透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

根津美術館へ行こう

2009-10-12 | A あれこれ


 月刊誌「東京人」10月号は「東京 和の建築を見る。」を特集している。この特集のリード文を少し長いが引用する。

**明治から大正、昭和初期にかけて日本各地では、優れた和風建築が多くつくられました。西洋には見られない、日本ならではの風土と素材、名工たちの技術、独特の感性から育まれた心地のよい「和」の空間。洋風化する暮らしの中で、和風建築を見学したり、その暮らしに触れてみると、新しい発見があるようです。**

この雑誌に、藤森照信さんと小泉和子さん(日本家具・室内意匠史研究家とプロフィールにある)、隈研吾さんの座談会が載っている。

「身体の記憶を呼び起こす、軽くてモダンな「和」の空間」と題するこの座談会で隈さんは自身が設計して先日リニューアル・オープンした根津美術館について触れ**屋根からやらしい象徴性を取って気持ちよさだけを残すことはできないかと、思い切って棟瓦をなくしたんです。軒先をシャープな鉄板で終らせることで、軽やかさを出した。**と語っている。

隈さんはいつ頃からか「和」をデザインするようになった。サントリー美術館も「和」、根津美術館も「和」。

根津美術館を紹介するブログをいくつか読んだが、出来栄えがいいらしい。来月東京する予定。是非この「和」の美術館に行ってみたい。カフェも雰囲気がよさそうだ。

エントランスへのアプロー空間は「繰り返しの美学」か・・・。

明治からの看板

2009-10-12 | A あれこれ

 松本の山屋御飴所の屋外看板

山屋は創業が寛文12(1672)年、340年(!)近く続いてきた老舗の飴屋さんです。松本には昔から飴屋が多かったそうで、江戸時代には数十件もの飴屋さんあったともいわれているそうです。でも現在では数件しか残っていないそうで、山屋はその内の1件です(同店のHPを参照しました)。

今回路上観察したのは店の前の看板。

 

やはり山屋のHPによるとこの看板は明治時代のものだそうです。「御飴製造所」とあります。「御」という文字は屋根の直下で雨が掛かりにくいために比較的はっきりしていますが、一番下の「所」という文字は読みにくいですね。雨が掛かりやすい分傷みやすいですから。

それにしても丁寧に作られています。反りのついた屋根は銅板葺き。垂木(たるき)も当然すべて反っています。傷みやすい垂木の小口は銅板で包んであります。この写真では分かりませんが、柱から持ち出している梁(屋根を支えている持ち出し梁)には彫刻が施されています。看板の下にある腕木を支えている持送りにも彫刻が施してあります。

善光寺の灯ろうや松本市内の高橋家住宅(市内に現存する最も古いとされる武家住宅)を紹介した時にも触れましたが、柱は「根継ぎ」という技によって傷んだ部分が新しい部材に更新されています。

金輪継ぎという釘や金物を全く使わない継手が使われています。柱の角は古い部材に合わせてちょうなはつり(でいいのかな)の面取りがしてあります。

この飴屋さんの歴史を今に伝える貴重な看板です。