032 松本市梓川 撮影日100710
■ 円錐形の屋根、頂部に矢羽根の飾り、円い見張り台。特にこれといった特徴の無い火の見櫓だが・・・。
脚元に目をやってびっくり。脚が地中に埋まっている。どうして? 理由が分からない。最初から埋められていたわけではもちろんないだろう。一体この火の見櫓に何があったんだろう・・・。後に埋土をしたわけでもない。他の場所から移設したとしてもこんなことにはならない・・・。
どうして? 理由が分からない。
032 松本市梓川 撮影日100710
■ 円錐形の屋根、頂部に矢羽根の飾り、円い見張り台。特にこれといった特徴の無い火の見櫓だが・・・。
脚元に目をやってびっくり。脚が地中に埋まっている。どうして? 理由が分からない。最初から埋められていたわけではもちろんないだろう。一体この火の見櫓に何があったんだろう・・・。後に埋土をしたわけでもない。他の場所から移設したとしてもこんなことにはならない・・・。
どうして? 理由が分からない。
030 松本市梓川(旧梓川村)
031 松本市安曇(旧安曇村)
■ 火の見櫓も道祖神も集落の辻に立ち、人びとの暮らしを見守ってきた。火の見櫓の直下に道祖神があることも少なくない。いや、道祖神は江戸の後期に盛んにつくられ、火の見櫓は昭和30年代前半につくられたものが多いから、時系列的には逆で、道祖神のあるところに火の見櫓が立っていることも少なくないと書くべきか。
前稿に載せた道祖神が火の見櫓の脚元に写っている(写真上)。下の写真の道祖神は残念ながら摩耗していて顔の表情は全く分からない。この道祖神も御影石に彫られている。抱肩握手像が納められているのは省略された社形か。
集落の歴史や文化、構造を読み解いていけば道祖神や火の見櫓の立つ場所の意味というか、必然性が見えてくるかもしれない。人びとが恣意的に場所を選んだとは到底考えられないから・・・。
松本市梓川にて
抱肩握手像。お互い相手の肩に手をかけ、男神が女神の手をしっかり握っている。双神、安らいだ表情の顔をぴったりとくっつけている。
梓川では花崗岩に彫られた道祖神を何体か見かけているが、いずれも像が摩滅しているのは石質に因るのか。この像は比較的状態が良い。