■ 松本清張が芥川賞を受賞していると聞くと少し意外な感じがしないでもない。事実、受賞作の『或る「小倉日記」伝』ははじめ直木賞の候補作だったそうだ。それが、この作品には芥川賞がふさわしいということになったらしい。そのような指摘を誰がしたのかは、忘れてしまった。
今年は松本清張生誕100年にあたる年。ということで今日(16日)、NHKアーカイブスで松本清張の特集番組が放送された。30年以上も前に放送されたドラマ「依頼人」(主演:太地喜和子)と「或る「小倉日記」伝」のドキュメンタリー番組。
「依頼人」は何本かつくられた清張ドラマシリーズの作品のひとつ。当時このシリーズを見ていたという記憶がある。清張自身がこのシリーズに毎回台詞つきのチョイ役で出演していたことを思い出した。今日の放送でも清張の出演シーンが数例紹介された。
「或る「小倉日記」伝」は小倉在住時代の森鴎外の事跡を追求する青年の物語。小倉時代の鴎外の「小倉日記」の所在が当時不明だったのだ。
青年は実在の人物、田上耕作をモデルにしているが、母親と二人暮しにするなど事実とは異なる設定にしている。生年も清張と同じに変えている。分からないことを「執念」で追求する主人公の姿は清張の投影というか清張自身。
今日、この短編を再読してみた。田上は言葉と脚が不自由な青年。母親はわが子にひたすら愛情を注ぐ。
『砂の器』ではハンセン病に罹患した父親が子どもと共に故郷を追われ放浪の旅に出るが、この二組の親子の不幸をかかえながら、あるいは不幸故に強い絆で結ばれた関係がどこか似ているような気がした。
清張の短編小説はラストが印象的だが、この小説では所在不明だった「小倉日記」が主人公田上の死後、見つかるところで次のように終っている。**昭和二十六年二月、東京で鴎外の「小倉日記」が発見されたのは周知のとおりである。(中略)田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福かわからない。**
番組では松本清張へのインタビューも放送された。執念という言葉を繰り返す清張は**最後まで挑戦する気持ちが一番大事じゃないかと思う。**とコメントを結んだ。
『或る「小倉日記」伝 傑作短編集(一)』新潮文庫
■ 京都の神社、寺院、庭園の魅力を建築家の著者が「分けて繋ぐ」「見立てる」「奥へ」「くずす、ずらす」「透ける」「墨絵の世界」など、12のキーワードによって読み解く。
「くずす」**中国のシンメトリーの空間のかたちも日本に入ると寝殿造りのように「くずす」ようになることが見られる。**
「シンメトリー、左右対称は繰り返しのパターンのひとつだが、それが日本では繰り返さないという美学に転化される」ということ。
「墨絵の世界」**街はバラバラに集合していても、何か、「地」になるような共通要素を持っていると美しく見えるように思う。**
これも繰り返しの美学、「ゆるやかに秩序づけられた街並みは美しい」という指摘だと自分の視点に沿って理解する。
空間の魅力は「構成要素の繰り返し」というひとつの視点だけではもちろん捉えきれるものではない。その魅力はもっと多様なものだ。著者が設定した12のキーワードのうち「透ける」と「生けどる」は似たような概念ではないかと思う。
「生けどる」は具体的には「借景」という手法に代表される概念。遠くの景色を生けどる借景。それを可能にするのが「透かす」という手法。屋根の下に構成されている壁のない柱だけの空間が「透かす」を可能にする。木造だからこそ可能な「透かす」。外壁をガラスにするだけでは成立しない、日本的な空間構成。
著者は学生時代にこの「透かす」という言葉を西沢文隆さんの文章の中に見つけたという。
これからは「透かす」という視点を意識して空間観察をしてみよう。なにか面白いものが見えてくるかもしれない・・・。
『京都の空間意匠 12のキーワードで体験する』清水泰博/光文社新書
■ 1997年に刊行が始まった「安部公房全集」新潮社がようやく完結したと先日新聞で知った。この全集、全30巻そろえると18万円以上になる。とてもまとめて購入できない。このような全集こそ図書館でそろえて欲しい。
すぐにブックオフ行きとなるような本まで図書館でそろえる必要があるのかどうか。図書館にはまともな本をきちんとそろえ、保存する使命(といえば大袈裟か)があると思う。
安部公房は高校生の頃、人気があった。『砂の女』や『箱男』などを最近再読した。
**アイデンティティーの喪失や都会の孤独を描いた作品は、混沌とした二十一世紀にふさわしい「現代文学」として再び注目を集めそうだ。**と新聞記事にある。
『第四間氷期』については**万能コンピューターが過酷な未来を予測する。**とある。はるか昔に読んだ本で内容は全く覚えていない。読みかけの本を一通り読み終えたら、再読してみようかな。