生家を任されて、敷地内の不具合を直したり掘り返したりしていると、亡き父がやっていた痕跡がいろいろと出てくる。
配管が何箇所も埋まっていて、それを見つけるたびに邪魔なので掘り起こした。
生きていて機能しているのが一本もないというのが、すごいところだ。
大雪の降った冬を超えて春になると、何もかも微妙にずれたり沈んだり壊れたりしていることが多い。
そういう冬を何度も超えて、雪の重みだけではなく、素人工事のいい加減さもあって、太いのに変えたり繋いだりの試行錯誤の繰り返しが地中に埋まっていたり、とび出していたりする。
周りのだれかれに耕運機をかけてもらったり、鋭い刃の機械で全面草刈りをしてもらったりするものだから、浅く埋めてある場所では切断されたり傷ついたりもしている。
裏山にある自前の溜池から庭の池に水を落として錦鯉を飼っていたのだったが、父が他界して35年、それらは放置されて機能しなくなっていた。
それをまた、元通りと言わないまでも、やってやろうと計画した。
300mは必要だろうと、こういうことの好きな長老が言うのだが、90m巻きを2本購入してやり始めた。
巻いてあるのを伸ばすのは大変で、力尽くで引っ張ると管が折れ、癖がついてどうにもならなくなること数回。
復元しそうもないのは切断して、接続器を使うなどして、昨日はようやく置いてみるだけの仮敷設が終わった。
手伝ってもらいたい仲間たちは皆体力の衰えが顕著で、もう力仕事の助力を期待できない。
そうなると、何だか変に元気な私は、いろんな工夫をして、助言を得たりしつつも独りでやるしかない。
結果、90m巻き2本を使い、20m余り不足という状態なので、それは掘り返した父の遺産でまかなった。
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