tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

西陣 魚新

2010年12月26日 | グルメガイド
11/28(日)、会社の先輩・OBが作る「京都食べ歩き同好会」に参加した。1人が欠席し、総勢9人でお邪魔した。今回の訪問先は「京料理 西陣魚新(にしじんうおしん)」だった。店名のとおり西陣にあり(上京区中筋通浄福寺西入)、有職料理(ゆうそくりょうり)の流れをくむ京料理の老舗である。なお有職料理とは、《平安時代の貴族の社交儀礼の中で発達した大饗料理が、公家風の料理形式として残ったもの》(Wikipedia)である。
※参考:前回の食べ歩き同好会「ル サルモンドール」(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/cecdeaeeabda21128e596635461b1fd4




女将の寺田博美さん

京都料理組合のHPには《安政2年から続く西陣の老舗。有職(ゆうそく)式包丁の流れを汲み、御所の大礼にお祝い料理を御用達した由緒ある料亭。敷地内には藤原定家がお茶に使ったといわれる名水井戸や、室町幕府の七松観で知られる松が残り、その長い歴史がうかがえる。庭に面した落ち着いた座敷でいただくのは、旬の京野菜と、海、山、川のものをバランスよく取り入れた会席料理》。
http://www.kyo-ryori.com/shop.php?s=68





《盛り付けや器にも趣向を凝らし、四季を映した料理の数々に心が華やぐ。会席の中に式膳の州浜台盛りを追加することもできるので、伝統的な宮廷料理の味と雅を気軽に味わいたい。お昼の有職西陣弁当も好評》とある。なお《歴史の重みを感じさせる風情のある表構え。この辺りは室町幕府のあった所で、「西陣」の地名は応仁の乱で西軍が陣を置いたことによる》。


蓋の裏をご覧いただきたい



食べ歩き同好会幹事のKさんは、いつもこのようなスゴいお店に案内してくださるので、とても有り難い。こちらのメニュー(すべて要予約)は、ランチタイムの有職西陣弁当が4,226円、今出川御膳が6,037円。京料理は9,660円から、有職京料理は36,225円(いずれも税・サービス料込み)。今回はランチタイムだったが、1万円の京料理をいただいた。それがご覧の写真である。「京の持ち味、浪速の喰い味」というが、素材の持ち味を大切にする薄口のお料理が美味しいのはもちろんだが、器や盛りつけが工夫されているので、目でも楽しめる。




トップ写真の焼杉の薄板を外すと、サワラの西京焼が出てきた

さりげなく廊下にかけられた掛け軸は、大女将と遠縁にあたる与謝野鉄幹・晶子夫妻から贈られた夫婦軸だった。中広間の書「福星開寿域」(ふくせいじゅいきをひらく=幸福を司る星が照らす区域には幸せが訪れる)は富岡鉄斎、私たちが食事をいただいた部屋の書「静観自得」は河野一郎が、それぞれ同店のために書いたものだった。2階ロビーでは、宮中の儀式で用いた器や、下賜された記念品などが展示されていた。




なんと!スッポンの小鍋が出てきた。さすが京都である

『あまから手帖 京都うまい店100選』(00年10月発行の旧版)に、お店の紹介と、七代目ご当主・寺田茂一さんへのインタビューが出ていた。寺田さんは、京都府の「現代の名工」に選ばれている(京都府優秀技能者表彰受賞者)。タイトルは《有職司が伝える、歴史と伝統に培われた京料理の真髄》だ。《「京料理は日本料理の頂点。長い歴史が培ってきた伝統があるからです。その伝統をしっかり守ることが、京料理の基本では」と、寺田さん》。
http://www.kyoto-shokuwaza.jp/meikou_gendai/detail.php?meikou_id=123

あまから手帖京都うまい店100選 新装版 (クリエテMOOK)

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《もともと京料理は、宮廷料理から茶事・懐石料理、精進料理へと変形したもので、素材の1つをとっても、謂れや由来があるもの。その1つひとつを研究し、後進へと伝えていくことがご自身の使命だとおっしゃるお顔は、年齢を聞いて驚くほどの若々しさ。坪庭や雰囲気だけでない、歴史に裏打ちされた同店の料理の数々は、価格以上の価値があると、もっぱらの評判だ》。


奈良だと柿の葉寿司だが、こちらは身の厚い鯖寿司



《「料理作りは経験によるもの。素材選び1つとっても、20年も、30年もかかって蓄積していくものです。今は老舗とか、看板とか関係なく、料理人とのつながりでお客さまがいらっしゃる時代。『おいしかった』と言っていただけるように、お客さまお1人おひとりに合ったお料理をお出ししなければ」という謙虚なお言葉も、料理歴50年以上という大御所から発せられると、重みが感じられる。料理は歴史そのものであることを、目で、舌で、実感させられる老舗である》。





こんな立派なお店なのに、ホームページをお持ちでないので、ここで詳しく紹介させていただいた。料理も器も設(しつら)いも素晴らしいが、楚々とした女将さんのおもてなしが、最も印象に残った。ぜひいちど足をお運びいただき、「歴史と伝統に培われた京料理の真髄」を味わっていただきたい。
幹事のKさん、素晴らしいお店にお連れいただき、有難うございました。

※京都市上京区中筋通浄福寺西入中宮町300 TEL 075-441-0753 FAX 075-441-2838
阪急線四条大宮駅から車10分、京阪線出町柳駅から車10分、JR京都駅から車25分
(地下鉄今出川駅から歩いても、2kmほどだった)
最寄りのバス停は今出川浄福寺または千本今出川
今出川通り沿いにある西陣郵便局の裏である
営業時間 11:30~14:00(入店) 17:00~19:30(入店)
無休(12/24~1/4は休み)
http://r.gnavi.co.jp/k000100/
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『NARASIA 東アジア共同体?』と『平城京レポート』

2010年12月25日 | ブック・レビュー
松岡正剛編集構成の丸善刊『NARASIA(ならじあ)東アジア共同体?』3,150円と、同氏構成の奈良県制作『平城京レポート』を読んだ。いずれも、松岡が提起する「NARASIA」(平城京モデル)というコンセプトに惹かれて読んだのである。

『NARASIA 東アジア共同体?』の編集制作は松岡正剛事務所と編集工学研究所、監修は日本と東アジアの未来を考える委員会である。遷都1300年記念事業の一環として刊行された記念出版物の第2弾だ。第1弾は『NARASIA 日本と東アジアの潮流』1,890円で、こちらは《写真・イラスト・文字がヴィジュアルに展開、ポップな作り》(版元の内容紹介)の本で、私は立ち読みで済ませた。ぱらぱらとめくるだけでも楽しい本だ。

平城遷都1300年記念出版 NARASIA 日本と東アジアの潮流 これナラ本
松岡 正剛
丸善

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一方の『NARASIA 東アジア共同体?』は、立ち読みで済ませるような代物ではない。約700ページに総勢40人の書き手が持論を展開する。180点もの図版も、効果的に配置されていて、さすが松岡の編集力には、驚かされる。『日本の論点』を思わせる作りであるが、こちらの方が焦点が絞られ、読み応えのある論文が多い。
※県の報道発表資料
http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_itemid-48679.htm#moduleid22967

「BCN Bizline」 (ITビジネス情報誌「週刊BCN」のサイト)に本書の書評が出ているので紹介する(6/21付)。《第一弾の『NARASIA――日本と東アジアの潮流』が、日本と東アジアの「これまで」を追っていたのに対して、本書は「これから」を提起する。日本と東アジアの未来を考える委員会(川勝平太委員長代行)と東アジア地方政府会合実行委員会(石原信雄委員長)の有志、40名の超のつく豪華な執筆陣が、政治・経済・科学・技術・文化など、極めて多岐にわたる分野をまたぎながら、論文・エッセイ・対話のかたちで論を展開する》。
http://biz.bcnranking.jp/article/column/bookreview/1006/100624_123138.html

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松岡 正剛
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《例えば中谷巌が文化国家立国を、榊原英資が東アジアの経済統合を、呉善花が岡倉天心の「アジアは一つ」を、町田健が東アジアの言語文化を、金子郁容が日韓教育論を、といった具合だ。奈良は論の出発点もしくは終着点に過ぎず、論の一つひとつはあちらこちらを向いている。しかし、世界のなかの東アジア、東アジアのなかで日本を考える材料が、この 700ページに凝縮されているといっていい。ごった煮だから手に取って楽しいし、どこからでも読める。オールカラーだからこそ実現したビジュアルと、随所に配された東アジアの現代アートが楽しい》。執筆陣には、寺島実郎や山折哲雄がいるかと思えば、荒井知事、仲川市長(奈良市)、西口会長(奈良県商工会議所連合会)もいるという多彩ぶりである。

hachiro86さん(東京都在住)のブログ「自治体職員の読書ノート」には《特筆すべきが、その文章の合間にはさまっている図版である。これは日本も含む東アジアのアーティストたちの作品なのだが、これがまた息を呑むほどすばらしいのだ。最初は文章がメインで、図版はオマケ程度に考えていたのだが、見ているとそのうち図版が出てくるのが楽しみになり、場合によっては一枚の絵が近接する論文を「食って」しまっている》。
http://d.hatena.ne.jp/hachiro86/20100906/p1?sid=ba77f901b629e772

《それほどの迫力と鮮やかさと深さをたたえた作品ばかり。その向こうに、「論」の文章とはまったく違ったかたちで、東アジアのパワーとエレガンスと、そして底知れぬ可能性がみえてくる。東アジア共同体がどうなるかはわからないが、おそらく東アジアは、政治や経済などの「論」の世界より先に、「感性」と「アート」の世界で交錯し、そこに新たな可能性が萌芽する、そういった形でまずは結ばれていくのではないだろうか》。


画像は松岡正剛事務所のブログより拝借(トップおよび次の画像も)
http://www.eel.co.jp/seigowchannel/archives/2010/06/publishing_50.html

さて、一方の『平城京レポート』(日本と東アジアの未来を考える委員会発行)は、12/18~19のフォーラムで配布されたものである。日経新聞Web版(12/19付)によると《「平城遷都1300年記念グランドフォーラム NARASIA2010」が19日、奈良市であり、日本と東アジアの未来に向けた提言をまとめた「平城京レポート」が公表された》。

《様々な分野の専門家110人の見解を2年がかりでまとめたもので、5部全284ページで構成。多様性が東アジア発展の原動力と指摘し、調和と安定のため日本が積極的に情報発信すべきだなどとしている。政府代表として出席した鳩山由紀夫前首相は提言を受け取り「東アジアの文化が凝縮された、きずなの中心が奈良。政府として、この成果を日本の未来にしっかり生かしたい」と応えていた》。

県の報道資料には《今年12月に発表する「平城京レポート」の内容を再構成した第3巻「NARASIA提言集」の発刊を来年3月に予定しています》とあるので、いずれは出版されるのだろう。今はフォーラム参加者から借りて読むしかないが、「説明資料」(PDF)と「概要」(Wordファイル)は、県のサイトから無料でダウンロードできる。
※県1300年記念事業推進局企画課のサイト
http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_itemid-57902.htm

フォーラムに参加した仲川市長は自らのブログに《「平城京レポート」では、奈良の潜在的な価値や埋もれかけていた知を掘り起こし、東アジアをはじめとする世界に貢献するための提言が盛り込まれました。グローバル化とナショナリズム、新しい「公」時代の共同体ネットワークなど、個人的にも関心の高い切り口が多く、完成度の高さに驚かされました》。
http://www.nakagawagen.net/blog/2010/12/post-108.php

《この2日間で得た考え方やキーワードをいくつかご紹介いたします。●奈良は日本のOS ●世界の文明は泉のようにローマに吸い込まれるが、東の泉は奈良である ●異文化に飲み込まれるでもなく、拒絶するでもなく、主体的に融合したのが日本の知恵 ●政治や経済は文化の僕である ●日本は平和の使者として世界に貢献する責務がある いずれにしても、奈良にとって歴史的な価値再発見となったことは、間違いありません》。



この『平城京レポート』(第3弾)は、『NARASIA 東アジア共同体?』(第2弾)に決して引けを取らない力作である。素っ気ない黄色い表紙をつけた白黒A4版・約300ページの冊子は、決して読みやすい本ではないが、中身は濃い。大きく5つのステージ・11の章に分かれている。列挙すると、

●ステージA
グローバルな視点から、日本と東アジアの関係性と今後の課題を整理する。
第1章:東アジアの多様性と価値観・・・【制度の基層】  
第2章:東の国々のグローバリズム・・・【現代の地政学】  
第3章:アジア市場の台頭とリオリエント現象・・・【経済の潮流】  

●ステージB
日本と東アジアの交流の歴史を振り返り、共有可能な価値観や方法を見直す。
第4章:平城京モデルの可能性・・・【歴史にひそむ方法】  
第5章:東西を結ぶナラジア・ロード・・・【交流の道】  

●ステージC
情報化時代の「知」の交流と、教育および人材育成のあり方を考える。  
第6章:東アジアの知とネットワーク・・・【情報文化とメディア】  
第7章:知の共創と教育ネットワーク・・・【学知の共有】  

●ステージD
生命と環境をとりまく21世紀的リスクをふまえ、産業・技術の本来と将来を考える。  
第8章:イノベーションと匠の技・・・【伝統と産業】  
第9章:技術の未来とヒトの将来・・・【生命と環境】  

●ステージE
地域の歴史文化資源を維持し、コミュニティの社会資本を形成するための方策を考える。  
第10章:ナラジア新風土記・・・【地域文化とまちづくり】  
第11章:地縁と物語の回復・・・【コミュニティとネットワーク】

内容は多岐にわたるが、深い知識に裏付けられた斬新なコンセプトが散りばめられていて、知的好奇心が満たされる刺激的なレポートである。とりわけ「第4章:平城京モデルの可能性」からは、多くの知見が得られた。


画像は弥勒プロジェクトのHPより拝借

出だしの部分を県の「概要」(Wordファイル)から引用すると《平城遷都によって日本は、中国の宮都と国家の仕組みをモデルにしながらも、倭国に育まれていた「フルコト」を重視し、政治も諸制度も文化も和漢両立の「デュアル・スタンダード」を確立した。その後もさまざまな外交・内政モデルを模索しながらも、安定した国家経営を維持することによって豊かな文化をつくりあげてきた日本の平和の時代は、「パックス・ジャポニカ」と呼ぶことが可能である。かつての日本が生みだしたすぐれた思想や理念や方法に新たな価値を見出し、これからの東アジアや世界にも発信可能な普遍的な価値観を新たに構築するべきである》。  

本レポート「まとめ」のエンディングでは《1300年前、「平城京」を築いた日本の先人たちは、中国や韓半島からの渡来人を積極的に起用して理想の国づくりをめざした。当時の東アジアのグローバル・スタンダードである「漢字」や「律令」によって統治システムを整備するとともに、華厳経によって鎮護国家モデルを構築した。また、宮都の呼称「なら」は、韓半島では「国家」を意味する「NARA」に通じる。それに対して「寧楽」という漢字をあてはめた古の人々の願いを思いおこし、未来の平和と安寧のための東アジア像、世界像をともに築いていくことを提案したい》(「概要」より引用)と、次の100年への展望が示される。

なお、記述に不備があるとの一部報道があったが、そもそも『平城京レポート』は、一般書籍として販売されているわけではないので、まだ完全なものではない。例えば《聖徳太子による三経典に対する注釈書である『三経義疏』、すなわち『勝鬘経義疏』『唯摩経義疏』『法華義疏』の三書は、日本最古の二つの史書、『古事記』と『日本書紀』よりも約100年早く、中国南朝仏教の研究成果を基礎とし、朝鮮学僧の協力を得て完成された。そのうち『法華義疏』と『勝鬘経義疏』は、ブックロードによって海外に輸出されている》《中国に逆輸出され、明空の『勝鬘経義疏私鈔』を生み出した。『勝鬘経義疏私鈔』は揚州からさらに五台山へ流布し、円仁によって書写され、ふたたび日本に持ち帰られた》《『三経義疏』は、東アジアにおける漢籍の広域伝播と相互影響の結実の最初の成果といえる》(P110「聖徳太子による『三経義疏』」)は、明らかに書きすぎである(少数説の1つに過ぎない)。

《林浄因は饅頭の神としていまも奈良町の林神社に祀られている》(P96)とあるが、林(りん)神社は奈良町から北西の漢国町(近鉄奈良駅からスグ)にある。P70では「和魂漢才」とすべきところ(2か所)が、「和魂洋才」となっている…。細かいミスをあげつらえばまだまだあるが、これらは書籍として刊行される際には、ちゃんと修正されていることだろうから、あえて言挙げしないことにする。

ともあれ、本レポートは『NARASIA 東アジア共同体?』と同様、知的刺激に富んだ本であり、教えられるところは多い。グローバルで、しかも悠久の歴史の流れの中で、奈良を見つめ直すことができる。

これら2冊とも、平城遷都1300年祭の一環として実施されきた「弥勒(みろく)プロジェクト」の事業である。このプロジェクトは《今日の日本や東アジアを取り巻くさまざまな困難や課題を克服するため、古代の日本から現在に至るまでの歴史の変遷を振り返り、知恵を学びくみ取りながら、わが国の新たな機軸“JAPAN AXIS”を発見・再構築します。そして、これからの百年を見通した、日本と東アジアが目指すべき進路を構想してまいります》(同プロジェクトのHP)というもので、その構想が見事に体現された著作となっている。
http://www.miroku-nara.jp/?url=/articles/view/6

ぜひ『NARASIA 東アジア共同体?』と『平城京レポート』で、奈良と東アジアの「次の100年」に思いを馳せていただきたいと思う。

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初霞(初かすみ酒房)

2010年12月24日 | グルメガイド
大阪で飲める奈良酒の店として、昨日(12/23)は「梅乃宿 温酒場」を取り上げたが、もう1軒、どうしても外せないお店がある。それが「初かすみ酒房」である。もっぱら、お酒のブランドである「初霞」の店として知られている。宇陀市大宇陀区で300年以上も酒造業を営む、株式会社久保本家酒造の直営店である。同社は、伝統的な「生(き)もと造り」にこだわる酒蔵である。
※梅乃宿 温酒場(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/4f99c02894fb9a05e5f7d2f0483d2e4d


宇陀市大宇陀区の久保本家酒造(08.9.1撮影)

県酒造組合のHPによると《妥協なき作業から生まれる 生もと造り純米酒》《午前3時、杜氏と蔵人たちが、一斉に起き出してきた。今冬初めての生もと造りで、2回目のもと摺りが始まるのである。蕪櫂という独特の道具で蒸し米と水、麹を混ぜたもとを摺る職人の「エイッ、エイッ」という掛け声が厳寒の酒蔵に響き渡った。「乳酸菌の育成がうまくいくかどうかがポイントだね。生もと造りにすると飲んだときの味、ふくらみが全然違ってくる。自分で飲みたい、旨いと思う酒は純米、生もと造りだから、どんなに手間がかかっても生もと造りをやっているんだ。」》。
http://homepage3.nifty.com/nara-sake/kuramoto/kubo.html



Wikipediaによると、生もと造りとは《日本酒の製法用語の一つで、現存する酒造りの技法の中でもっとも伝統的な造り方である。たいへんな労働を必要とするため、しだいに工程を省略する手法が探究され、明治時代に山廃もと(やまはいもと)が、ついで速醸もと(そくじょうもと)が考案された。一時期、生もと造りはほとんど行なわれなくなったが、近年の伝統再評価の流れの中でふたたび脚光を浴びつつある》とある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E3%82%82%E3%81%A8

さて、初かすみ酒房は、なんばウォーク(地下街=旧虹のまち)内、地下鉄・近鉄日本橋駅のまん前にある。今年で創業38年を迎えるそうだ。お隣には「南たこ梅」という高級おでん屋がある(著名な「たこ梅」の親戚筋)。北浜の「梅乃宿 温酒場」は高級感のある居酒屋だったが、初かすみ酒房は立ち飲み感覚の気軽な店である(カウンターと椅子)。朝から営業していて、いつもよく流行っている。



まずは初霞の生もと純米酒(380円:7勺)を熱燗でいただく。錫(すず)の徳利がいい。酒は、私好みの「うま口」だ。大変な手間がかかっているだけに、米の濃厚なうま味がよく出ていて、酸味とのバランスも絶妙だ。なお久保本家は、百楽門の葛城酒造、櫛羅・篠峰・吟和の千代酒造の本家にあたる。分家が葛城酒造、その分家が千代酒造というわけである。


吉野杉の天削(てんそげ)割り箸が嬉しい

お酒(初霞)は、ほかに本醸造(330円:1合)、純米(380円:1合)、純米にごり(330円:7勺)、純米吟醸(350円:7勺)、大吟醸(480円:7勺)というラインナップだ。このお店は駅前だけに、さほど手間をかけず、さっと出せるような料理が中心である。おでんを食べている人も多い。おでんはジャガイモ、大根、玉子などが100円、ねぎま、牛すじが300円で、南たこ梅よりずいぶん安い。



他のメニューは、剣先造り580円、まぐろ造り580円、鯖きずし380円、鶏生肝380円、焼き鳥300円、といったところだ。カウンターの中では、おばちゃんたちがてきぱきと動いている。



私は、まずはたこ造り580円、次に人気の白魚天ぷら380円、そして鶏の肝焼き300円を注文した。どれもこれも、安くて美味しい。お酒と3品で、1640円。ちゃんと明細を書いたレシートをくれるのも有り難い。

美味しい奈良酒「初霞」が堪能できて、手軽に一品が楽しめる店、ぜひいちどお訪ねいただきたい。

※大阪市中央区千日前1丁目 なんばウォーク内 ℡ 06-6213-6256
大阪市営地下鉄 堺筋線:日本橋駅(長堀橋方面行き改札出口)から徒歩30秒
近畿日本鉄道:近鉄日本橋駅から徒歩2分
日本橋交差点から地下街:なんばウォーク3番街南通りに降りてすぐ
[月~金]9:00~22:00 [土・日]8:00~22:00(無休)

※初かすみ酒房(食べログ)
http://r.tabelog.com/osaka/A2702/A270202/27051725/
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梅乃宿 温酒場

2010年12月23日 | グルメガイド
梅乃宿酒造株式会社(葛城市東室27)という老舗の酒蔵がある。同社のHPによると《江戸中期より酒造業を営んでいた本家より、焼酎・味醂を醸造していた分家筋の当主・熊太郎が、明治26年酒造業を受け継いだのが始まり》ということだ。葛城山の伏流水を使い、のどごしの良いすっきりした清酒を醸(かも)されている。最近は梅酒などのリキュール類にも注力している。同社では定期的に「梅乃宿会」というファン向けのお酒と食事の会も開催されていて、私もお邪魔したことがある。
※梅乃宿酒造の公式ホームページ
http://www.umenoyado.com/


本年4月の梅乃宿会の様子。同社の公式ブログ(営業さんのつぶやき日記)より
http://umenoyado.exblog.jp/m2010-04-01/

その「梅乃宿」の名を冠した居酒屋が北浜(大阪市中央区淡路町)にあると、N先輩に教えてもらった。会社のH常務にご案内いただいたのだそうだ。それが「梅乃宿 温酒場(うめのやど・おんさかば)」である。大阪出張の帰りに、立ち寄ってみた。
※食べログの同店サイト
http://r.tabelog.com/osaka/A2701/A270102/27042564/



お店は、約60年前の長屋を改造したのだという。どおりでレトロ調だ。木質感覚の内装に電球色のライトなので、何だかホッと落ち着く。お店は梅乃宿の直営店ではなく、もっぱら梅乃宿の商品を置いているので、名前を借りているのだという。ご主人は、脱サラして居酒屋を始められた。メニューは目移りするほどたくさんあるが、店内の壁に「おすすめメニュー」が掲示してあるので、参考になる。まずは「おすすめ」の「炙(あぶ)り締め鯖」450円を注文。ごく軽く炙ってあるので、ほんのりした香ばしさがアクセントになっている。



お酒は燗酒(かんざけ)用の「純米酒 温(おん)」を注文した。梅乃宿には、純米三酒といって吟醸、辛口、燗酒の3種類があり、それぞれ吟、辛、温という愛称がついている。私は燗酒が好みなので「温」の熱燗を注文したのである。梅乃宿一流のすっきりとした味わいがいい。
※トップ写真は奈良の地酒屋・登酒店のホームページより
http://www.nobori-sake.com/shouhin/nara_nihonsyu/umenoyado/jyunmai3.html#on



次に、これも「おすすめ」の「鶏ももの味噌漬け焼き」480円、そして「今日のカマは大きいですよ」とおっしゃる「かんぱちのカマ塩焼き」450円を注文。カウンターの目の前で焼いているのが見える。鶏肉とカンパチ(ブリの仲間)が焼ける良い香りをかぎながら、熱燗をちびちび。



鶏とカンパチは、ほぼ同時に焼き上がった。鶏にからめた味噌とトッピングの葱が、絶妙のハーモニーを醸し出す。カンパチには、ほどよく脂が載っている。塩加減もいい。料理は、すべて丁寧に仕上げてあるので、好感が持てる。



メニューの一部を書き写しておくと、生レバー480円、酢ガキ500円、しめさば450円、おでんおまかせ盛合せ680円、いかの一夜干し380円、鮭ハラスの塩焼き380円、枝豆の天ぷらのあぶり350円、殻焼きホタテバター醤油380円、いぶりがっこ(たくあんのスモーク)380円、サーディンのガーリックオイル煮500円、でんだし飯380円…。何しろ料理メニューだけで約60種類もあるのだ。お酒も、梅乃宿の清酒以外に、同社の梅酒、桃酒、ゆず酒などがある(ほとんどが380円)。
※同店のメニュー(食べログ)
http://r.tabelog.com/osaka/A2701/A270102/27042564/dtlmenu/



ゆったりとくつろげるお洒落なお店なので、「女子会」にも使えそうだ。場所は地下鉄堺筋線の北浜と堺筋本町駅の中間のあたりである(堺筋から淡路町交差点を少しだけ西に入る)。きれいで入りやすく、店員さんの応対もさわやかなレトロ調居酒屋である。大阪で葛城(奈良県)の銘酒が味わえるお店、ぜひお立ち寄りいただきたい。

大阪市中央区淡路町2-4-4 ℡ 06-6222-1616
(市営地下鉄・堺筋線北浜駅より 徒歩3分、堺筋本町駅より 徒歩5分)
営業時間 平日17:30~26:00(食事のL.Oは25:00)、土曜日16:00~24:00(食事のL.Oは23:00)
定休日 日曜・祝日 カウンター席あり
※同店の地図(食べログ)
http://r.tabelog.com/osaka/A2701/A270102/27042564/dtlmap/
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ナント・なら応援団への感謝状贈呈式

2010年12月22日 | 平城遷都1300年祭
奈良国立博物館・学芸部長の西山厚さんが毎日新聞奈良版に連載されているエッセイ「奈良の風に吹かれて」(12/22付)に、こんなことが書かれていた。当日のタイトルは「平城遷都1350年に向けて」である。《遷都1300年祭は成功したと言ってよい。やってよかったと本当に思う。奈良の人は奈良を知らないと言われて久しいが、今年、奈良の多くの人たちが奈良を知った。奈良のよさを知り、それを伝えたくなった。今年の最大の成果はそこにあると私は思っている》。

《奈良の人が奈良のよさを知ったのは、「奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳」事業によるところが大きいと思う。奈良の各地で実施された特別開帳には、平城遷都1300年記念事業協会の職員、公民館のスタッフに加え、たくさんのボランティアが協力した。奈良をもっと知り、奈良のためにがんばりたいという人たちが、猛暑の平城宮跡会場で献身的に活動してくれた方々を含め、今年、奈良に続々と現れたのである》。


薬師寺で行われた感謝状贈呈式(12/15)

これは有り難いお言葉である。平城宮跡探訪ツアーガイドは約400人、宮跡でのもてなしボランティアは約1900人、奈良マラソンは約4000人。秘宝・秘仏開帳のガイドでは、学生86人(南都古社寺研鑽会の86人が、20の社寺等で約350人日)と、会社員OB・OG36人(ナント・なら応援団の36人が23の社寺等で約900人日)が協力した。 こんなにたくさんのボランティアが活躍したイベントというのは、例がないのではないか。ほぼ1年間にわたるという期間の長さも、驚異的である。

12/15(水)、南都銀行の退職者36人によるボランティアグループ「ナント・なら応援団」が、薬師寺と荒井知事から表彰された。まず午前10時30分、薬師寺本坊で、執事の生駒基達(いこま・きたつ)さんから感謝状が授与された。藤田優さんが、同応援団を代表して拝受した。同寺では4~10月の毎月2日間、1日あたり5人が拝観者の誘導・案内役を務めた。「もてなしの心」を発揮して丁寧に応対し、拝観者からご好評いただいた。



生駒執事からは、猛暑だった7~9月にも、汗だくになりながら懸命にお手伝いしたメンバーへのねぎらいと感謝の言葉を頂戴した。この期間、他のお寺への派遣はなく、唯一、薬師寺チームだけが出動したのである。おまけに立ったままの仕事だったので、労力は大変なものだったのだ。

午後3時からは、荒井正吾知事(社団法人平城遷都1300年記念事業協会理事長)から「ナント・なら応援団」と、地元学生らによるボランティアグループ「南都古社寺研鑽会」に感謝状が贈られた。朝日新聞奈良版(12/21付)「ボランティア2団体を知事が表彰」によると、《平城遷都1300年祭の主要事業として県内の50を超す社寺で行われ、県内外から多数の拝観者が訪れている「祈りの回廊~奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳~」。「ご開帳したくても人手がない」という社寺をボランティアで手伝った県内2団体が、荒井正吾知事から表彰された。》。「ナント・なら応援団」への感謝状は、南都銀行を代表して、嶌川安雄常務取締役が拝受した。
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000351012210001



《南都銀行OBでつくる「ナント・なら応援団」(36人)は、薬師寺(奈良市)や金峯山寺(吉野町)など23カ所で活躍。大学教授らから奈良の歴史について計20時間の講義を受け、各社寺での研修を経て臨んだ。最初はカンニングペーパーを見ながらたどたどしかった人も、慣れるにつれワンマンショーのように解説できるようになったという。多い日で約1400人が訪れた壺阪寺(高取町)の三重塔でガイドを務めた吉本幸弘さん(63)=橿原市=は「プロじゃないので、立て板に水というわけにはいきませんが」と断りながらも、スラスラと約5分間にわたって寺や塔の歴史を語った。》。
※平城遷都1300年記念事業協会のプレスリリース
http://www.1300.jp/about/news/press/2010/pres101209.html

《「塔の建築技術は東京スカイツリーにも参考にされる高い技術」など興味深い解説に思わず拍手する拝観者もいた。長年接客経験を積んできた元銀行員にガイドは打ってつけのようで、メンバーからは「新たな生きがいを見つけた」と来年以降の継続を望む声も出ている。社寺からのリクエストもあり、何らかの形で活動を続ける方針という》《15日に県庁であった表彰で、荒井知事は「遷都祭の成功は陰にひなたに助けてくれたボランティアの方たちのお陰。大変お世話になりました」とお礼を述べた》。
※知事から「ナント・なら応援団」に感謝状!(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/14a6bdc55e46a8fccb4a59eb3ab1b4f9



奈良新聞(12/17付)でも《拝観者のもてなしに努め、文化財や拝観者の安全確保に取り組むなど、事業の成功に貢献した》《ナント・なら応援団の門口誠一さんは「自分にとっても勉強になり、楽しく案内説明をさせていただいた」》と報じられた。
http://www.nara-np.co.jp/20101217102051.html

今回の寺院ボランティアガイドで特筆すべきは、拝観者、お寺、主催者(平城遷都1300年記念事業協会)から感謝されただけではなく、ボランティアをしたOB本人からも「楽しかった」「新たな生きがいをみつけた」と喜んでいただいたことである。発案者の私としては、とても光栄なことである。

毎日新聞奈良版(12/9付)に連載されている仲川順子さん(奈良NPOセンター理事長)のエッセイ「順子さんのわくわく通信」に、こんな話が載っていた。タイトルは「退職後の居場所」である。


12/18(土)、今年の活動の最終日となった壷阪寺三重塔前で(次の写真も)。吹く風は冷たかった

《いつの頃からか、活動仲間に退職男性の姿が増え始めました。お酒が入ると、いつも物静かな男性たちからも本音がでます。「なぜボランティアを始められたのですか」と問うと、「会社のために一生懸命働くことが家族や社会にとって一番良いこと、みんなを幸せにすることだと信じてきました。仕事がなくなって振り返ってみると、取りこぼしてきたことも多かったかなと……。地域のことも政治への関心もすべて後回しにして、仕事最優先。やっと時間ができて地域に戻ってみると、隣近所に知り合いもなく、誰にも必要とされていないようで、孤独でゾオッとしました」》。

《今はNPOに居場所を見つけて「こんな世界もあったのですね。楽しいですよ」と柔らかい表情で語っていました。「あまり縛られるのはもう堪忍してほしい。でもどこかに帰属しているという実感がほしかった」という男性もいます。活動時間や場所を自分で選べて、柔軟に受け入れてもらえるところがあると活力を取り戻せるそうです》。



《人の知恵や力を必要としている団体はたくさんあります。そこで活動を始めた人たちは、モノやお金に換算できないやりがいと優しさを体感します。自分を再発見する人も多いです。ゆっくりとソフトランディングしながらでも、社会を良くしていく活動に参加してみませんか》。

通常、ボランティアグループというものは「ヨコ社会」であり、企業は「タテ社会」。すると、一企業の退職者ばかりを集めたグループは、ヨコ社会にタテ社会の論理を持ち込むリスクがある。だから内心「現役時代の職位を、そのまま持ち込む人が出てくるのではないか」と危惧していたし、企画段階で「人間関係がうまく行かず空中分解するから、やめておいた方がよい」との助言もいただいた。しかし、それは全くの杞憂(きゆう)であった。グループの中では上下関係ではなく、ごく自然な役割分担・機能分担が出来上がり、きわめて良好なチームワークが形成されたのである。

来年以降の同応援団の方向性は、現在検討中であるが、今年の活動で培った貴重な経験は、地元・奈良県を盛り上げる大きなパワーとなるに違いない。36人の先輩たち、1年間の素晴らしい活動を有り難うございました!
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