店で、店内には地元の方が作った工芸品がたくさん並んでいる。香り高い炭火焙煎コーヒー(400円)と名物のメロンパン(180円)をいただいた。家内が注文した焼きチーズケーキ(250円)は、ひと切れ食べただけだが、絶品だった。





町の至るところで雪下ろしや雪かきが行われていて、私には珍しいので、何枚かカメラに収めさせてもらった。道端で地図を広げていると、小学生までが「道、分からないの?」と声をかけてくれる。何とも親切な町である。「もてなしの心」を子供の頃から身につけているのだ。奈良も、見習わなければいけない。

このあと、美味しいおそばをいただくのだが、それはまた次回に。
コメント (2)
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飛騨高山再訪

2009年01月19日 | 小さな旅
奈良検定も無事済んだので、土日を利用して家内と旅行をすることにした。久々に奈良県を離れ、飛騨の高山(高山市)と古川(飛騨市)を訪れた。高山は学生時代、秋の試験休みに一度来たことがあるが、古川は初めてだ。NHKの朝ドラ「さくら」で、古川の見事な町並みと和ろうそくの店が紹介されていたので、以前から訪ねてみたいと思っていた。1/17(土)は高山、18(日)は古川という日程である。

午前中に奈良を出発、京都から新幹線で名古屋まで出て、特急ひだ11号で高山をめざした。写真はその特急だが、岐阜まで東海道本線で戻り、そこから高山本線に入るので(「く」の字型のルート)、岐阜までは背中向きに走る。



名古屋から2時間半で高山に着く。駅を降りてまず出迎えてくれたのは、冒頭写真の「さるぼぼ」だ。さるぼぼとは「猿の赤ん坊」という意味で、昔から子供が産まれたときのお守りとして、玩具の代わりに与えられた人形で、もとは家族が手作りしていた。



災いが去る(猿)、家庭円(猿)満、縁(猿)結びなど、厄除けや縁結び、安産のお守りとして、今も重宝されている。だからお土産物屋さんの棚は、さるぼぼグッズで一杯だ。30年前の学生時代には見たことがなかったので、その後、観光客向けに開発されたのだろう。



重伝建(国選定重要伝統的建造物群保存地区)に指定された町並みは、やはり素晴らしい。昔ながらの造り酒屋や春慶塗のお店、民芸調の土産物屋の間に、みたらし、五平餅、飛騨牛の串焼き、飛騨牛のにぎり寿司、コロッケなどのファーストフードが売られ、人気を集めていた。みたらしは甘くないタレで私の好みだった。ボリュームたっぷりのビーフコロッケは、体を芯から温めてくれる。









高山で1泊した翌朝(1/18)は、列車の時間待ちを利用して朝市へ。朝市は「陣屋前」と「宮川」の2か所あるが、ここは宮川朝市。一位(イチイ科の常緑針葉樹)の箸や赤かぶらの漬物を買った。おばあちゃんが作った1つ300円の漬物は、「5つ1000円でいいよ」との誘いに思わず買おうとしたら、包む時になって「もう1つおまけ」と、結局6つ1000円と半額になった、これは有り難い。







高山は、30年前に比べて「ずいぶん観光地化したな」という印象である。その意味でも小「京都」である。重伝建指定や、東海北陸自動車道の開通など交通アクセスの改善がその原因だろう(世界遺産・白川郷の観光地化も激しいそうだ)。同じ重伝建の橿原市今井町のような厳(おごそ)かな雰囲気や、宇陀松山のような鄙(ひな)びた風情が失われたのが、残念である。
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村田珠光ゆかりの称名寺

2009年01月17日 | 奈良検定
称名寺(しょうみょうじ 奈良市菖蒲池町)は、村田珠光(むらた・じゅこう)ゆかりの寺である。村田珠光は、茶礼祖(わび茶の創始者)として知られる。


やすらぎの道沿い(近鉄奈良駅から北へ4分)にこの碑が建つ

Wikipedia「称名寺」によると《文永2年(1265年)に興福寺の学僧が常行念仏の道場として創建したものである。当初は興福寺の別院で、興北寺(こうほくじ)とも称した。また、侘び茶の祖として知られる村田珠光が11歳のときに出家したとされる》。




本堂 1802年(享和2年)の再建

お寺には独盧庵(どくろあん 別名珠光庵)という茶室がある。《三畳敷であるが点前座の一畳を台目構えとし、また一畳半の鞘の間との敷居を外して四畳半の席にもすることのできる、大変珍しい席である。文化年間(1804年-1818年)の作》。



境内で目を引くのは千体石仏群である。《戦国武将・松永久秀が永禄元年(1558年)に多聞城を築城する際、その城壁に用いた地蔵石像で、その数は約1,900体に及ぶ》。何とも、バチ当たりなことをしたものである。それにしても、この眺めは圧巻である。



近鉄奈良駅から徒歩8分、JR奈良駅から10分と、とても便利な場所にある。いちどお訪ねいただきたい。

※奈良市菖蒲池(しょうぶいけ)町7番地 ℡0742-23-4438
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