いつも、何人かの俳句を載せるブログを楽しみにし、感心している。
素晴らしい俳句に出会うとき、いつも、自分も俳句を詠んでみたいと思う。でもなかなか詠めない。
目に入ったものを写生する文なら何とか書けそうだが、なにしろ、繊細な心の動きを五・七・五の十七文字で表現するのだから簡単ではない。
目や耳から入る情報が感性豊かなこころと結びつくとき、大きな世界が広がる。俳句ってそんなものだと思う。ならば、情報は同じでも感じるこころがないと、俳句は詠めないと言うことだろう。
いい句を詠むには、感性を育まなければならないと思う。技法ではなく、まず内面の感受性がなければならず、表現力はその後に付いてくるものだろう。
これまで生きてきた心の動きの蓄積がこの内面の感受性であれば、この年になっては、もう遅いような気がする。
《静寂の庭にまだ残る紅葉を眺めながら》
菊の香に我が青春は旅立ちぬ
打ち込みし半生報わる秋紅葉
連れ添いし35年秋の雨
人生の別け隔てなく落ち葉舞い
素晴らしい俳句に出会うとき、いつも、自分も俳句を詠んでみたいと思う。でもなかなか詠めない。
目に入ったものを写生する文なら何とか書けそうだが、なにしろ、繊細な心の動きを五・七・五の十七文字で表現するのだから簡単ではない。
目や耳から入る情報が感性豊かなこころと結びつくとき、大きな世界が広がる。俳句ってそんなものだと思う。ならば、情報は同じでも感じるこころがないと、俳句は詠めないと言うことだろう。
いい句を詠むには、感性を育まなければならないと思う。技法ではなく、まず内面の感受性がなければならず、表現力はその後に付いてくるものだろう。
これまで生きてきた心の動きの蓄積がこの内面の感受性であれば、この年になっては、もう遅いような気がする。
《静寂の庭にまだ残る紅葉を眺めながら》
菊の香に我が青春は旅立ちぬ
打ち込みし半生報わる秋紅葉
連れ添いし35年秋の雨
人生の別け隔てなく落ち葉舞い