透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

五重塔について書こう

2007-07-07 | A 読書日記



 1957年(昭和32年)の7月6日未明、幸田露伴の『五重塔』のモデルになった谷中の五重塔が焼失した、ということをNHKのラジオ番組で知った。不倫関係の清算のために放火心中をしたことが原因だという。

ということで、今回は五重塔をとり上げようと思う。

手元に『五重塔はなぜ倒れないか』新潮社 があるが、ずっとBモードで来たので、急にAモードにはならない・・・。



● ならば、こちらの話題はどうか・・・。幸田露伴の娘が幸田文、孫が青木玉、ひ孫が青木奈緒と四代も文人が続く。青木奈緒のエッセイ集『うさぎの聞き耳』があるはずだが、書棚を探しても見つからなかった。 

青木玉の落ち着いた文章が好きで何冊か読んだがこのところ読んでいない。雨にうたれる紫陽花を見ながら読むといいのだが・・・。

阿川弘之は露伴に師事した。娘の阿川佐和子は小学校に入学するとき露伴からランドセルを贈ってもらった、と確か彼女のエッセイで読んだような気がする。おっと、これは間違い。阿川弘之が師事したのは志賀直哉だった。彼女は志賀尚哉から入学祝いにランドセルをプレゼントされたのだ。

そのことを確認しようと文庫本を何冊かあたってみたが見つからなかった。

● NHKのテレビ番組「美の壺」でも五重塔がとり上げられた。五重塔は古代インドのストゥーパ、即ち仏舎利を収めた墓が姿を変えたものだという。

で、番組によると五重塔の観賞マニュアルは

その一 軒の曲線に木の技を見よ
その二 層が刻むリズムを味わえ
その三 塔に込められた祈りを感じよ  

だそうだ。

奈良、京都には五重塔がよく似合う。今のように高層ビルがなかった時代には五重塔は遠くからもよく見えるランドマークだっただろう。

紅葉の季節に出掛けたい。


七夕の夜に願うことは

2007-07-07 | A あれこれ


 昨晩書いたブログの誤りに今朝通勤途中で気がついた。阿川弘之が師事したのは幸田露伴ではなくて志賀直哉だ。幸田露伴と志賀直哉を間違えるなんて・・・。昔から人の名前をよく間違えるが、これはひどい。アルツハイムに引っ越さなくては。

露伴が亡くなってもう60年になる。阿川佐和子さんは今年53歳。だから彼女のランドセルを露伴が贈るということはあり得ないじゃないか。



そう、阿川佐和子さんは志賀直哉からランドセルを贈ってもらったのだ。そのことはここにある本のどこかに書いてあると思うのだが、さがせない。

さて、前稿を書き直そう。