透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「まつもと」の位置付け

2007-07-22 | A あれこれ

■ 雑誌「新建築」の2004年7月号に「まつもと市民芸術館」が載っている。同誌に設計者の伊東豊雄さんが「ピュアな美しさより生き生きとした楽しさを」という長文を寄せている。また藤森照信さんの「塀の上の伊東さん」と題する伊東建築に関する評論も掲載されている。

伊東さんは自作をきちんと語ってくれる数少ない建築家の一人。また藤森さんは伊東作品を高く評価する建築史家というか建築評論家。少年時代を信州諏訪で過ごしたという共通体験をもつ二人は仲良し、友達だ。だから藤森さんの伊東さんの作品の評価についてはそのことを考慮しなくてはならないだろう。

高過庵/藤森照信


ある雑誌の確か表紙だったと思うが二人が高過庵(写真)の窓から笑顔を出している写真を見た記憶がある。

伊東作品や藤森作品については以前拙稿をこのブログに何回か載せた。そのときに二人の論文を読んでいたかどうか記憶が曖昧だ。「新建築」は毎号きちんと目を通しているつもりだから読んだとは思うが・・・。

**私は「せんだい」まで薄く軽い透明度の高い皮膜によって内/外の境界を消失させようと考えていた。しかし薄さと軽さに執着すればするほど、逆に境界は大きな存在として私の前に立ちはだかってきた。つまり、そのとき建築は抽象的な存在として、環境から自立してしまうのである。透明性の罠であり、ミース的近代建築が本質的に内包する矛盾である。**

続けて伊東さんは**「まつもと」のGRC板のように「もの」の具体性を失わない素材を用いた途端に、この矛盾から解放されたように感じたのだ。(中略)ピュアな透明さへの希求がこんなにも自らを呪縛していたのかと痛感せざるを得なかった。**と書いている。

GRC板:例のあわあわな壁のこと ガラス繊維で補強されたセメント板

既にブログに書いたことだが内藤廣さんは環境から自立した近代建築を宇宙船のようだと批判した。宇宙船と聞くと具体的には妹島さんの「金沢」をイメージしてしまう、内藤さんがそれを意識したのかどうかは分からないが。伊東さんも「せんだい」までは「宇宙船建築」の旗手のひとりだった、と評してもいいだろう。

その伊東さんが、きちんと自作を分析評価して方向転換したのだ。その転換後の第一作が「まつもと」ということになる。「まつもと」もコンペの段階では外壁は「透明」だった。それを実施設計の段階で「あわわな壁」に替えたのだ。伊東さんの柔軟な姿勢はやはり凄いと思う。頑なに自分のスタイルを変えないことの方がむしろたやすいのではないか。

藤森さんはこの伊東さんの変化を抽象性を求める白派から実在性に立つ赤派へ越境し始めていると評している。ただ完全な越境ではなくて、赤と白の境界の塀の上を歩いているというわけだ。


まつもと市民芸術館のワインレッドな主ホール/伊東豊雄

藤森さんは**その赤がいかにも伊東らしくきれいに吹き出したのが「まつもと市民芸術館」ということなんだろう。赤を通り越して赤黒い私としてはとてもうれしい。**と書いている。

伊東さん、このホールの「赤」って、「白」から「赤」への転向表明なんですか? ワインを飲んでいて思いついただけっていうことだったりして。

追記:「赤ワインで酔っぱらったような感じ」。これが伊東の最初のイメージだった。 
   『にほんの建築家伊東豊雄・観察記』に出ていた。