透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「日本人と日本文化」

2009-10-18 | A 読書日記

 歴史を川の流れに喩えるならば、司馬遼太郎は上空から俯瞰的に源流から河口まで、川の全景を捉えようとした作家だった。それに対して藤沢周平は川岸に立って、流れのディテールを捉えようとした。両作家はよくこのように対比的に捉えられる。

司馬遼太郎は歴史の流れをザックリと捉えてみせたし、川岸に立った藤沢周平は人々の日々の暮らしを捉えて作品にした。司馬遼太郎に「武士の一分」は書けなかったし、藤沢周平には「坂の上の雲」は書けなかった。

この週末に読んだ『日本人と日本文化』で司馬遼太郎は対談相手のドナルド・キーンに**やっぱり漢語では表現しにくい思いというものはあるかもしれないですね。ひょっとすると、これは少し大胆すぎる言い方ですけれども、上代日本人は「ますらおぶり」というものを、中国言語を通して学んだのじゃないか。だから原型的には、日本人というのは「たおやめぶり」の民族じゃないか。これはいかがでしょうね。**と発言している。

この発言にもものごとを大胆にザックリと捉えるという司馬遼太郎の特徴が出ていると思う。

この発言から対談は「ますらおぶり」と「たおやめぶり」について進んでいくが、ドナルド・キーンは**『万葉集』を読みますと、「ますらおぶり」というような調子の歌はかなりあります。(中略)一時的に無理して男らしさを発揮しても、ひとつあとの時代になると、男でも女でもまったく同じようなものを書くようになりました。ほとんど作家の男女が区別できない。場合によって、男の人が女性としてものを書きさえした。(後略)**と受ける。

残念ながら日本文学史の知識を全く持たないが、ふたりの対談を興味深く読んだ。

『日本人と日本文化』中公新書
1972年5月  初版
2003年5月 44版