撮影日 141107
■ 自宅の窓から野鳥観察。
毎朝見る柿の木のすぐ近くの古い瓦屋根に野鳥がいた。どうもヒヨドリではないようだ。大きさが違うし顔や体のデザインも違う。スズメかとも思ったが、違う・・・。
カメラを構える。暗くてスローシャッターになるからブレでしまう・・・。
君の名は? 早速、ネットで検索してみた。これだ、ツグミだ! 秋になると越冬のためにシベリア方面から飛来する鳥。
遠路はるばる、ようこそ!
撮影日 141107
■ 自宅の窓から野鳥観察。
毎朝見る柿の木のすぐ近くの古い瓦屋根に野鳥がいた。どうもヒヨドリではないようだ。大きさが違うし顔や体のデザインも違う。スズメかとも思ったが、違う・・・。
カメラを構える。暗くてスローシャッターになるからブレでしまう・・・。
君の名は? 早速、ネットで検索してみた。これだ、ツグミだ! 秋になると越冬のためにシベリア方面から飛来する鳥。
遠路はるばる、ようこそ!
■ 電話が無い時代には、直接会うか手紙でしか相手に用件を伝えることができなかった(伝言を頼むこともできたか・・・)。直接会えば相手の様子がよく分かる。少し太ったとか痩せたとか、髪を短くしたとか、白髪が増えたとか、洋服のセンスが変わったとか・・・。
電話では、声の調子などで、相手の様子をある程度知ることができる。弾んだ声で元気そうだとか、元気が無いなとか。でも直接会う場合に比して相手の様子に関する情報は限定的で密度も薄い。
ファクシミリでは手書きの文章だと筆跡から相手が誰なのか分かることが少なくないが、相手の様子は分からない。メールでは相手の様子などの情報は全く伝わらない。
情報伝達手段の変化、これは直接伝達から間接伝達への変化だと言える。この変化に伴って人と人の繋がりが希薄化した。カフェで向い合いながら、共にスマートフォンの画面に見入っていて会話をしない男女。スマートフォンがなければあり得ない光景だ。いや、共に下を向いてマンガを読みふける光景もかつては見られたか・・・。
そしてリアルなつきあいからネット上での仮想的なつきあいに転じていく・・・。
防災の日(11月5日)に鈴鹿市で行われた津波避難訓練の際、寺の梵鐘を叩いて住民に知らせたということを書いた(191225に再掲)。防災無線のスピーカーの音がよく聞こえない住民がいることを考慮しての対応だったようだ。
火の見櫓の半鐘による情報伝達、これは言葉で伝えるわけではないが、直接的な情報伝達だ。一方、防災無線のスピーカーからは言葉で情報が伝えられるが、それは間接的な情報伝達で、どこで誰が伝えているのか分からない。人ではなく、機械というかコンピュータが原稿を読み取って合成音で情報を流す、というような場合は情報伝達者はいない、ということになる。
火の見櫓の半鐘から防災無線のスピーカーへ、この変化は上に書いたような世の中の情報伝達の変化、直接的な伝達から間接的な伝達への変化と重なっている。火の見櫓に替わって防災無線柱が立つ様は人と人との繋がりの希薄化の象徴のように思われて寂しく切ない・・・。
長野県朝日村にて 撮影日120422
「点と線」 過去ログ
撮影日時 141103 06:38AM
■ 自宅前の柿の木にヒヨドリが早朝からやってきて実を啄ばんでいます。このところ朝出かける前の僅かな時間ですが、その様子を観察しています。
毎朝ヒヨドリを見ていると、一体どんな生活をしているのか気になってきます。生態については全く知りませんが、少しずつ知識を得ると、興味が深まるでしょう。それはやがて他の野鳥にも及ぶと思います。一昨日(2日)の夕方、この柿の木でマミチャジナイを見かけたのでした。
これからもこの木に飛来する野鳥を観察しようと思います。時には野に出て観察するのもいいかもしれません。いや、これからは寒くなって大変かな・・・。
楽しみが増えました。
撮影日141103 この火の見櫓を取り上げるのは2回目。
■ 安曇野市堀金(旧堀金村)、ベイシヤあづみの堀金店の前に立っている火の見櫓。屋根も櫓も錆びていないし、見張り台には半鐘の他にスピーカーなど余分なものが付いていない。健全な姿を保持している。全ての火の見櫓がこんな状態なら嬉しいのだが・・・。
3角櫓に円い屋根と見張り台という組合せは安曇野、いやもっと広域の松本平でよく見かけるパターン。脚元のデザインも然り。
柱脚を健全な状態で保持するためには、このように基礎というか根巻きコンクリートをきちんと立ち上げて施工しておくと有効だ。
*****
一度見ただけでは気付かないことも多々ある。何回も観察することが必要だ。この火の見櫓も今まで通ったことのない道路(地図に→で示した道路)から望遠し、その道路のアイストップになっていることに気がついて再び観察した次第。
観察日 141102
明らかにヒヨドリとは違う野鳥が柿の実を啄ばんでいた。ヒヨドリよりひとまわり小さい鳥。名前が分からない。
ネット検索してみてマミチャジナイという似ている鳥を見つけたけど・・・。
安価なデジカメで、ピントも露出もカメラ任せ。となると、なかなか野鳥にピントが合わない。手前に柿の実があるとそれにピントが合って前ピンになってしまう。この写真は20枚くらい撮ったうちの1枚、このように体の側面を写すことができたのはよかった。
野鳥を撮るとなると一眼レフが欲しくなるし、三脚も必要だろう。でも、このくらいの写真が自宅の窓から撮れれば良しとしよう。発散人間故、興味の対象が広く、ひとつのことを深めることができない。
■ マミチャジナイについてネット検索してみた。夏季に中国北東部やロシア東部で繁殖し、冬季に東南アジアに渡って越冬するとのこと。
渡りの途中で遠回りして日本に立ち寄るわけだが、滞在期間が短く、観察機会はごく少ないとのこと。もしこの鳥がマミチャジナイであれば(ネット上の写真と見較べると極めて似ているので間違いないと思うが、野鳥に詳しい方に確認したい)かなりラッキーな出来事だったと言えるのでは。
ヒヨドリよりも小さく、動きも違っていたので気がついた。野鳥に関心を持たなければ全く見えてこない世界。
人はどのようなことに関心を持っているかで、明らかに異なる環境に囲まれていることに気がつく。野鳥に関心がなく、知識もなければ野鳥を識別することはできない。昆虫然り、野草然り・・・。自然から受け取る情報内容、情報密度の違い、これは大きい。
もう少し野鳥の世界に入りこんでもいいかな、とも思うが・・・。
■ 10月早々に読み始めた小松左京の長編SF小説『日本アパッチ族』だが、10月中に読み終えることができずに11月2日にようやく読み終えた。10月に読み終えた本は1冊もなかった・・・。なんということだ。ブックレビューを書き始めて初めてではないかな・・・。
■ この火の見櫓を取り上げるのは2回目。JR広丘駅から西に延びる幹線道路と郷原街道(善光寺西街道)との交差点近くに立っている。
火の見櫓のすぐ近くに電柱が立っていて、薬局の駐車場から写真を撮ろうとすると両者が重なってしまう。火の見櫓を撮るとき、時々このようなことになる。
屋根の反りは少し強すぎないか。この屋根に和を感じない。屋根の勾配や反り、むくりは屋根の印象上、重要だ。
見張り台の手すりのデザインはなかなか良い。細い手すりをやはり細い丸鋼の手すり子で支え、中間に帯状の装飾を、床面近くにくるりんちょな装飾を付けている。エレガントなデザインだ。
櫓の脚元の斜材の入れ方が構造的に合理的なのかどうか・・・。
火の見櫓では丸鋼のブレースにリング式ターンバックルを使っている。これが意匠的な特徴にもなっているわけだが、この櫓はリングと丸鋼を溶接している。これでは現場で組み立てたり、建て方の際に生じる櫓の歪みを修正できない。精度よく建てるにはこれではダメでしょう。
513 塩尻市広丘吉田
■ 4角形の櫓に円形の屋根、8角形の見張り台。高さはおそらく18メートルを超える。高い部類の火の見櫓。後方の赤い瓦棒葺き屋根の建物は北部子育て支援センター。
見張り台に5つ、その下に4つスピーカーが付いている。物々しい姿だ。
背が高い分、脚の間隔がひろい。脚部の前後2面にはアーチ材を、両側面には斜材を用いている。
櫓の下から見上げてみる。
寄附者の名前を記した銘板。昭和32年11月30日竣工。寄附金の合計20万円は建設費用を十分賄う金額だろう。
*1 昭和30年に建設された火の見櫓で施工費が13万、15万と確認できている事例から推定できる。当時の20万は現在の500万くらいに相当するか。
■ 先日、小学校のPTA役員の思い出会(長野は思い出会がとても好きな県民性だと聞いたことがある)で富山の氷見まで出かけた。車中では当然の如く「朝からビール」となった。それでも時々窓の外に目をやって、火の見櫓を探していた。
残念ながら、富山に至る国道沿いに火の見櫓を見つけることは出来なかった。岐阜県の飛騨市神岡町で消防団詰所を見かけて写真を撮った。車内から撮ったのか、トイレ休憩でもした時に撮ったのか思い出せない・・・。それがアルコール摂取過多のためか、脳の老化のためかは不明。前者であることを願う。
建物の後ろに防災無線柱が立っていたが、以前は火の見櫓が立っていたのかもしれない。
消防車庫のシャッターに絵が描いてあるが、これは珍しいことではない。いままであまり注目してこなかったが、アートなシャッターを観察するのも楽しかろう。これは浮世絵の写しだろうか。もしそうだとしたら誰がどこを描いたのか? 「浮世絵 神岡」で検索してみたがヒットしない。気になる・・・。