透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

4冊の本

2014-01-16 | A 読書日記

 

 AさんちのMさんは高校生。子どものころから本を読むのがとても好きだったそうだ。先日Mさんのおすすめ本を4冊Aさんから手渡された。私がMさんにおすすめ本をプレゼントしたお礼ということだろう。

何でも読んでやろうと思ってはいても書店で手にする本は限られるから、おすすめ本の紹介はうれしい。4冊の本が今も書店に並んでいるのかどうか分からないが、仮に並んでいたとしてもまず手にしない本だ。

司馬遼太郎の『空海の風景』中公文庫を読み終えたら、読んでみよう。ということでAさん、いやMさんもうしばらくお借りします。



訳あって、今自室の本がこんなことになっています。机に向かうことができません・・・。もしこの中にAさん、Mさんの好きな作家の本があったら、プレゼントします。


 


「小さいおうち」読了

2014-01-13 | A 読書日記

 久しぶりの一気読み。昨晩から読み始めた中島京子さんの直木賞受賞作『小さいおうち』文春文庫を今日(13日)の午前中に読み終えた。

東北は山形の田舎で育ち、昭和5年の春に尋常小学校を卒業して東京で女中奉公をしたタキ。晩年タキが綴った回想録、そこで明かされる奉公先の中流家庭の奥さんの密かな恋愛・・・。

**今朝見た帯が、目に入った。いまでも、はっきり、覚えている。後姿の、帯の模様がいつもと逆になっていた。 (中略) あの独鈷の帯が解かれるのが、その日、初めてではないのかもしれないと思うと、心臓は妙な打ち方をした。**(192、3頁)

あらすじは書かない。終盤はミステリー小説を読むようだった。最終章はタキおばあさんが亡くなった後、甥の次男の健史が書いているという設定。

映画の予告編で、松たか子演じる奥さんに手紙を書くように勧めるタキさん(黒木華)。だがタキさんは奥さんの書いた手紙を板倉(恋愛相手、夫の部下)に渡さなかった・・・。

タキおばあさんの死後に健史が見つけた未開封のその手紙。奥さんの息子の恭一の消息を知った健史は石川県の小さな町に恭一を訪ね、そこで手紙を渡す・・・。

**「いや、いい。全幅の信頼を置くよ。いま、開いて、ここで読んでくれ」** (中略) **僕は不器用に手紙を開いた。そこには、美しい女性の手跡があった。**(336、7頁)

なかなか構成のよくできた小説だった。戦争に流れていく時代の雰囲気もうまく織りこんでいた。

巻末に作者の中島京子さんと船曳由美さんの対談が収録されているが、その最後で**タキはなぜ泣いたのか、何を後悔していたのか、いろいろ考えられるけれども、真実が語られあかされないところがなみなみならぬ小説なのです**という船曳さんの発言に対して中島さんは**ありがとうございます。私が考えている理由はあるんですけれども、読んでくださったかたが自由に想像してくださったらうれしいですね。**(348頁)と答えている。

太平洋戦争のさなか、入営直前の板倉を訪ねて行こうとした奥さんをなだめて、手紙を書くように促したタキさんはなぜその手紙を板倉に渡さなかったのか・・・。

**私は奥様に申し上げた。「こうしましょう。お手紙をお書きくださいまし。今日、タキが届けて参ります。明日、昼の一時にお会いしたいとお書きください」**(248頁)

**「(前略)でも、もし明日、板倉さんがお見えにならなかったら」
「ならなかったら?」
「お諦めになってください」**(248頁)

もしかしたらタキさんも板倉に恋慕の情を募らせていたのかもしれない・・・。女心の分からぬ中年男の推測は外れか?


 


「小さいおうち」を読む

2014-01-12 | A 読書日記



 『小さいおうち』中島京子/文春文庫を買い求めました。

かつて文学少女だった中高年女性が手にしそうな、どこか懐かしい、少年少女文学全集の一冊、とでも表現したくなるような昭和の雰囲気が漂うカバーデザインです。

山田洋次監督によって映画化されて今月末に公開予定ということも、この小説を読んでみようと思った理由です。それからtamiさんのコメントにこの小説を読んでいる、とあったことも。

年越し本の『空海の風景』司馬遼太郎/中公文庫、ようやく下巻の半分くらいまで読み進みましたが、ちょっと中断して『小さいおうち』を一気飲み、じゃなかった一気
読みしたいと思います。


 


― 豊科の火の見櫓と御柱

2014-01-11 | A 火の見櫓っておもしろい







安曇野市豊科新田の火の見櫓と御柱(おんばしら)、期間限定のツーショット。火の見櫓の高さを梯子の段数からおよそ15メートルと推測した。

 柳花や巾着袋、扇子を飾った御柱がよく晴れた新春の空に映える。正月しかみることのできない御柱と火の見櫓のツーショトは壮観だ。偶々消防自動車も車庫から外に出ていた。

この御柱にはどのような意味があるのだろうか。雑誌『信濃』(第六三巻第一号通巻七三二号平成二三年一月二〇日発行)に掲載された、友人H君の論文から引用する。

**(前略)それでは、オンベが「厄除け」の護符として用いられるからといって、柱も「厄除け」のために立てられるかといういと、第一義的にはそうではないと思う。どこの柱の先端にも、松や竹の若木と白幣を付けた幣束を取り付けることから考えると、これはやはり歳神が降臨する依り代として立てたものであろう。(中略)色鮮やかなオンベやイネバナなどは、柱を倒した後これを各戸が「厄除け」として戸口に飾ることから察しられるように、季節の変わり目や年の改まる時に去来する厄神(厄病神や貧乏神、ヤクジンガミとも呼ばれる)に対する〝威嚇〟であると考えたい。**(同書40頁)

興味深い論考が展開されている。

ああ、綺麗だなと漫然と眺める御柱だが、このような意味があるのか・・・。伝統行事は奥が深い。


 


偶にはバーで

2014-01-11 | B 繰り返しの美学


仲良し4人組の新年会の2次会はショットバーで

 暮れの忘年会はMさんとふたりだけだったが、昨晩(10日)の新年会は4人そろった。 Hさんはここ何年か合格率が1割にも満たないというある国家試験にめでたく合格したので、そのお祝いも兼ねて松本駅前の居酒屋で鍋を囲んだ。

やはり鍋はいい。酒もすすんでいろんな話題で盛り上がった。鍋の最後をちゃんぽん麺で〆て、冷え込んだ夜の街を歩いて、Y君が一度入ってみたかったというショットバーOLD PAL(←クリック)へ。

バーのカウンターで飲むならふたりで行くでしょ、と言われそうだ。ふたりで愛を語るもよし(いや、もう若い女性とバーで愛なんか語っちゃだめか・・・)、人生を語るならよしか・・・。

昨晩はカウンターに4人並んだ。長いカウンター席の正面の壁にずらっと並ぶ洋酒のガラス瓶が綺麗だった。上方からの照明を受けてガラス瓶の透明感が強調されている。ラベルもキャップの色も様々だが、瓶の形はある幅のなかに納まっていて、統一感がある。そう、これも「繰り返しの美学」だ。

ここで静かに大人の会話、だったらカッコいいんだけどな・・・。気が付けばシンデレラタイムはとっくに過ぎていて・・・。その後のことを書くのは野暮というもの(なんちゃって)。健全なもんです。


 


― 麻績の火の見櫓

2014-01-10 | A 火の見櫓っておもしろい


長野県東筑摩郡麻績(おみ)村の火の見櫓  撮影日140109

 美しい火の見櫓、、珍しい火の見櫓に惹かれます。これは何も火の見櫓に限ったことではありません。

この火の見櫓を取り上げるのは2回目です。ユニークな形をしています。主材に鋼管を使っているのも珍しいです。全体のバランスもよく、姿・形も美しい。美しいというか、かわいらしい。 まあ、あくまでも個人的な感想ですが・・・。



丸みを帯びた形がかわいらしいという感情を抱かせるのかもしれません。昔、東京の私鉄・東横線を走っていた「青ガエル」もそうでしたが。



背が低くてブレースは1段しかありません。ターンバックルのリングがかなり大きいです。

脚部にも注目。構造的にどの程度の効果があるのか分かりませんが、アーチ部材を付けてあります。見た目を気にして付けたのかもしれません。かわいらしい脚です。

火の見櫓 みんなちがって みんないい


* 余談ですが東急5000系電車「青ガエル」は引退後、上高地線で「白ガエル」に姿を変えて活躍していました。


包む

2014-01-10 | A あれこれ



■ 風呂敷でものを包む場合、ものの形によっていろんな包み方があることが知られている。一升瓶を提げて歩けるような包み方、衣類の包み方、スイカの包み方・・・。日本には包むという文化がある。この視点で「包む」を取り上げてみたいと考えてカテゴリーを設けている。

着物を着るという行為は体を着物で包む(体に着物を巻く)ということだが、洋服を着るという行為は体を包むと言えるのかどうか・・・。この関係は商品を包装紙で包むことと、袋に入れるということの違いに似ている。共に後者は「包む」とは違うのではないか。もっともこのことは「包む」の定義にもよるが。

この正月、善光寺へ初詣に出かけてお札を買い求めた。木札の表面が見えるように和紙で「包み」、水引で結んである。

ものの汚損を防ぐ、散在しないようにまとめておく、運ぶ 装う、形がきちんと定まらないものの形を整える、隠すなどのひとつの方法として「包む」を挙げることができるだろう。あるいはこのようなことをする方法の全てを「包む」と括ってもいいかもしれない。

このお札の場合は美しく装うため。

今年は包むにもっと注目したい。


 


狛犬?シーサー?

2014-01-08 | F 建築に棲む生き物たち

   
我が家の玄関に棲む狛犬?シーサー?

 いつ頃我が家にやって来たのか記憶にありませんが、かなり前にお土産でいただいたものだと思います。長い間、今や納戸と化した旧自室の書棚にいましたが、しばらく前に玄関に引っ越してきました。火の見ヤグラ―にして狛犬研究家・のぶさんの影響で少し狛犬にも関心を持つようになって、この狛犬のことを思い出した次第です。

狛犬の土産品というのは少ないようで、これも沖縄土産のシーサーかもしれません。知識がないとそんなことの見分けもつかないわけで・・・、なんともトホホな状態です。まあ、狛犬もシーサーも共にルーツをたどると同じもの、そう、スフィンクスに行きつくという説が有力だそうですし、役目も同じということではありますが・・・。


 追記 今日、同僚の新婚旅行土産のシーサーだと確認できました。


456 大町市常盤の火の見櫓

2014-01-08 | A 火の見櫓っておもしろい

 
456 大町市常盤の火の見櫓 撮影日140106

 大町市内の火の見櫓の梯子は櫓の外に設置されていて、落下防止ガードが設置されていることが多い。





見張り台の他にこんなに低いところにも半鐘を吊り下げてある。使い分けしていたのだろうか。櫓がすっきりしているのは、ブレースのターンバックルがリング式ではなくて枠式だから。昔は建築でもリング式ターンバックルが使われていたが、最近ではまず使われることはない。その理由として考えられることは肉薄のリングだと変形してしまうから。

火の見櫓の場合はやはりリング式のターンバックルの方が似合う(写真下)。サイボーグ009のユニフォームのボタン(?)のように。



リング式ターンバックルを使ったブレースの火の見櫓(大町市内)


 


読み初め本

2014-01-05 | D 新聞を読んで


信濃毎日新聞1月5日付朝刊8面

 外出していないのでブログネタも身近なところから。

今日(5日)の信濃毎日新聞朝刊の読書欄に「書評委員10人が選んだ2014年の一冊」という記事が掲載されている。

このような企画はどの新聞でもすると思うが、紹介されるのは一般読者が読むのだろうか、と思ってしまうような本、例えば経済や歴史の専門書であったり、高価な翻訳書であったりすることが結構多いように思う。が、この読書欄で紹介されている10冊は読んでみようかなと思えるような本ばかりだ。



『マンボウ思い出の昆虫記』北杜夫/信濃毎日新聞社

この本は既に読んだ。**北杜夫文学の原点を知るためにもきわめて貴重な本である。(中略)抒情的な長篇「幽霊」も、青春の記念碑「どくとるマンボウ青春記」も、本格的な山岳小説「白きたおやかな峰」も、すべてここから生まれてきた。魔法の玉手箱のような珠玉の作品集である。**と評者の山本 省さんが書いている。

北杜夫が旧制松本高校時代に書いた「思出之昆虫記」という幻の記録が収録されているが、これだけでも貴重な本と言えるだろう。

『メルトダウン 連鎖の真相』NHKスペシャル「メルトダウン」取材班/講談社

暴走する福島第1原発を必死で食い止めようとした運転員たちの行動を詳細に跡付けている、と紹介されている。4号機の燃料プールには1500本以上の燃料棒が入っていて、プールの水がなくなったら日本はお終い、という状況だったそうだが、たまたまプールの横に水タンクがあるという幸運で破局を逃れることができた・・・、ということだそうだ。これも読んでみたい、いや読まなくてはならない本だ。

『小さいおうち』中島京子/文春文庫 

今月末に公開される山田洋次監督最新作の原作で直木賞受賞作。映画で音楽を担当した久石譲さんがこの小説の書評を書いている。

他にも『棄国子女―転がる石という生き方』片岡恭子/春秋社『江戸幕末滞在記』エドゥアルド・スエンソン著・長島要一訳/講談社学術文庫など読んでみたい本が紹介されている。

*****

年越し本の『空海の風景』司馬遼太郎/中公文庫 の上巻をようやく読み終えた。下巻を読む前にどれか一冊読んでみようかな・・・。


 


「書き入れ時」

2014-01-04 | D 新聞を読んで


信濃毎日新聞1月4日付朝刊35面(第一社会面)

 昨日(3日)の早朝、JR有楽町駅前の繁華街で火災が発生し、東海道新幹線が半日ストップしたことを今日の朝刊が伝えている。

その関連で「書き入れ時・・・」商業施設に影響 という見出しの記事が載った(写真)。この見出しを見て、あれ?「かきいれどき」ってこんな漢字だっけ?と思った。

ブログは無知を曝ける覚悟がないと書けないから、正直に書くが、わたしは「掻き入れ時」だと思っていた。ああ、なんということだ・・・。  だから、見出しの漢字が違っていると思った。新聞社でも漢字の変換ミスをするんだな、と。で、調べてみると「書き入れ時」で正しかった。

**「かきいれどき」は「帳簿の記入に忙しい時」のこと。そこから、商売が繁盛してもうけが多い時をさします。**という説明をネット上に見つけた。帳簿に利益を「書き入れる」、なるほど。

私はこのことばをお金を「掻(か)き集める」という意味だと思っていた。その方がしっくりくるんだけど・・・。書き入れるって、今じゃパソコン処理だからな。いや素直に納得しなくっちゃ。そう、これが大切なんだよ


 


休日の午後に

2014-01-04 | A あれこれ

 昨年の秋に亡くなられたコラムニストの天野祐吉さんの『成長から成熟へ ―さよなら経済大国』集英社新書を読んで、そう言えば同じようなことを以前このブログに書いたな、と思って探してみた。2011年4月24日に書いていた。友だちのKさんと同じようなテーマで語り合っていた。少し稿を改めて再掲する。


「女優の田中好子さんが亡くなりましたね」
「そうだね。スーちゃん、20年ちかく闘病しながら女優してたんだね。知らなかったな。キャンディーズの活動期間ってちょうどボクの学生時代と重なるんだけど、あの頃はメンバー3人の誰が好みか、よく友だちと飲みながら話したな」

「私はキャンディーズの頃はまだ生まれてないので、よく知りませんが、すごく人気があったんですね」
「なぜかテレビの向こうのアイドルという感じではなくて、身近な存在という感じだったな」

「U1さんは誰が好きだったんですか?」
「ボクはミキちゃん、少数派だったけど」

「なんとなくわかります、私。ふふふ」

***

「福島の原発の事故ってどうなるんでしょうね、とても心配です。これから、何年?何十年?も住めなくなってしまうのかな・・・」
「チェルノブイリはいまだにダメでしょ」

「今の暮らしを続けていいのかなって思いますね」
「そうだね、人が完全には制御することができない発電システムを前提とした暮らしを続けていいものかどうか・・・」

「今現在の電力の消費水準、これを原子力発電に替わる発電、風力とか太陽光発電でまかなうという考え方も、どうなのかな。原発の発電量って消費量の3割くらいでしたっけ。そのくらい抑えることができるような、そういう暮らしをしなくちゃいけないんじゃないかなって思いますけど、無理かな・・・」

「ボクは電力消費ゼロの江戸時代に学ばなくてはならないのではないかってこの頃思うね」

江戸時代の暮らしに今に活かせるヒントがある・・・」
「そう。江戸時代は日本の伝統的な文化が成熟した時代だよね。それが、明治になって西欧の文化を取り込む際、千年以上も連綿と継承されてきた伝統文化をほとんど断ち切ってしまったことがまずかったのではないかと思う。建築なんてまさにそう」

「そうなんですね・・・。江戸までは夜になれば随分暗いところで過ごしたわけですね。でもその暗さが例えば蒔絵などの工芸を育んだともいえるんですよね」
「そうだね、蒔絵って暗い空間で観るからいいんだね。というか、暗い空間で鑑賞する芸術だよね。他にもあるね、きっと。例えば月を愛でるとかさ」

「そういえば谷崎が「陰翳礼讃」で日本の空間の暗さを評価しましたね」
「そうだね。日本には空間の暗さが育んだ文化があったんだよね。でもそういう暗さを日本人はいつのまにかなくしてしまった」

「そうか・・・」

「まあ、田舎では昭和30年代半ばころまでかな、広い部屋でも裸電球ひとつだったけどね。家電製品もあまりなくて、風呂も薪で沸かして、ご飯も薪で炊いて、エコな暮らしをしてたんだよね」
「でもそんな時代にはもう戻れません」
「でも、今の電気じゃぶじゃぶな暮らしでいいとは思わなくなったな。「清貧の思想」に学べってことなのかな」
「そういえば、ありましたね。貧しくても豊かな心」

「どうもね、明治になって唱えられた「和魂洋才」っていうのがダメというか、無理だった、そんな気がするな。「和魂和才」だよね、やはり。この国の感性というか、精神的な風土に相応しい技術、文化があったと思うけど、それを明治以降、西洋の技術に置き換えてきたことに無理があった・・・」
「次第に技術や文化までもが均一化されてきたわけですね、グローバリズムとかいって」
「この20年間で、一般家庭の消費電力は2割くらいアップしたらしいけど、ずっと和魂和才でやってきていたら、原発まで必要になるような社会にはならなかったかもね。日本は工業立国で進むというコンセプトもどうだったのかな。日本人本来の心性にあった質素というか慎ましやかな生活から変わったわけだよね」

「利便性を追い求め過ぎたのかもしれませんね、アメリカ型の暮らし。それで、なんだろう、細やかな感性までなくしてしまったような・・・」
「そうだね」


「フランスは確か7割以上を原発に頼っていますよね。でも同じヨーロッパでもドイツやスウェーデンではまた事情が違いますね」
「共に確か一度決めた脱原発を見直す方向を打ち出したと思うけど、福島の事故でこれからどうなるかね」

「日本もこれからどうするのか、よく分からない・・・」
「ここは今回の津波の被害や原発事故で国民の意識がどう変わるか、だね。原発なんてもうこりごりなのか、やはり必要だって考えるか」

「人口もピークを過ぎてどんどん減っていきますしね」
「そう、今後50年で6千万人まで減少するって言われてる。そろそろこの国に相応しい成熟型の社会を、イメージしないと」

「そうですね。もう一度伝統文化を取り戻すような、社会でしょうか。で、個人のレベルでは豊かな自然にそっと・・・、同調するような暮らしかな。豊かな人生ってどういうものなのか、ですね・・・」

***


「これから桜を観に行こう。桜を観て、ああ、きれいだなって思う感性が大事なんだよ、きっと。東北のお酒でも飲みながら、続きをどう?」
「ええ いいですよ」


太字にした私のコメント部分、天野さんの主張にぴたり重なる。社会の状況からしてもう右肩上がりの経済成長なんてありえない。そんなことは誰でも気が付いているはずなのに・・・。


「成長から成熟へ」

2014-01-03 | A 読書日記



 名コラムニストが遺した日本人へのメッセージ、「成長から成熟へ」と舵をきることの提言。昨日(2日)長野駅前の書店で買い求め、帰りの電車で読んだ。

**人はなぜ福袋を買うのか。答えは簡単で、「買うものがないから」です。「ほしいものが見つからないから」です。でも、「何かが買いたいから」なんですね。**(18頁)

**8・15で成長社会が始まり、3・11で成長社会から成熟社会への転換が始まるという、この二つの日付は、ぼくにとってもこの国にとっても大きな転換点になりました。
が、3・11を契機とするこの国の再生は、まだ遅々として進まない。(中略)政治家の人たちも、憲法をいじったり原発の再稼働をはかったりするヒマがあったら、経済大国や軍事大国は米さんや中さんにまかせて、新しい日本の国づくりに取り組んでほしいのもです。**(210、211頁)

**昔の中国の皇帝は、画家や陶芸家の品等を、専門のスタッフと相談してきめたらしい。で、その一等を〝一品〟といった。(中略)で、以下、二等・三等・・・・・ではなく、二品・三品・・・・・という呼び方で格付けしたそうです。が、中国の面白いところは、その審査のモノサシでは測れないが、個性的で優れていると思われるものは、「絶品」とか「別品」として認めた、というんですね。(中略)
別品。
いいなあ。経済力にせよ軍事力にせよ、日本は一位とか二位とかを争う野暮な国じゃなくていい。「別品」の国でありたいと思うのです。**(211、212頁)

広告を通じて観る消費社会の変遷と終焉、そして成熟社会への展望。


新年早々 良い本に出合った。さて、読みかけの『空海の風景』司馬遼太郎/中公文庫に戻ろう。


「キャプテン・フィリップス」を観た

2014-01-03 | E 週末には映画を観よう


コンテナ船を襲うソマリアの海賊 映画のパンフレットから

 昨年末、「キャプテン・フィリップス」を観た。2009年の4月にソマリア沖で実際に起きたシージャック事件をトム・ハンクス主演で映画化したもの。

コンテナ船の乗組員を救うためにひとり人質となるフィリップス船長。ソマリアの海賊との命がけの駆け引き。ここで発揮される船長の人間力、具体的にはコミュニケーション力。アメリカは船長を救出するために海軍の特殊部隊まで出動させる。絶望的な状況から奇跡的に生還するというテーマは「ゼロ・グラビティ」と同じ。

映画では海賊と化したソマリアの若い漁師たちをひたすら悪として描いているが、何故彼らが海賊と成らざるをえないのか、その社会的背景までは描いていない。注意深く映画を観ていれば、少しだけその説明もなされていることが分かるが・・・。

善悪の単純な対比は映画では分かりやすい。だが、世界の最貧国・ソマリアの若者たちを絶望に追い込んだ理由を想えば彼らに同情すべき点もあることも看過するわけにはいかないだろう。