透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

岐阜県輪之内町のマンホール蓋

2021-05-24 | B 地面の蓋っておもしろい




岐阜県安八郡輪之内町 撮影日2021.05.22


親子蓋 親蓋にはテトラポットのようなパターンが施されている。

 マンホール蓋の写真を撮るときは火の見櫓を背景にするという条件を付けている。22日(土曜日)に岐阜県輪之内町まで道路またぎを見に出かけたが、その時マンホール蓋の写真も撮った。背景はもちろん道路またぎ。

輪之内町のマンホール蓋には町の木・ウメ、町の鳥・ヒバリ、町の花・タンポポが具象的に描かれている。このように町村で決めている木や花を蓋にデザインすることはよくある。この蓋のデザインからは特に特徴は見いだせない。


 


火の見櫓雑感

2021-05-24 | A 火の見櫓っておもしろい

 

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 この火の見櫓のようにきちんとメンテナンスされている火の見櫓もあるが、その一方で現役であるのにもかかわらず錆びて無残な姿を晒しているものもある。この違いは一体何に因るのだろう・・・。

どの火の見櫓にも誕生の物語があり、地域を見守り続けてきた長い歴史がある。その歴史をひも解けば、やはりいろいろな物語が明らかになるだろう。

この火の見櫓がピカピカなのは、今なお地元地域の人たちがこの火の見櫓に関心を寄せていること、言い方を変えれば火の見櫓と地域の人たちとの関係が保持されているということに因る。火の見櫓と地域の人たちの物語が作り続けられていると言うこともできるだろう。

10年以上も火の見櫓巡りを続けてきて、今思うことは表層的な見方しかしてこなかったということだ。それぞれの火の見櫓には物語があるというのに、その物語を読み解こうとはしなかった・・・。

言い訳するわけではないが、僕が惹かれるのは火の見櫓の姿形の多様性だ。だからずっと火の見櫓をものとして捉えてその魅力を見てきたのだし、それが楽しかったと言える。その背後にある物語、たぶん豊饒であろう物語には関心が及ばなかったのは当然といえば当然だ。ものごとへの関心の置きどころは人それぞれ違う。

火の見櫓の誕生物語を知ることは今となっては不可能ではないにせよかなり難しいということは確かだ。多くの火の見櫓は昭和30年代に建設されている。建設に係った人たちの当時の年齢を30代と若く仮定しても、90歳を超える。だから今現在存命の方はごく少数だろう。

火の見櫓残れど当事者残らずという状況で可能なのは建設記録などの資料を探し出してそれを調べること、当時の事情を聞き知る人に取材することだろう。その後の歴史、火の見櫓と人々とで紡ぎ出されてきた物語を知る人は少なくないだろうから取材できるだろうし、資料も見つかるだろう。今現在の両者の物語の取材はその気さえあれば容易だ。

NHKにファミリーヒストリーという番組があるが、あの番組のように個々の火の見櫓の歴史がひも解かれ、明らかにされたらすばらしいと思うし、感動に涙するかもしれない。

でも・・・、それは僕の仕事ではないなぁ。