透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

書くことに意義がある

2007-05-11 | A あれこれ

 シルエット 

数日前の夕方、雲ひとつ無い西の空一面が薄いピンク色に染まった。常念岳の稜線に槍ヶ岳の頂が顔を出している。以前にもこんな写真を載せたような・・・。大人の夜のブログならこの写真で書くことがあるのだが・・・、今夜はしらふ。話題を変える。



● 日本建築学会発行の『建築雑誌』5月号の特集は写真の通り。何人もの建築史家が寄稿している。著書が何冊もあって有名な鈴木博之さんと藤森照信さん。ふたりとも小論を寄せているが、藤森さんの「建築史は社会に何ができるのか?」に応えて「何もできません」に注目。

少し長くなるが引用する。**ただ漫然とは見ない。それでは(建物が)死んだまま。相撲を取るように見る。建物が勝つか、自分が勝つか。相手の素晴らしさに圧倒されているだけでは負け。駄作、と思っただけでも負け。どうして素晴らしいのか探り、なぜダメだか考え、答えが見つかると勝ち。設計者が考えなかったであろう社会的背景とかに気づいたときも勝ち。見た建物をスケッチだけして何か得たと思ってはいけない。カメラに収めるだけはもっといけない。必ず考え、考えたことを言語化して書きとめなければ三件見たら忘れる。言語という人間の最も高い抽象能力のレベルまで純化しておかないと、三歩歩くと忘れてしまうのである。**

建築観察の基本を平易に説いている。肝に銘じておきたい。建築観察に出かけても写真を撮ってパソコンに保存して終りではいけないのだ。

建築観察してブログに「どうして素晴らしいのか、なぜ美しいのか」を書くことに意義はあるのだ。自分の能力以上の観察はできない。無能な自分をさらけ出してこれからも「書く」。

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● 昨日の☆は ということだったのかも知れないな・・・。