【広島 原爆ドーム(ネットより) 】
今、自分より若い政治の指導者が、非核3原則を堅持するとしながらも、核武装を含め核についての議論をしようと言い出している。人にはそれぞれの考えがあるし、生い立ちが違えば年齢に関わらず、当然ものの見方や考えは違う。しかし、戦争体験のある、真実を知る人たちの、戦後の日本をつくってきた人たちの認識はどうだろうか。もう戦争は嫌だ、平和な世の中を、との思いは特に強いに違いない。
唯一の被爆国である日本は、核保有国も含めてもっと積極的に核廃絶を訴えるべきではないのか。もっと核の恐ろしさを正しく認識しなければならないと思う。核を持とうなど言語道断だ。核論議に関わる新聞各紙の社説も認識が甘いと思う。
昔、非武装中立論という理想論があった。なぜ理想論なのだろうか。それは、愚かな人間が、現状では国同士、人間同士の争いのない世界を具現する術を知らないからにすぎない。殺し合いの戦争を容認する軍備による安全保障はどうしてもおかしい。これ以上の核の拡散も絶対許してはならない。
ところで、北朝鮮に核を放棄させることは当然だが、すでに核兵器を所有している国が、イランや北朝鮮の核開発を止めさせようとしていることは何かおかしいと思う。核拡散防止は不公平なのだ。今こそ、愚かな人間を悔いて、全世界は核廃絶へ進まなければならない。日本は核廃絶を訴える責任と義務がある。日本の役割はそこにあるのだ。
先日(11/6)、NHKテレビで【ラストメッセージ 第2集「核なき世界を 物理学者・湯川秀樹」】を視聴した。平和を求め、核廃絶を訴え続けた湯川秀樹(*)は正しいと思った。争い、殺し合いの続くこの人間社会は空しい。あらためて人間の愚かさを悲しく思わざるを得なかった。
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(*)『ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹は、第五福竜丸が被爆したビキニ事件に衝撃を受け、科学者の先頭に立って核兵器の廃絶運動に乗り出した。核抑止論を根拠に米ソ超大国が核開発競争を繰り広げた1960年代、彼は「核抑止論では兵器開発は止められず、核保有国は拡散する」と警告し、絶対悪の核はあくまで廃絶しなければならないと主張した。
彼は核戦争の危機の下で、平和の問題に深く関わり、ラッセル・アインシュタイン宣言の賛同者となりバグウォッシュ会議に協力した。
「 一日生きることは一歩進むことでありたい」は彼の言葉
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職業柄、政治的な自分の考えはいつも心の中に止めていた。でも、仕事を離れてからは、すべての問題について自分の考えをまとめておきたいと思っている。そして、できれば少しでも自分の考えを実現できるように行動していきたいと思っている。
今、自分より若い政治の指導者が、非核3原則を堅持するとしながらも、核武装を含め核についての議論をしようと言い出している。人にはそれぞれの考えがあるし、生い立ちが違えば年齢に関わらず、当然ものの見方や考えは違う。しかし、戦争体験のある、真実を知る人たちの、戦後の日本をつくってきた人たちの認識はどうだろうか。もう戦争は嫌だ、平和な世の中を、との思いは特に強いに違いない。
唯一の被爆国である日本は、核保有国も含めてもっと積極的に核廃絶を訴えるべきではないのか。もっと核の恐ろしさを正しく認識しなければならないと思う。核を持とうなど言語道断だ。核論議に関わる新聞各紙の社説も認識が甘いと思う。
昔、非武装中立論という理想論があった。なぜ理想論なのだろうか。それは、愚かな人間が、現状では国同士、人間同士の争いのない世界を具現する術を知らないからにすぎない。殺し合いの戦争を容認する軍備による安全保障はどうしてもおかしい。これ以上の核の拡散も絶対許してはならない。
ところで、北朝鮮に核を放棄させることは当然だが、すでに核兵器を所有している国が、イランや北朝鮮の核開発を止めさせようとしていることは何かおかしいと思う。核拡散防止は不公平なのだ。今こそ、愚かな人間を悔いて、全世界は核廃絶へ進まなければならない。日本は核廃絶を訴える責任と義務がある。日本の役割はそこにあるのだ。
先日(11/6)、NHKテレビで【ラストメッセージ 第2集「核なき世界を 物理学者・湯川秀樹」】を視聴した。平和を求め、核廃絶を訴え続けた湯川秀樹(*)は正しいと思った。争い、殺し合いの続くこの人間社会は空しい。あらためて人間の愚かさを悲しく思わざるを得なかった。
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(*)『ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹は、第五福竜丸が被爆したビキニ事件に衝撃を受け、科学者の先頭に立って核兵器の廃絶運動に乗り出した。核抑止論を根拠に米ソ超大国が核開発競争を繰り広げた1960年代、彼は「核抑止論では兵器開発は止められず、核保有国は拡散する」と警告し、絶対悪の核はあくまで廃絶しなければならないと主張した。
彼は核戦争の危機の下で、平和の問題に深く関わり、ラッセル・アインシュタイン宣言の賛同者となりバグウォッシュ会議に協力した。
「 一日生きることは一歩進むことでありたい」は彼の言葉
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職業柄、政治的な自分の考えはいつも心の中に止めていた。でも、仕事を離れてからは、すべての問題について自分の考えをまとめておきたいと思っている。そして、できれば少しでも自分の考えを実現できるように行動していきたいと思っている。