■ 北 杜夫の長編小説『楡家の人びと』の再読を終えた。小説では大正初期から昭和、終戦直後までの時代の大きな流れの中で楡家三代に亘る人びとが織りなす物語が描かれている。今回特に印象に残ったのは楡脳病院を創立した楡基一郎の長女と結婚、婿養子となった徹吉(徹吉は北 杜夫の父親、斎藤茂吉がモデル)。徹吉は基一郎亡き後、病院長を引き継ぐも、焼失した病院の再建や診療などの業務に忙殺される。その現実から、そして家族からも逃避するように「精神医学史」の執筆に多くの時間を割く。
こんな件がある。**(前略)徹吉は病院での診療についての自信喪失と同様、自分は家庭人としても根本的に不向きなのではないか、片寄った、偏頗(へんぱ)な、個人としても父親としても不適格な性格なのではあるまいか、という疑念が抗いがたく頭をもたげてくるのを感じた。
そうして、そのような寂寥、もの足りなさ、索漠とした感情を抱いて徹吉が自分の部屋に戻るとき、わずかばかりの焼け残りの書物のある自室の机の前に座るとき、彼ははじめていくらかほっとした、自分自身の時間をとり戻せるような気がした。(中略)自分ひとりの時間、深夜の、ほんの幾何かの、しかしかけがえのない、しんと年甲斐もなく涙の滲むような時間。**(上巻334頁)
物語の終盤。太平洋戦争の末期、戦禍を逃れて生まれ故郷の山形に疎開した徹吉。戦争が終わって間もなく、彼は自分の来し方を回想、総括する。**愚かであった、と徹吉は思った。自分は、――自分の一生は一言でいえば愚かにもむなしいものではなかったか。あれだけあくせくと無駄な勉強をし、そのくせわずかの批判精神もなく、馬車馬のようにこの短からぬ歳月を送ってきたにすぎないのではないか。(後略)**(下巻439頁)
続けて徹吉は次のようにも思う。**とにもかくにも、自分は自分なりに励んできた、働いてきた。それをも愚かなことといって悔いねばならぬのか。たとえ調子のよい養父の基一郎でもいい。ここに出てきて、ひとことこう言ってくれぬものか――「徹吉、お前はよくやった。もう一つ金時計をくれてやろう」**(440頁)
上掲した件を読んでいて涙がでた。我が人生に悔いはない、と総括することができたら、最高に幸せだろうなぁ。
北 杜夫が残したこの小説は白眉。もう一度読まねばならぬ。
**で引用範囲を示す。