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『データサイエンスが解く邪馬台国 北部九州説はゆるがない』安本美典(朝日新書2021年)
■ 今月の4冊目も新書。
畿内か北部九州か・・・。邪馬台国所在地論争。本書で著者・安本氏んは北部九州が圧倒的に有利であることを理詰めで説明する。データサイエンスによってこれだけ緻密に、明快に論じられてしまうと、畿内説を支持する論者は反論できないのでは。完璧なる詰将棋、と言う印象。安本氏は権威主義的な考古学界に対し、厳しい批判もしている。次のような指摘も。
**従来の方法を発展させて行くという進み方は、限界にきているのではないか。古代史像をつかもうとするばあいに、不正確で恣意的な「解釈」と、大幅な「空想」をともなうようになってきているようにみえる。**(224頁)
ところで一般人が邪馬台国と聞いてまず思い浮かべるのは「魏志倭人伝」だろう。何通りにも解釈できる所在地への方向、旅程に関する記述ついて、本書では触れていない。たったひとつの記述についてデータサイエンス的に扱うのは無理、ということは分かる。でも、と言いたい。この問題について、安本氏がどのように解釈しているのか、示して欲しかった。
この問題について松本清張が『陸行 水行』という短編で書いていたと思う。清張作品の文庫は全て古書店に引き取ってもらったので、確認できないが・・・。
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『データサイエンスが解く邪馬台国』の第1章「データサイエンスとの出合い」の第1節「私の研究歴」に著者が文学作品の文体を統計学的に研究していたことが紹介されている。この節は実に興味深い内容だ。
谷崎潤一郎と志賀直哉の文章の相違を複数の観点から統計的に分析すると、両者の違いが明快になることが示される。現代作家100人の作品を統計学的に分類し、各作家を作品の文体的な特徴を3次元の座標上にプロットした図は興味深い。
また、安本氏はこの節で源氏物語の「宇治十帖」の作者問題について、検定した結果についても取り上げている。「宇治十帖」については文体がそれまでの帖とは異なる印象を受けること、和歌の数が少ないことなどから作者が違うのではないか、という見解が昔からある。
邪馬台国について書かれた本に源氏物語のことが書かれているなどとは思いも寄らなく、びっくりした。安本氏は単なる印象論ではなく、直喩、色彩語、助詞など文体に関するいくつかの項目について計量分析を行い、「宇治十帖」には他の四十四帖と偶然とはいえない違いがあることを示している。
この本の購入動機については敢えてふれないが、結果オーライだったことを記しておきたい。