透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

青やまのあひだ

2010-04-14 | A あれこれ



つつましく われは遊ばむ こだまする
朝日のむらは 青やまのあひだ

しだれ桜の下()の歌碑には、国文学者、民俗学者で歌人としても有名な折口信夫(おりくちしのぶ)の歌が刻まれています。

以前 會津八一の書碑を取り上げたとき、同じ場所に建つこの歌碑もいつか取り上げたいと書きました。

昭和初期 朝日村では折口信夫を小学校に招いて講義を受けたそうで、そのおりに朝日村の自然を愛でた折口がこの歌を詠んだということが歌碑の裏面に記されています。「青やまのあひだ」という表現は朝日村の地形を的確に捉えています。

ほぼ同時期に両大家が朝日村を訪れて講演を行っていることは驚きです。当時の村人が学ぶということに大変熱心だったということをふたつの石碑が伝えています。

長野県朝日村の中央公民館(朝日小学校跡)の前庭


「昆虫―驚異の微小脳」

2010-04-13 | A 読書日記



『進化の設計』では自然(時に造物主とも表現しているが)を設計者に見立てて、著者、佐貫氏の専門の航空工学的な視点でその「作品」の評価をしている。そのことを紹介するために既に数回本文から引用したが今回も1ヶ所引用する。

**プテラノドン(*1)は翼竜の最高傑作であった。すでに八〇〇〇万年前ごろ、その設計者は完全な空気力学と飛行機力学を理解していた。これにはただ恐れ入るほかはない。**

*1プテラノドンはジュラ紀の翼竜。

本書のカバー折り返しに、進化と生命がテーマの類書が8冊挙げられている。その中に今西錦司の『進化とは何か』がある。この本を読んだのは1978年、30年以上も前のことだ。「今西進化論」といわれる独自の進化論、進化をめぐる哲学的な思索といってもいいかもしれない。読みたい本が次から次へと出てくるので再読の機会があるかどうか・・・。

さて、これから読み始めるのは『昆虫―驚異の微小脳』水渡 誠・中公新書。

**昆虫の行動を実現しているのは、一立方ミリメートルにも満たない小さな脳である。(中略)驚くべき巧妙なしくみがぎっしりと詰まっていて、自然が生んだ至高の知恵というべき洗練された働きをする。**

この本も『進化の設計』の関連本と言えなくもない。造物主によるミクロな神経回路の設計にヒトによる設計は追いついているのだろうか・・・。

 


「龍馬伝」

2010-04-12 | A あれこれ

会えない時間が 愛を育てるのです 目をつぶれば 龍馬さんがいます

加尾はこんな郷ひろみ的セリフを龍馬にぶつけたのかもしれません。4年ぶりの再会でした。この月日がふたりの関係をおとなの恋に熟成させていました。ふたりの間を隔てるものなど何もない一夜・・・。でも表現はいかにもNHK的でした(ま、いいか)。

加尾は高知、じゃなかった土佐に帰ってどうするんでしょう・・・。帰らない?帰るんですよね。中年オジサンとしては昨晩(11日)の加尾は檀れいがよかったなと思いました。武士の一分と重なって涙したかもしれません。

いままで大河ドラマをあまり見たことはありませんでした。でも、龍馬伝は見ています。映像は光の扱いが実にいい。室内に射し込む逆光で人物を浮かび上がらせるシーンが印象的。これからも光の扱いには注目です。

次回、龍馬は勝に会うために江戸へ行き、佐那と再会するんですよね。いちずに待ち続けていた龍馬と再会するとき、佐那はいったいどんな表情でどんなことを言うのでしょう・・・。

このドラマは魅力的な俳優ぞろいですが、私は乙女姉ちゃんが好きですね。芯の強そうなきりっとした表情がいいです。

これから、どんなふうに物語が展開していくのか、楽しみです。龍馬の奥さんになるお龍の登場はまだ先なのでしょうか・・・。

 


塩尻の蔵

2010-04-12 | A あれこれ



 路上観察 塩尻の蔵 100412

1 妻垂れは漆喰の壁を雨から保護するために設けられる。別に珍しいものではなく、塩尻市内でも見かける。長野県では諏訪地方から南信(県の南部)方面に多い。

この妻垂れはまだそれ程年数が経っていない。このように木が使われ、本来の姿が継承されているものを見ると嬉しくなる。金属サイディングなどに替えられてしまうこともあるが、それだと蔵にマッチしないし、美しくない。

 平側の壁に設けられた上下ふたつの窓はそれほど大きくはないが、なかなか存在感がある。換気や採光のために最小限の窓は必要、防犯・防火上窓は不要。この相反する条件にどのように折り合いをつけるか。

両開きの戸と鉄格子がその答え。


カフェ・シュトラッセで「進化の設計」を読む

2010-04-11 | A 読書日記



 昼過ぎ、カフェ・シュトラッセへ。店の前の白梅がちょうど見ごろだった。



ケニヤを飲みながら、持参した『進化の設計』佐貫亦男・講談社学術文庫を読む。

この本には進化の過程で自然(造物主)がデザインしたさまざまな生き物のイラストが載っている(写真)。左の首の長い恐竜を見たときはなかなかいいデザインだと思った。

著者もエラスモサウルスというこの恐竜について**(前略)ある美しさが見られる。それは長い首、完全流線型の胴体、やはり流線型の前後肢の均整がとれた比率である。(中略)設計としては成功で、優れた手腕の作といってよい。**と、そのデザインの分析をしている。

イラストを見ていると自然(造物主)も試行錯誤しながらいろんな生き物をデザインし続けたことがわかる。中にはこんなデザインはないだろう・・・と思うようなものもある。いくら優れたデザイナーでもこれだけ多くの生き物のデザインをすれば中には失敗作も当然あるだろう。

**ノトサウルスとは見せかけトカゲの意味であるが、(中略)二流以下の、間に合わせ的制作であった点で、命名は的を射ている。ノトサウルスがつぎのジュラ紀まで残存できなかったのは当然であった。**

「長続きしているかどうか」が、デザインを評価する重要な観点であることを進化の歴史が教えてくれている・・・。優れたデザインは永い時の流れに耐える、建築も然り。




繰り返しの美学 安曇野にて

2010-04-10 | B 繰り返しの美学


 「繰り返しの美学」とは建築を構成する要素を繰り返すという単純なルールによって秩序づけられた状態に美を感じるということです。

繰り返しにはいくつかのパターンがありますが、基本は構成要素を一方向に等間隔に繰り返すことです。この基本通りの繰り返しを見かけました。シンプルで端正な形の繰り返しです。

後方に安曇野のシンボル、白い常念岳が見えています。自然の山並みと人工の幾何学的な山並みとの対比。


小谷の蔵

2010-04-10 | A あれこれ


□ まだ雪の残る北安曇郡小谷村、千国の集落で見かけた蔵。撮影100409

小谷の蔵は既に数回取り上げたが、このような蔵を見かけるとつい路上観察してしまう。腰壁の取り外し可能な木製パネル、軒先を補強する木組み、妻壁を保護する板壁(名称は不明、妻垂れとは呼ばないだろう)。これらは雪深い山里に暮らす人々の長年の知恵と工夫の成果。やはり民家には「うそ」がない。


「進化の設計」

2010-04-08 | A 読書日記
■ 佐貫亦男氏の『進化の設計』講談社学術文庫を読み始めた。 生物の進化について、専門の「航空工学」から興味深く論じている。

**昆虫に羽が生えるまでには五〇〇〇万年以上かかっており、石炭紀になってからである。(中略)ライト兄弟がレオナルド・ダ・ビンチ以後四〇〇年かかって飛行に成功したことは、昆虫に比べれば、途方もなく速いことになる。** といった具合に。

第2章「奇怪な形の魚は長生きしない」にはこんなくだりも。**造物主はこの兼ね合いに困って、途中で設計をあきらめたものだから、奇怪な形となってしまった。こんなことは、機械設計にもよくある。** 工学的視点から評価する生き物の「デザイン」。

生物学的なアプローチで説くものとは全く異なる進化論、この本は面白い。読了後に再度何か書こう。

ガンバレ!

2010-04-07 | A あれこれ
■ 前々稿で『ガラパゴス化する日本』について書きました。

ガラパゴス化ということばについて**携帯電話端末に代表されるように、日本発でそれなりに洗練された商品やサービスが独自進化しすぎたために海外では通用しないことを本書では「日本製品のガラパゴス化」、あるいはそうした製品をつくりだしている企業の体質を「日本企業のガラパゴス化」と呼ぶ。**と説明されています。

昨日(6日)の夜、NHKのテレビ番組「クローズアップ現代」をちらっと見ました。優秀な人材の日韓争奪戦を取り上げていました。番組を見て日本の企業がガラパゴス化しているということがよくわかりました。

優秀な人材の確保をめぐる両国の違い、日本の企業は海外の人材について日本語が堪能なことを条件に挙げていました。番組で紹介された韓国の企業ではそのようなことを能力として求めていませんでした。

まあ、就職難が続く日本で優秀な人材を海外に求めるようになったら、ますますこの国の学生たちは就職できなくなってしまうでしょうから、日本語が堪能なことという条件は学生たちにとってありがたいことなのかもしれません。

でも将来脱ガラパゴス化した日本の企業が日本語の能力をそれほど重視しなくなったら・・・、いや、やがて日本語の能力(日本語でプレゼンテーションする能力、コミュニケーションする能力)だって海外の若者の方が優れているなどということになったりして・・・・。日本の若者よ、ガンバレ!!


吾 唯 足 知

2010-04-06 | A あれこれ



口を共用して上から時計まわりに 吾 唯 足 知 となって「われただたるをしる」と読むんですね。 ネットで検索すれば足る事を知れば不平不満が無く、心静かな生活を送ることができるというような意味だと説明文がでてきます。龍安寺にあるつくばいにも刻まれていてこのことばは有名ですね。

こののれんは上田市内の蕎麦屋さんにかかっているものです。先日ここで蕎麦をいただきました。のれんの文字を見て、そういえば同じ文字が京都の寺にもあったな、どこだっけ・・・、ふと龍安寺だと思い出しました。

口を共用してうまく考えたものです。全体のまとまりもいい。

ある程度の年齢に達すると吾 唯 足 知 を人生訓というか生活訓にしてもいいかもしれません。私などはもうその年齢かと・・・。でも若い人にはこんなことを考えず大志を抱いてほしいと、クラークさんと同じことを願います。土佐には収まりきらずに脱藩したあの龍馬のように・・・。


 


「ガラパゴス化する日本」

2010-04-05 | A 読書日記
■ 『ガラパゴス化する日本』 吉川尚宏 講談社現代新書

この本の最終章のまとめに**若者の脱ガラパゴス化は待ったなしの課題である。親世代のガラパゴス・イグアナがサボテンの数を増やす努力をすることなく、いまあるサボテンにしがみついていて、本来なら元気であるはずの若いイグアナはやせこけて、海外を目指す経済力、気力を失っている状態だ。(後略)**という一文がある。

若いイグアナよ、元気を出せ、南太平洋に飛び込め!!ということだ(注:この本には他のシナリオもいくつか示されている)。

確かにそういうシナリオが妥当かもしれない、と思う反面、世界をガラパゴス化するというシナリオを考えてもいいのではないか、ともアルコールしている中年は思う(そう、今回はアルコールなブログだ)。

ガラパゴス、つまりこの国でしか通用しないローカルなルールや技術(ソフトやハード)を世界基準、グローバルスタンダードにしてしまえ!というわけだ。 世界中をガラパゴスと同じ環境にしてしまうというくらいのガッツ!が若者にあってもいいのではないか。

でも現状認識が甘い!といわれそうだから、これ以上書くのは止める。



この本は一読する価値あり、だと思う。


「進化の設計」

2010-04-05 | A 読書日記


■ 佐貫亦男氏の名前を随分久しぶりに目にした。書店の講談社学術文庫の棚で背表紙の『進化の設計』というタイトルが気になって取り出して気がついた。昔ブルーバックスだったかと思うが何か読んだ記憶がある。エッセイストとしても活躍された方だと記憶している。

航空工学という氏の専門の視点から生物の進化にアプローチしているこの本。独自の視点から論じたものを読むのはやはり楽しい。

生き物の巣を建築的な視点で説いた本(タイトルを正確に思い出せないが)も昔読んだ。司馬史観ともいわれる司馬遼太郎の説く近代日本史や松本清張の古代史、昭和史も興味深い(最近は全く読んでいないが・・・)。

オリジナルな視点で書かれているかどうか、教科書では味わうことが出来ない楽しみが得られるかどうかはこのことに因る、と思う。


教訓

2010-04-04 | A あれこれ
■ 先日読んだ『国土学再考 「公」と新・日本人論』の一節。「紛争」を「コンペ(設計競技)」に、他の言葉も適宜読み替えると教訓になる。受験生ならば、「紛争」を「テスト」に置き換えてみることもできるだろう。(  )内は読み替えた言葉。

**紛争(コンペ、テスト)の後では、必ず勝負を総括し、次に備えておかなければならないということになる。(中略) なぜ私たちは今回は勝てたのか、なぜ私たちは今回は敗れてしまったかについて、兵(スタッフ、勉強時間)の多寡や鍛錬度(経験)、武器の優劣(プレゼン用の道具やソフトなど、参考書など)、士気の高さ(意欲)、戦った地形の有利・不利(出題範囲)、あるいは戦陣の取り方等々について、反省と総括を行い次に備えた創意と工夫が求められる。

つまり、紛争(コンペ、テスト)についての経緯と結果を、理性的に分析して、その分析結果を次につなげるといったことがどうしても必要になるし、その手続きを欠いていたのでは、次の戦い(コンペ、テスト)に敗れるということになる。相手も学習するのだ。**

長い引用で気が引けるが、このように読み替えることもできる。

本から何を学ぶかは、読み手次第なのだ。