春のフォトアルバム 100415
かたくりはまだつぼみ
うつむいて別れ雪と何を語るのか・・・
つつましく われは遊ばむ こだまする
朝日のむらは 青やまのあひだ
しだれ桜の下(*)の歌碑には、国文学者、民俗学者で歌人としても有名な折口信夫(おりくちしのぶ)の歌が刻まれています。
以前 會津八一の書碑を取り上げたとき、同じ場所に建つこの歌碑もいつか取り上げたいと書きました。
昭和初期 朝日村では折口信夫を小学校に招いて講義を受けたそうで、そのおりに朝日村の自然を愛でた折口がこの歌を詠んだということが歌碑の裏面に記されています。「青やまのあひだ」という表現は朝日村の地形を的確に捉えています。
ほぼ同時期に両大家が朝日村を訪れて講演を行っていることは驚きです。当時の村人が学ぶということに大変熱心だったということをふたつの石碑が伝えています。
*長野県朝日村の中央公民館(朝日小学校跡)の前庭
■『進化の設計』では自然(時に造物主とも表現しているが)を設計者に見立てて、著者、佐貫氏の専門の航空工学的な視点でその「作品」の評価をしている。そのことを紹介するために既に数回本文から引用したが今回も1ヶ所引用する。
**プテラノドン(*1)は翼竜の最高傑作であった。すでに八〇〇〇万年前ごろ、その設計者は完全な空気力学と飛行機力学を理解していた。これにはただ恐れ入るほかはない。**
*1プテラノドンはジュラ紀の翼竜。
本書のカバー折り返しに、進化と生命がテーマの類書が8冊挙げられている。その中に今西錦司の『進化とは何か』がある。この本を読んだのは1978年、30年以上も前のことだ。「今西進化論」といわれる独自の進化論、進化をめぐる哲学的な思索といってもいいかもしれない。読みたい本が次から次へと出てくるので再読の機会があるかどうか・・・。
さて、これから読み始めるのは『昆虫―驚異の微小脳』水渡 誠・中公新書。
**昆虫の行動を実現しているのは、一立方ミリメートルにも満たない小さな脳である。(中略)驚くべき巧妙なしくみがぎっしりと詰まっていて、自然が生んだ至高の知恵というべき洗練された働きをする。**
この本も『進化の設計』の関連本と言えなくもない。造物主によるミクロな神経回路の設計にヒトによる設計は追いついているのだろうか・・・。
会えない時間が 愛を育てるのです 目をつぶれば 龍馬さんがいます
加尾はこんな郷ひろみ的セリフを龍馬にぶつけたのかもしれません。4年ぶりの再会でした。この月日がふたりの関係をおとなの恋に熟成させていました。ふたりの間を隔てるものなど何もない一夜・・・。でも表現はいかにもNHK的でした(ま、いいか)。
加尾は高知、じゃなかった土佐に帰ってどうするんでしょう・・・。帰らない?帰るんですよね。中年オジサンとしては昨晩(11日)の加尾は檀れいがよかったなと思いました。武士の一分と重なって涙したかもしれません。
いままで大河ドラマをあまり見たことはありませんでした。でも、龍馬伝は見ています。映像は光の扱いが実にいい。室内に射し込む逆光で人物を浮かび上がらせるシーンが印象的。これからも光の扱いには注目です。
次回、龍馬は勝に会うために江戸へ行き、佐那と再会するんですよね。いちずに待ち続けていた龍馬と再会するとき、佐那はいったいどんな表情でどんなことを言うのでしょう・・・。
このドラマは魅力的な俳優ぞろいですが、私は乙女姉ちゃんが好きですね。芯の強そうなきりっとした表情がいいです。
これから、どんなふうに物語が展開していくのか、楽しみです。龍馬の奥さんになるお龍の登場はまだ先なのでしょうか・・・。
■ 路上観察 塩尻の蔵 100412
1 妻垂れは漆喰の壁を雨から保護するために設けられる。別に珍しいものではなく、塩尻市内でも見かける。長野県では諏訪地方から南信(県の南部)方面に多い。
この妻垂れはまだそれ程年数が経っていない。このように木が使われ、本来の姿が継承されているものを見ると嬉しくなる。金属サイディングなどに替えられてしまうこともあるが、それだと蔵にマッチしないし、美しくない。
2 平側の壁に設けられた上下ふたつの窓はそれほど大きくはないが、なかなか存在感がある。換気や採光のために最小限の窓は必要、防犯・防火上窓は不要。この相反する条件にどのように折り合いをつけるか。
両開きの戸と鉄格子がその答え。
■ 昼過ぎ、カフェ・シュトラッセへ。店の前の白梅がちょうど見ごろだった。
ケニヤを飲みながら、持参した『進化の設計』佐貫亦男・講談社学術文庫を読む。
この本には進化の過程で自然(造物主)がデザインしたさまざまな生き物のイラストが載っている(写真)。左の首の長い恐竜を見たときはなかなかいいデザインだと思った。
著者もエラスモサウルスというこの恐竜について**(前略)ある美しさが見られる。それは長い首、完全流線型の胴体、やはり流線型の前後肢の均整がとれた比率である。(中略)設計としては成功で、優れた手腕の作といってよい。**と、そのデザインの分析をしている。
イラストを見ていると自然(造物主)も試行錯誤しながらいろんな生き物をデザインし続けたことがわかる。中にはこんなデザインはないだろう・・・と思うようなものもある。いくら優れたデザイナーでもこれだけ多くの生き物のデザインをすれば中には失敗作も当然あるだろう。
**ノトサウルスとは見せかけトカゲの意味であるが、(中略)二流以下の、間に合わせ的制作であった点で、命名は的を射ている。ノトサウルスがつぎのジュラ紀まで残存できなかったのは当然であった。**
「長続きしているかどうか」が、デザインを評価する重要な観点であることを進化の歴史が教えてくれている・・・。優れたデザインは永い時の流れに耐える、建築も然り。
口を共用して上から時計まわりに 吾 唯 足 知 となって「われただたるをしる」と読むんですね。 ネットで検索すれば足る事を知れば不平不満が無く、心静かな生活を送ることができるというような意味だと説明文がでてきます。龍安寺にあるつくばいにも刻まれていてこのことばは有名ですね。
こののれんは上田市内の蕎麦屋さんにかかっているものです。先日ここで蕎麦をいただきました。のれんの文字を見て、そういえば同じ文字が京都の寺にもあったな、どこだっけ・・・、ふと龍安寺だと思い出しました。
口を共用してうまく考えたものです。全体のまとまりもいい。
ある程度の年齢に達すると吾 唯 足 知 を人生訓というか生活訓にしてもいいかもしれません。私などはもうその年齢かと・・・。でも若い人にはこんなことを考えず大志を抱いてほしいと、クラークさんと同じことを願います。土佐には収まりきらずに脱藩したあの龍馬のように・・・。