


昭和36年7月に廃線廃車となったのを、同年10月に開通当時(明治28年開通)の姿に復元・・とある。66年間に少なからず改良されたのだろうけれど、外観だけは開通当時の原型に戻して展示ということにしたのだろう。
京都の七条ー伏見間ということは、伏見港に大阪浪速からの物資も人も舟で着いて、それからチンチン電車に乗り換えたということか。途中の伏見稲荷参りにも便利だったのだろう。
明治村に行った折にチンチン電車に乗ったことがある。車掌姿のガイドが、前後に取り付けられたネットを人命救助の仕掛けとして面白おかしく説明していた。この電車は、入場しなくても見られる駐車場脇に展示されている看板なのだ。でもなぜか名称はSL広場となっている。