透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

閉じている

2009-05-20 | A あれこれ



■ JIA会報の最新号の表紙に伊東豊雄さん設計の「座・高円寺」の外観写真が載った。「座・高円寺」(杉並区立杉並芸術館)はJR高円寺駅のすぐ近く、既に電車から2回見た。自閉的な建築という印象だ。機会があればカフェ体験くらいはしたいと思う。

この会報に伊東さんの「座・高円寺」を語るという講演記録が載っている。伊東さんは桜の木の下にまん幕1枚を張り巡らすことで、そこが日常と区別され、華やいだ場所になるとし、それこそが建築の原点だと語ったようだ。

先月NHKのテレビ番組「プロフェッショナル」に出演した際にも伊東さんはこのことをイラストを示して語っていた。まん幕の中で人は踊ったりねころんだり自由に振舞う・・・、この姿こそが伊東さんの理想の建築なんだとか。

しばらく前、桜の木の下も建築なんだ、と書いたが、さらに伊東さんが考えるようにまん幕を張り巡らして領域を明確に規定すれば、それはもう間違いなく「建築」だろう。

内でもあり外でもあるような、内外の区別が曖昧な「弱い秩序」の建築を伊東さんは創りたいそうだ。それにしては「座・高円寺」はキッチリ閉じている。


 


やはり仏像ブームなんですね

2009-05-19 | A あれこれ
  

 やはり仏像ブームなんですね。今日(19日)の朝刊(信濃毎日新聞)にこんな記事が載りました(写真)。ここには写っていませんが、『仏像の本』山と渓谷社 を出版した仏像ガール(広瀬郁実)さんが紹介されています。

大学で仏教美術を学んだ広瀬さん(確かモデルのはなさんもそうでした)、高校生の時、京都の三十三間堂の千手観音を前に涙があふれてとまらなかったそうです。

この仏像ブーム、混迷の時代だから仏像に心の安らぎを求める、という本来の意義よりも、芸術作品としての仏像の美に惹かれる、魅力を感じるという方のほうが多いのではないでしょうか。少なくとも私はそうです。仏像の姿の美しさや表情の豊かさに惹かれます。にわかに信心深くなったわけではありません。

それに仏像にはいろんな種類があって、それぞれいろんな役割、意味を負うている。その意味を知りたい、という知的(というほどでもありませんが)好奇心もあります。

今年はもうこれでいくしかありません。機会があるごとに仏像鑑賞をしたいと思います。紫陽花に加えて仏像の鎌倉・・・。今年も鎌倉に行きたいです。奈良も京都も、そして東北も。ああ、行きたいところが増えるばかり・・・。


執念の作家 松本清張

2009-05-16 | A 読書日記

 松本清張が芥川賞を受賞していると聞くと少し意外な感じがしないでもない。事実、受賞作の『或る「小倉日記」伝』ははじめ直木賞の候補作だったそうだ。それが、この作品には芥川賞がふさわしいということになったらしい。そのような指摘を誰がしたのかは、忘れてしまった。



今年は松本清張生誕100年にあたる年。ということで今日(16日)、NHKアーカイブスで松本清張の特集番組が放送された。30年以上も前に放送されたドラマ「依頼人」(主演:太地喜和子)と「或る「小倉日記」伝」のドキュメンタリー番組。

「依頼人」は何本かつくられた清張ドラマシリーズの作品のひとつ。当時このシリーズを見ていたという記憶がある。清張自身がこのシリーズに毎回台詞つきのチョイ役で出演していたことを思い出した。今日の放送でも清張の出演シーンが数例紹介された。

「或る「小倉日記」伝」は小倉在住時代の森鴎外の事跡を追求する青年の物語。小倉時代の鴎外の「小倉日記」の所在が当時不明だったのだ。

青年は実在の人物、田上耕作をモデルにしているが、母親と二人暮しにするなど事実とは異なる設定にしている。生年も清張と同じに変えている。分からないことを「執念」で追求する主人公の姿は清張の投影というか清張自身。

今日、この短編を再読してみた。田上は言葉と脚が不自由な青年。母親はわが子にひたすら愛情を注ぐ。

『砂の器』ではハンセン病に罹患した父親が子どもと共に故郷を追われ放浪の旅に出るが、この二組の親子の不幸をかかえながら、あるいは不幸故に強い絆で結ばれた関係がどこか似ているような気がした。

清張の短編小説はラストが印象的だが、この小説では所在不明だった「小倉日記」が主人公田上の死後、見つかるところで次のように終っている。**昭和二十六年二月、東京で鴎外の「小倉日記」が発見されたのは周知のとおりである。(中略)田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福かわからない。**

番組では松本清張へのインタビューも放送された。執念という言葉を繰り返す清張は**最後まで挑戦する気持ちが一番大事じゃないかと思う。**とコメントを結んだ。

『或る「小倉日記」伝 傑作短編集(一)』新潮文庫


京都の空間の魅力を読み解く

2009-05-16 | A 読書日記



 京都の神社、寺院、庭園の魅力を建築家の著者が「分けて繋ぐ」「見立てる」「奥へ」「くずす、ずらす」「透ける」「墨絵の世界」など、12のキーワードによって読み解く。

「くずす」**中国のシンメトリーの空間のかたちも日本に入ると寝殿造りのように「くずす」ようになることが見られる。**

「シンメトリー、左右対称は繰り返しのパターンのひとつだが、それが日本では繰り返さないという美学に転化される」ということ。

「墨絵の世界」**街はバラバラに集合していても、何か、「地」になるような共通要素を持っていると美しく見えるように思う。**

これも繰り返しの美学、「ゆるやかに秩序づけられた街並みは美しい」という指摘だと自分の視点に沿って理解する。

空間の魅力は「構成要素の繰り返し」というひとつの視点だけではもちろん捉えきれるものではない。その魅力はもっと多様なものだ。著者が設定した12のキーワードのうち「透ける」と「生けどる」は似たような概念ではないかと思う。

「生けどる」は具体的には「借景」という手法に代表される概念。遠くの景色を生けどる借景。それを可能にするのが「透かす」という手法。屋根の下に構成されている壁のない柱だけの空間が「透かす」を可能にする。木造だからこそ可能な「透かす」。外壁をガラスにするだけでは成立しない、日本的な空間構成。

著者は学生時代にこの「透かす」という言葉を西沢文隆さんの文章の中に見つけたという。

これからは「透かす」という視点を意識して空間観察をしてみよう。なにか面白いものが見えてくるかもしれない・・・。

『京都の空間意匠 12のキーワードで体験する』清水泰博/光文社新書


「安部公房全集」完結

2009-05-16 | A 読書日記

 1997年に刊行が始まった「安部公房全集」新潮社がようやく完結したと先日新聞で知った。この全集、全30巻そろえると18万円以上になる。とてもまとめて購入できない。このような全集こそ図書館でそろえて欲しい。

すぐにブックオフ行きとなるような本まで図書館でそろえる必要があるのかどうか。図書館にはまともな本をきちんとそろえ、保存する使命(といえば大袈裟か)があると思う。



安部公房は高校生の頃、人気があった。『砂の女』や『箱男』などを最近再読した。

**アイデンティティーの喪失や都会の孤独を描いた作品は、混沌とした二十一世紀にふさわしい「現代文学」として再び注目を集めそうだ。**と新聞記事にある。

『第四間氷期』については**万能コンピューターが過酷な未来を予測する。**とある。はるか昔に読んだ本で内容は全く覚えていない。読みかけの本を一通り読み終えたら、再読してみようかな。


平出遺跡の倉

2009-05-14 | A あれこれ




■ 塩尻の平出遺跡は日本三大遺跡のひとつに数えられる。この遺跡に倉が復元された(元の形が正確には分かっていないから復元ということなのかどうか)。栗やくるみなど木の実を保存したのか、穀類を保存したのかは知らない。

掘建て柱の途中につけられた刀の「つば」のようなものは何?

これはねずみ返し。ねずみは柱を伝って登ろうにもこのつばを越えて上に行くことはできない・・・。なかなか賢い工夫だ。

屋根棟の納め方は今の茅葺の民家と変わらない。建築の基本的な形って縄文の昔からあまり変わらないのか・・・。


仏像ブーム

2009-05-14 | A あれこれ



■ やはり今は仏像ブーム、このことを昨日の朝のローカルなラジオ番組で聴いた。上野で開催中の阿修羅展は1日1万人もの入場者があるそうだ。会期中に見込まれる入場者数は、なんと100万人にもなるという。

イケメン阿修羅のファンクラブまであるのだとか。しばらく前に確かNHKのTV番組でモデルのはなさんが阿修羅と対面するシーンを放送していた。彼女は大の仏像ファンとのこと。これから仏像に対面すると思うと胸がときめくらしい。まあ、理屈ではなく、感性で鑑賞する、そういう鑑賞法もある、ということだろう。そのことは先日読了した『仏像』にもあった。

興福寺に安置されていれば阿修羅の横顔を正面から見ることは出来ないが、上野では彫刻同様、360度ぐるっと鑑賞できる。従って、両側面の顔も正面から鑑賞できるというわけだ。

会期中に上京する機会があるかもしれない。そのときは何とか時間をつくって阿修羅と対面したいと思う。

仏像がマイブームになりつつある。


妻垂れ

2009-05-12 | A あれこれ


■ 先日塩尻市内を車で走行中、この蔵を見かけた。引き返して路上観察。

この頃は金属サイディングなどに改修されてしまった「妻垂れ」もよく見かける。しかしこれは木製、従来の姿を留めている。

先日塀の腰壁を雨から保護するために木製パネルを架ける例を取り上げたが、妻垂れも同様、壁面保護のために設置されている。漆喰は雨に弱いから。

妻垂れは長野県内では諏訪地方でよく見かけるが、以前、三重県や高知県、さらに韓国はソウル市外でも見かけた(写真)。



蔵のデザインにも地域性があって面白い。

「恋文の技術」

2009-05-11 | A 読書日記


 『恋文の技術』ポプラ社を読み始める。帯には**ほろにが可笑しい新・書簡体小説、誕生!**とある。 まあ、作家になるくらいの人は皆、文才があるものだろうが、森見登美彦という作家の文才はなかなかのものかもしれない。

この作家、『夜は短し歩けよ乙女』がベストセラーになった。一昨年のことだったと記憶している。この小説は早くも文庫化された。気になっている作品ではあるが、未読。今度読もう。ストライクゾーンの作品かも。

名前

2009-05-10 | A あれこれ

 

 しばらく前に読み終えた和辻哲郎の『風土』岩波文庫は、学生時代に単行本で読んでいた。その本を探していたが、いままで見つからなかった。でもさっき、ようやく見つけた。探しているところとは全く別の棚にあった。書棚を少し整理しないと本が見つからない。

ずっと気になっていたからよかった。箱入りの単行本だが、ちょうど文庫と同じ定価、700円だった。

 

 この作家が女性だとは知らなかった。読み始めて、とても女性的な文章だなと思った。途中であとがきを読んでみると**このお話を書くきっかけになったのは、旦那の何気ない一言と担当者さんの熱意です。**とあった。旦那・・・、そうか女性作家なんだ、と気がついた。カバーをよく見るとHIRO ARIKAWAとあった。浩は「ひろし」ではなく、「ひろ」と読むのだ。

山口瞳は若い人には馴染みのない作家だと思うが、よく女性と間違われたらしい。桜庭一樹は女性と思われるのがいやで、あえて男の名前にしたといつか本人がテレビ番組で語っていた。北村薫の本を女性作家のコーナーで見かけたこともある。性別不明な名前ってどうだろう。

電車が舞台の小説、なるほどこれはありだなと思う。敢えて内容には触れないでおく。作品の雰囲気がこの本を貸してくれたMさんの人柄となんとなく重なるような気がした。読む本は人柄を表すのだろう。とすると、私は一体どんなイメージで伝わっているのだろう・・・。


路上観察 本棟造り

2009-05-10 | A あれこれ
 ここ、松本平の民家といえば本棟造り。ゆるやかな勾配の大きな切妻屋根、幅の広い破風、棟端飾りの大きな烏おどし(雀おどり)、妻面(正面)2階の格子窓、柱と貫による壁面構成などが特徴として挙げられる。洗練された力強い意匠。


        塩尻市内にて路上観察 090510

所用で出かけた塩尻市内の山際の集落で路上観察した。まだ何棟も本棟造りの民家が残っているが、今や板葺きの屋根などもちろん無く、烏おどしや破風を鋼板で包んでしまっているものがほとんど。残念だがメンテナンスのことを考えると仕方がない。
         
この民家は正面の庇が瓦葺だが、昔は石置き柿(こけら)葺きだったはずだ(先日見学した松本の高橋家住宅は瓦葺に改修されていた屋根を本来の石置き柿葺きに戻していた)。



ここでも塀に注目。腰壁が幅二間の下見板張りのパネルになっていて高橋家住宅同様、取り外しが出来るようになっている。パネルのジョイント部分は上下2ヶ所、L形の受け金物で留めている(写真)。パネル上端部の位置には塀に木の水切が付けてある。パネルの裏側に雨水が入らないようにする配慮か。丁寧な造りだ。

この春に馬籠宿に出かけた際に見かけた蔵にも板張りのパネルが設置されていたが、特に注目もしなかった。残念。

あることに注目し始めると、今まで見えなかったものが浮かび上がって来る。やはり漫然と見るだけではダメだ。

十和田市現代美術館

2009-05-10 | A あれこれ



「U1さんGWはどこかに出かけましたか」
「そういう質問にはGW中は遠出もせず、巣ごもり状態だった、って答えて終らせてはいけないんだね。同じ質問をして欲しいって見抜かないと。きっとKちゃんはどこかにでかけたんでしょ。で、どこに行ってきたの」
「はは、そうなんだ・・・。自分に同じ質問をして欲しいっていう気持ちが出てしまうんですか。実は東北旅行してきました。連休目一杯使って」
「やっぱりね。東北か、いいな。前から東北には行きたいって思っているんだよね」
「盛岡まで新幹線で行って、あとは友だちと車で角館と弘前に行ってきました。十和田市現代美術館にも行きましたよ」

「あの美術館、観てきたんだ」
「面白かったですよ」
「写真、いっぱい撮った?」
「ええ、でも建物はあまり撮ってないです。写真、へたっぴぃだし」
「見たいな。いまカメラ持ってない?」
「持ってない。持ってても全部の写真は見せませ~ん」

「露天風呂で写真を撮ったとか?」
「そうで~す」
「それ、見たい」
「やだ。美術館のパンフレットならあります」



「そう、このプランね」
「なんだか白い箱を適当に並べたって感じ、でした。ガラスの廊下が暑かったです。美術館ってもっと重厚なイメージがあるんだけど、そういうのとは全然違ってました」
「重厚って、ルーブル美術館のような? 渡り廊下、やはり暑かった? 空調も効かないだろうしね」
「暑かったです。温室みたいでした。真っ赤な蜘蛛かな、大きな作品が屋外にあって、目立ってました。壁が白だから、よけいそうなのかも。それが気に入って写真、何枚か撮りました」
「椿昇っていう作家のだね、パンフレットに載ってる」

「あ、そう。これです。この美術館って展示作品の方が先に出来ていたんですか?それとも美術館が先?」
「どうなんだろうね。既に作品が出来ていて、それにあわせて展示空間の大きさを決めたのもあるかも知れないね。それと、完成した空間を見て、作品をイメージしたのもあるかも知れない」
「建築と作品の関係がピッタリ決まってるって思いました。エントランスホールの床も作品だと思いますけど、すごくきれいでした。パンフレットに載ってますけど」
「これね。壁と天井が真っ白だから、床の色が引き立つね。現代アートってやはり都市や建築と切り離せない関係にあるから。きれいだね。実際に観てみたいな。東北か、行きたい・・・」


「プリンセス・トヨトミ」

2009-05-08 | A 読書日記



 
万城目学の作品は「京都」も「奈良」も読んでいない。「大阪」が初めて。

この「大阪」、『プリンセス・トヨトミ』は500頁もある長篇だが、どうも終盤を除いては全体的に冗長ではないかな、と思った。頭のいい作家が机の上だけで練り上げた、という印象。

カバーに登場人物3人が描かれているので、人物像を文章からイメージする余地がほとんど無いのは、私としては残念
。皆が振り返るような会計検査院の美人検査官を自分なりにイメージしてみたかった。

どちらかというと若い人に支持される作品かもしれない。親子の絆、友情・・・? 歴史をモチーフにした大風呂敷なファンタジー? メッチャ好っきゃねん大阪? この作品のテーマはなんだろう・・・。連休中にザックリと読んだ。

有川 浩の『阪急電車』幻冬舎。これも「大阪」同様Mさんに貸してもらった本。この作家の作品も今まで読んだことがなかった。この週末に一気飲み、じゃなかった一気読みをしよう。書店で手にとってもまず買い求めない作品を読む機会を得たことに感謝。

もう一冊、しばらく積読状態だった吉村昭の『間宮林蔵』講談社文庫も読み始めた。読了するのはこちらが先になるかもしれない。




仏像鑑賞

2009-05-07 | A あれこれ


 しばらく前「ブルータス」で仏像を特集していた。そして「一個人」の最新号も仏像特集。ともに表紙が興福寺の阿修羅像なのは、東京国立博物館 平成館で阿修羅展が開催中だからだろう。今って仏像ブームなんだろうか。

「一個人」ではかなり詳しく仏像について解説しているが、残念なことに仏像が安置されている御堂の様子がわからない。興福寺の阿修羅像は西金堂に安置されているとのことだが、それがどんな建物なのか分からない。

いきなり仏像のディテールに迫るのではなくてまず安置されている環境が分かるようにして欲しかった。まあ、ネット検索すればいくらでも情報を得ることが出来るだろうけど。でもずっと本から情報を得てきた世代としてはやはりそういう情報も載せて欲しいと思う。

先日NHKブックスの「仏像」を読み、更にこの2冊の雑誌を読んだから、如来や菩薩の名前を覚え、手印にはいろんな意味があることを知り、持ち物や着物にもいろんなものがあることを知った。

仏像は観る位置はもちろん、季節や天候、御堂への外光の入り方などによっても表情が変わる。それを観る者の心の投影と捉えることもあるようだ。

これからは寺を訪れる機会があれば少し時間をかけて仏像を鑑賞しよう。心静かに仏像と対峙すれば、何か感じることがあるだろう。

高橋家住宅公開

2009-05-06 | A あれこれ
 松本市重要文化財に指定されている高橋家住宅の復元工事が終了して一般公開が始まりました。高橋家住宅は松本市内に残る数少ない武家住宅で、パンフレットによると長野県内でも最も古い建物の一つだそうです。所在地は松本市開智2丁目。松本城から北へ徒歩で10分足らずのところにあります。

土壁の塀の屋根は目板葺き。厚い板の継ぎ目を細い板(目板)で塞ぐ単純な構法。腰壁には板張りのパネルが架けられています。雨に弱い土壁を守るために設けられているのでしょう

パネルにしてあるのは取り外しが出来るようにするためで、維持管理を容易にする工夫。古くなったら取り外して新しいパネルと交換すればいいのです。


腰に板張りのパネルが架けられているのは道路側だけで、内側にはありません。雨から土壁を守ることの他に何か理由があるのかもしれません。

▽妻壁にも板張りのパネルが設置してありました。


武家住宅の屋根はさわら材の柿(こけら)葺き、石置屋根。さわらは水に強く腐りにくい材料で、善光寺の三門の屋根の修理にも使われました(善光寺の屋根は柿板より厚い板を葺いた栩葺き(とちぶき)です)。

▽簡素な北庭。縁側の柱は根継ぎがしてありました。

▽説明パネルの平面図。田の字型のプランです。


▽つぎのまから八帖のざしきを見たところ(部屋名は説明パネルのようにひらがな表記にすることが多いように思います)。


▽つぎのまからいまを見たところ。曲がった梁に合わせてつくった障子欄間、無地のふすま、簡素で美しい空間です。


いまには天井がなく小屋組みが表しになっていました。梁にかなり曲がった材料が使われていることから、この住宅の建築年代が古いことがうかがえます。

▽おくのま 床と地袋のプロポーションに注目。


ものの無いスッキリした空間は気持ちがいいです。このようなすまいで送る清貧な生活もいいかもしれません。