エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

冬鳥を撮る

2006-11-13 | 自然観察
  ときどき探鳥に出かける。先週金曜の午前中、猪苗代方面へ行った。
猪苗代の翁島辺りでは、ハクチョウが集団で刈り取り後の田んぼに休んでいた。
田の落ち穂拾いか、今、湖よりも田にいることが多いようだ。雪に埋もれる冬の間は、湖水の数か所でえさを与えている。
 天気のよい日には、孫を連れて、長浜や崎川浜の水鳥にパンを与え、楽しいひとときを過ごしている。猪苗代湖では、冬の間はコハクチョウやオナガガモが圧倒的に多く、長浜では、他にはユリカモメ、ホシハジロ、キンクロハジロなどが見られた。
 観察していると、頭が黒く、小さい冠羽が見えるキンクロハジロは、ときどき水中に潜っていた。オナガガモは結構馴れていて、孫の手から直接パンをついばんだりしていた。
 午後は、久しぶりでお城の堀を見てきた。土手で、カルガモが集団で日向ぼっこをしていたが、近づくと警戒心が強くてすぐに掘りに飛び込んでしまった。
 1匹、カワウが飛んできていて、ときどき水中に潜って長い時間潜ったままで、とんでもないところに顔を出した。大川では、鮎がかなりカワウの被害に遭っているようだ。
 ついでに、門田の運動公園の池を覗いてみたら、カルガモがほとんどだったが、マガモが2羽、ゆっくり泳いでいた。マガモはかなり近づいても逃げなかった。
対岸に1匹のアオサギが置物のように立っていた。撮影に近づくと飛び立ち、悠々と弧を描いて飛んでいった。
 これからの季節、昆虫、植物に変わって鳥類の観察をしてみようと思っている。

【お堀の水鳥】


【ホシハジロ】


【キンクロハジロ】


【オナガガモ】

初冬に拾う

2006-11-12 | 日々の生活
 【歳の神の準備】


 犬と朝の散歩に出た。今朝はこの冬一番の寒さ、磐梯山に2度目の雪がかぶった。
3度目には若松市内でも雪が降ると言われている。
 昨夜来の風雨が上がり、勢いよく流れる雲の隙間から時折射す陽光が、明るく温かかった。
 田んぼでは、来年の準備が始まっていた。町内の役員が中心に、来年の歳の神の準備だ。
 吹雪の最中の歳の神の光景が目に浮かんだ。
 清清しい気持ちで一年の無病息災を祈った今年の歳の神、朝方からの新雪と厳しい寒さが小正月の伝統行事をいっそう見事に演出してくれた。ついこの間のように思い出された。
 最近は、歳の神もいろいろな事情でやらなくなった町内も少なくないようで寂しい。
 妻の里信州松本、安曇地方では三九郎と呼ばれ、今も盛大に継承されていると言う。
これからも子供たちの生きた地域の生活体験場面「歳の神」がいつまでも続いてほしいと思った。

秋の実 (その4)

2006-11-10 | 自然観察
身近な秋の実、まだまだありました。
庭のツツジの陰にヤブコウジが、ウツギの枝に紛れてハマナスが、道ばたのタラが、そして春からずっと花を咲かせ続けたランタナにきれいな宝石のような実が、また今年一番嬉しかったカリンの実などを撮りました。





ハマナス・・・
 今まで浜茄子だと思っていた。調べたら、バラ科だ。そう言えば、花もバラ、幹や枝にとげがあり、秋に付ける実もバラに似ている。
北海道の小清水原生花園の浜茄子を思い出す。「梨」がなまって「ナス」となったらしい。








ランタナ・・・  
プランターに植えたランタナは、昨年は家に取り込んで冬を越した。
 小さなつぼみが膨らみ、花は咲いてから時間が経つにつれて黄色からだいだい色,赤へと色が変わる。だから、シチヘンゲ(七変化),コウオウカ(紅黄花)とも呼ばれる。
 しっかりした紺色のきれいな実を付けた。








カリン・・・
 ピンクの可憐な花が沢山咲くのに、一度も実を付けたことがなかった。苗を植えてから、もうかれこれ20年経った。今年初めて1個の実を付けた。かなり大きくなってから葉の陰に緑色の実を見つけたときは本当に嬉しかった。順調に育ち、秋も深まりようやく黄色いカリンらしくなってきた。そろそろ収穫だが、香りが楽しみだ。
来年は何個なるだろうか。









タラ・・・
山菜のタラの芽は糖尿病に効果がある。糖尿の気があるので、春にはよく食べた。
夏の花からいつしか黒い種が付いていた。庭の隅に、鳥が運んだのか、タラの芽が何本か出ていて、毎年新芽をいくつか頂いている。また、昨年園芸店でタラの苗を求めて植えた。
何年か経てば、居ながらにして山菜の女王を楽しめそうだ。








ヤブコウジ・・・
いろいろな種類があるようだが、この間、園芸店で斑入りのものを求めた。
どこがと言われると困るが、好きな木の一つだ。庭の縁に沿って、背の高い木の下にジャノヒゲと一緒にヤブコウジが増えている。

「みちくさ新聞」を読む

2006-11-09 | 日々の生活
 月に一度のみちくさ新聞が届いた。一ヶ月のなんと早いことか。
 月初めに新聞が届くと、いつも「忘れていたこころ」を反省する。
 いつものように、蛍光ペンを持ってゆっくり読んだ。こころ癒されるひとときだ。

○【人はなぜ生きるか「こころの沈黙のうちに聴く祈り」井上洋治著 (1985講談社)】のエッセンス文を読んで。
 こころの沈黙の中でじっとこころの耳を傾ける姿勢が大切とあった。
 よく、散歩の途中に八幡神社の前を通る。その時は必ず、山門から手を合わせお参りしている。自分の願いを聞いてもらい、「頑張るから」とこころに言い聞かせていた。
 これからは、神様の声をもっと静かに聴いてみたいと思っている。

○「無名者の歌(朝日歌壇1985)」の一首一首を、声を出して読んだ。
 ・黄泉にても再び逢いたき亡き夫よ見紛うなかれ老いたるわれを 滝口八重子
 ・厚き胸に泣きたしと思う夕去りて夫の墓辺に氷雨降りしく  秋山清子

 長い間連れ添った夫婦にも、いつか別れがやってくる。寂しいことだ。
 別れの後にも、こころだけでも一緒にいたいと思う。

(参)
拙ブログ 9/14 「癒しの便り」 
http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/d/20060914
拙ブログ 2/18『みちくさ新聞』は心の癒し      
http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/d/20060218
       
*みちくさ新聞
 発行人=斉藤吉孝 〒140-0014 品川区大井1-41-12-403
          tel 03-3771-0832

「ゆく秋の静寂を偲ぶ」

2006-11-08 | エッセイ
 
今日11月8日は、私の新しい誕生日だ。満3才になった。一度死の淵を見て来たが、今元気になって静かに過ごしている幸せを思う。はからずも妻と同じ誕生日となった。静かに二人でささやかなお祝いをした。食後、コーヒーを沸かし、リンゴ、柿を剥いた。
 いろいろ願いはあるが、健康第一に穏やかに過ごしたいと思っている。

 今日のエッセイ
ゆく秋の静寂を偲ぶ
 紅葉した木々を前景に、白亜の校舎の彼方に磐梯の山並みが美しい。家の近くの、会津大学短期学部周辺に晩秋を楽しんだ。この校舎前の小さな林は、ときどき孫を連れて歩く楽園で、たまに私の憩いの野外書斎となることもあった。
 昨夜来の風雨に、トチノキの大きな葉はほとんど散ってしまった。今朝は、雨上がりの秋の陽にソメイヨシノの紅葉がまばゆいほど鮮やかに美しかった。その織りなす錦はアントシアニン、カロチノイドなど自然の化学変化の贈り物だが、一枚一枚に違う鮮やかな配色は美しく、特に黄から赤へのグラデーションはたとえようもない。
 グランドの水たまりで赤とんぼが打水産卵を繰り返し、腰を下ろした私の腕や膝に何匹もが親しげに止まり、羽を休めた。静寂に赤とんぼの羽音が聞こえるようだった。
 あれから何年の歳月が流れたのだろうか、芝を駆けめぐる孫が、ふと私の子供達の姿と重なった。
 はらはらと散り急ぐ紅い葉をみつめながら、ゆく秋の静寂を偲んだ。

 秋の実 (その3)

2006-11-07 | 自然観察
 庭の秋の実はほとんど撮った。庭からから外に出て、散歩の途中に町内を巡ると
 また、いくつか見つかった。
 花ばかりを見てきたが、子孫を残すための植物の営み、造形は、歌の文句の通り、みんな違って素晴らしいものがあった。



クコ・・・クコの葉は美味しいのか、いつもボロボロに食べられている。ナス科でニジュウヤホシテントウが沢山集まっている。
万能薬草としてのクコは、ビタミンB1、B2、Cのほかにルチン、ベタインが豊富に含まれ、健康によいということで,クコ酒とかクコ茶で飲まれる。









マユミ・・・名前の由来は、この木は材質が強くよくしなるので、古来より弓の材料として使われたことから。別名をヤマニシキギと言うそうだ。確かに初夏に咲く花はニシキギによく似ているし、秋に付ける実はたくさん垂れ下がり、果実が割れて露出する橙赤色の種子もニシキギに似ている。この色彩のコントラストが美しく、かわいい。









ニラ・・・ 夏には葉の間から30-40cmほどの花茎を伸ばす。夏のかんかん照りの畑に可憐にニラの花が咲く。よくヒメアカタテハなと待っている。花は半球形に白い小さな花を20-40個もつける。花弁は3枚だが苞が3枚あり、花弁が6枚あるように見える。雄しべは6本、子房は3室になっているが、熟するとわれて黒色の小さな種が飛び散る。









ピラカンサス・・・Pyracantha(ピラカンサ)は、ギリシャ語の 「pyro(炎)+ acantha(刺)」が語源で、火のような真っ赤な実をつけ、 枝にはいっぱいとげがあるからうなずける。
会津若松の駅前から飯盛山への道路に、背の低い街路樹として植えられている。
春にはコデマリ、ユキヤナギのような小さな白い花が咲き、秋にはたわわに紅い実を付ける。









ソバ・・・今年は、広がる白いジュウタンを見によくソバ畑へ行った。チョウの撮影も目的で、メスグロヒョウモン、ミドリ、ウラギン、オオウラギンスジなどのヒョウモン類や、キタテハ、イチモンジセセリ、ベニシジミなども蜜を求めていた。
 今、黒い実のなったソバ畑は何か閑散として寒々している。これから、新そばまつりがあちこちで始まる。











モンキチョウの黄色いメスを撮る

2006-11-06 | 昆虫
   【モンキチョウ  産卵中の黄色い♀ 】

 秋の深まりの中、小春日にモンキチョウが数匹飛んでいた。
モンキチョウは、黄色いのが♂で、白いのが♀である。この時期、もうオスの羽はかなり傷んでいるのが普通だ。でも、羽化したばかりのような黄色いモンキチョウで、♂にしてはあまりにきれいな個体だったので記録しておこうとカメラを向けた。
 すると、紅葉して散った桜の葉の上にとまったその黄色いモンキチョウが、なんと産卵しているではないか。♂とばかり思っていた黄色い個体が、積もった枯れ葉の間に顔を出しているシロツメクサに産卵していたのだ。実は、黄色い♀だったのだ。
 そう言えば、夏に黄色い個体同士でペアになっていたモンキチョウを撮影したが、何となく不思議だったが、これも黄色い♀だったのだ。
  図鑑を調べてみると、どうも地域差があるようだが、黄色の♀もまれではなく、黒化、白化の異常型も現れるとあった。
 今日、晩秋の産卵行動を目撃し、また夏には黄色同士でのペアを観察して、あらためて黄色いメスを確認することができた。
 モンキチョウは、やがて、短いが精一杯に生きた命を終え、幼虫で冬を越し、雪解けに新しい子孫が大空を羽ばたくのだ。
羽がボロボロになったオスが舞い降り、疲れきった羽をいたわるように日だまりに休んだでいた。

 【モンキチョウ♂】


【モンキチョウ♀ 普通は白色】


戊辰役殉難会津藩士二十二士之墓

2006-11-05 | 街中散歩
 この夏、強清水から戸の口原へ至る道で「二十二人の墓」を知った。
 これが、どういう歴史、いきさつがあったのかを知りたいと思っていた。つい先日その場所を通ったとき、新しい立て看板に気づいた。そこには、「戊辰の役で辺りの山河に朽ち果てようとしている会津藩士の遺体を哀れに思い、近くの人たちが手厚く葬り墓を建て供養した」との解説があった。また、戸の口原の近くにも戦死者の墓群が残っているが、それも同じだと思った。白虎2番中隊が西軍を迎え撃ったのは、慶応4年(1868年)8月23~24日だった。

 戊辰戦争のことなど、いまでは会津以外ではほとんど忘れられているのではないだろうか。会津でもその歴史的意義を、それぞれに語り継がれてはいるものの、年と共に関心も薄れているのはやむを得ないことなのだろう。

 安倍首相は山口県出身の八人目の総理大臣と言う。そうした言を聞くとき、歴史の流れ、政治における長州閥というものが未だ営々と続いていることを思わざるを得ない。

 あらためて、荒れた山中に眠っている戦死した会津藩士の墓前にお参りした。
 自分なりに会津の悲劇をいつも思って生活している。
 いつも口ずさむ「愛しき日々」の歌詞、メロディーが忘れられない。
 もう少し、時がゆるやかであり、やさしく、たおやかに流れていたならば
 こんな争いはなかったのではないか・・・と思い、涙が流れる。

   《戦死十六人墓 戦死六人墓》



  「愛しき日々」   小椋 佳作詞 堀内孝雄作曲
   【参:http://www.fk.urban.ne.jp/home/kazuaki3/utagoe-61.htm】

   風の流れの 激しさに 告げる思いも ゆれ惑う
   かたくなまでの 一筋の道 
   愚か者と笑いますか
   もう少し 時がゆるやかであったなら・・・・・
   
   雲の切れ間に 輝いて 空しき願い また浮かぶ
   ひたすら夜を 飛ぶ流れ星
   急ぐ命を 笑いますか
   もう少し 時がやさしさを投げたなら・・・・・・
   
   愛しき日々の はかなさは
   消え残る夢 青春の影
   きまじめすぎた まっすぐな愛
   不器用者と 笑いますか
   もう少し 時が たおやかに過ぎたなら・・・・・・・
   
   愛しき日々は ほろ苦く
   一人夕日に 浮かべる涙 



白虎隊と戸の口原の戦い」 についてに記述を見つけた。
   (酒蔵<会津めぐり>www1.ocn.ne.jp/~sakagura/ 戊辰戦争 会津戦争)より
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「藩境の母成口が破られた」という知らせを受けた会津藩は、戸の口原から応援を求めてきたので、まず白虎隊二番隊の半数が前進、次いで残りの半数も後を追い、合流して滝沢峠を登り舟石に達すると「敵軍大砲ノ声、耳ニ入ル」という。一行なお進んで駆け足で前進。金堀集落から沓掛峠、強清水集落を経て、戸の口原に近い小山に到着した。
ここは現在の上強清水集落東方約150メートルに位置する丘陵地帯である。先発した敢死隊が陣を構えていたが、二番隊は更に穴を掘って胸壁を築き、任務によっていくつかのグループに分かれた。二番隊は、隊長 日向内記以下、 小隊長、半隊長が各2名
と、隊士が37名の総数42名と伝えられる。
 戸の口原一帯の戦闘では、白虎隊士中二番隊の他、敢死隊、奇正隊、遊軍隊、誠志隊などが奮戦したが、防御に適した地形ではなく、会津軍側は死傷者が続出。会津軍の本営はあわただしく撤退し、赤井集落をめざした。戸の口から退却した二番隊の各々のグループは、途中で離散や合流によってメンバーが入れ替わったり、さらに小さなグループにわかれている。
 ・・・・・・・・・・
(以下は白虎隊の悲劇の顛末である。)
 飯沼グループは街道上の敵を避けて南方の山中を潜行し、城をめざして進むうちに滝沢不動滝の上に出た。そのまま不動川に沿って西へ進んだので、滝沢峠を下ってきた敵部隊と遭遇、激しい銃撃をうけ、永瀬雄治(自刃十九士)が負傷。一行は飯盛山の北東斜面にある戸の口堰の洞門にはいった。長さ150Mでカーブしているので全くの闇である。出口のすぐ手前で、急に目の前が明るく開けた。しかし、その先は山陰で眺望がきかない。一行は用水に沿って進み、必死になって斜面を這い上がった。「ハア ハア ・・・・もう敵は追って来まい」「そうだな。ここまで来れば大丈夫だろう」「おい!見ろ」ひとりが叫んだ。飯盛山から望む若松。そこにはふだん見慣れた平和な町とは違う光景が広がっていた。立ち上がる火の手と黒煙。家も、藩校も、城も。ぼう然とした。自分たちが生
まれ育った若松が燃えていた。みんな涙が止まらなかった。
 日新館(会津藩校)の先生や年長者たちはいつもこう話してくれた。「会津のやっていることは正しい」。 会津は乱れた京都に平和を取り戻すため懸命に働いた。 天皇も将軍もみんな認めてくれた。にも関わらず、今や朝敵にされ"賊軍¸である。幼帝を担ぎ出し世の中を乱し、反乱を起こした薩摩、長州の方こそ"賊軍¸ではないのか。 正しいことが間違いとされて会津は今や滅ぼされようとしている。 会津に生まれ、純粋な心をもった若者たちには、とうてい 理解できないことだった。
「愛する会津は滅んだ。われわれはこの山の上で国と運命を共にしょう」。幼いときから一緒に遊び、そして国の行く末を憂い熱く論じあった。 そんな親友同士が互いの体に刃を当てた。城を拝みそれぞれが目をつぶった・・・・・・。
「城が、町が焼け陥ちた」 会津の山河は焦土と化し、白虎隊十九名は士道に殉じた。 
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秋の1日

2006-11-04 | 日々の生活
     《 特急あいづ(後尾):磐越西線 》

  娘が午前中パートで勤めるようになって2ヶ月、毎日付きっきりに孫の世話をしている。
 今日は快晴、朝のうちから孫たちは自転車乗りや砂遊びに熱中、おかげで、夏からずっと庭をきれいに楽しませてくれたアイ、ミズヒキを引き抜き、久しぶりに庭が広くなった。
一段落して10時のお茶。それから、隣町、塩川での総合文化祭・農業まつりへ出かけた。いつもと同じ、妻と孫2人と同伴だ。

 途中、SLの写真を撮ろうと、線路沿いのあちこちに撮影隊がそれぞれ準備をしながら列車の通過を待っていた。そんな光景を見ながら、いい趣味だなと思った。
数分後に通過すると聞いて、線路沿いの農道に車を止め急きょ撮影することにした。沿線にはすっかり秋の深まりを感じた。ひととき孫達も元気ではね回っていた。
 残念ながら、SLは上り下り各2列車の計画で、通過したのは下りの「特急あいづ」と上りの普通列車だった。近くでの撮影は迫力があり、楽しかったが、少し離れて、背景や前景を考えて撮る方がいいと思った。
 10年ほど前から磐越西線では「SLばんえつ物語」号として、SL<>を土、日曜日に走らせている。何年か前にも、マニアにつられて雪の中を疾走するSLを撮ったことがあった。

文化祭では、書道展、写真展、拓本、俳句・短歌展や、中学生の書画展示を鑑賞した。入り口で、偶然、磐越西線を走るポストカード(6枚組)をいただいた。
 そのうち、再度SL撮影に挑戦したいと思った。
 農業祭りで、柿やリンゴを求めて帰宅した。
 今日も、孫との充実した秋の1日を過ごすことができた。

庭に秋の実を見つける  (その2)

2006-11-03 | 自然観察
 昨日に続いて、庭の秋の実を探した。


ノブドウ・・・キンモクセイの木にからみついて、実が色づいてきた。何ともきれいなつや消しの宝石、不思議な青紫と赤紫の色がいい。







ヨウシュヤマゴボウ ・・・庭を出た路傍に見事にブドウの房を付けている。葉も茎の紅色に紅葉が始まった。 毒である。先日、実をつぶして絵を描いた。(参)ブログ10/4 「ヨウシュヤマゴボウで染める」







ハナミズキ・・・紅葉と実がきれいだ。アメリカヤマボウシともいい、アメリカハナミズキという呼び方は、ハナミズキとアメリカヤマボウシをちゃんぽんにしたもので間違いだそうだ。







サラサドウダンツツジ・・・ドウダンツツジは実が小さいが、サラサドウダンは大きくたわわに実りよく目立っている。紅葉の葉と実の造形には見惚れてしまう。








ウメモドキ・・・昔、伊達郡飯舘村の高原の川沿いで群生していたことを思い出した。 小さな実が宝石のようにきれいだ。











庭に秋の実を見つける (その1)

2006-11-02 | 自然観察
久しぶりに小春日を浴びて、庭に秋の実を探した。
結構いろいろあるものだ。条件さえ整い、運が良ければちゃんと芽を出すはずだ。

ヤマボウシ・・・ 食べられる。アカスジキンカメムシの幼虫が何時までもとまっていた



バラ・・・木の陰で結構大きく実が付いていた。昔は薬にしたらしい。
      妻は小学校のころバラの実を学校で集めた(売った)ことを思い出したそうだ。



サンショ・・・春先の緑色が、紅くなり、茶色になって、皮がむけて中から真っ黒な実。



ヤブラン・・・緑のみが黒ずんできた。株分けでどんどん殖えるが、実生で芽を出すだろうか。



スズラン・・・花が終わってからは忘れられていた。結構大きい橙色の実の中に白い種が5~6粒入っていた。
















思いの深い 11月

2006-11-01 | 日々の生活
11月はいろいろな記念日がある。
目出度い思い出の日が多いが、母を亡くしたのも3年前の11月だった。
改めて、これらの日々を振り返り、新しい日々の糧にしていきたい。

 結婚記念日 11/2
 当時、信州上田城址にある神社で式を挙げ、その後神社の横にある公民館での披露宴が懐かしく思い出される。ちょうど大学祭の最中に、友達がすべて計画してやってくれた。当時は珍しい会費制で、飛び入りが多く、盛大なお祝いを受けた。信州で青春の6年を過ごし、就職した年だった。あれからもう36年になる。

 妻と私の誕生日 11/8
 私に半年遅れで、妻は還暦を迎える。また、この日8日は、忘れられない私の再出発の日となった。3年前の8日、4ヶ月に及ぶ入院、闘病生活から九死に一生を得て退院した記念の日となった。私はこの日を新しい第2の誕生日と考えている。

 息子の結納   11/11
 親は早く落ち着けばと思いつつとうとう息子も33才になった。本人はいたってゆっくり構えていた。ようやく縁があり、結婚することになった。後は末娘だけとなった。
 式は来春の予定だ。嬉しい。

 表彰式   11/15
 はからずも県の表彰を受けることになった。先日、福島市での表彰式に出席との出欠確認の返信を出した。定年まで2年を残しての病気退職、受賞の資格があったのか疑いつつも、折角なので、自分の半生を打ち込んだ日々をふり返り、心の整理をしてみたいと思っている。

 末娘の誕生日 11/24
 早くいい人に巡り会えますように! 今の両親の一番の願いだ。

 娘の結婚記念日 11/23
 5年になる。4歳の男の子とと2歳半の孫娘に恵まれた。2年前にスープの冷めない、一軒置いた隣に家を持った。毎日、我が家で祖父母に見守られて、賑やかに過ごしている。

● 母の命日 11/29
 私の病魔からの生還を喜び、見届けて逝ってしまった。父にも母にも、今思うほどの親孝行ができなかったことをいつも悔やんでいる。