透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

里山辺藤井の道祖神

2016-06-20 | B 石神・石仏


松本市里山辺藤井の道祖神 撮影日160619

 松本平の東端を縁取る山並みの裾に広がる山辺地区は歴史の古いところ。何基もの道祖神が辻などに祀られている。

ここ、藤井地区に火の見櫓を見にきて、そのすぐ近くでこの道祖神を見かけた。平安貴族の衣装を身にまとう道祖神。向かって右側に立つ男神は盃を手に持ち、左側に立つ女神は酒器を手に持つ酒器像。お互い内側の腕を相手の肩に回している。要はアツアツぶりを表現した像ということ。抱肩握手像(*)はよく見かけるタイプだが、握手ではなく、酒器を持っているのはどうだろう・・・、あるいは珍しいのかもしれない。両神とも温和な顔つきをしている。像の下に藤井郷と、ここの集落名を彫り込んである。



像はそれ程損耗もなく鮮明だが、裏面の文字は損耗に加え、私の読解力不足もあって明治十何年かの建立ということまでしか読み取れなかった。干支も彫り込んであるものと思われ、あるいはじっくり見ていれば、もう少し読み取れたかもしれない。路駐故、写真を撮って早々に車に戻った(と言い訳を)。

既に書いたことを繰り返すが、道祖神は集落に厄病神が入り込むのを防ぐという役割を担っているが、貧乏神などはアツアツカップルには近寄らないのだそうだ。

道祖神と火の見櫓に守られた集落は落ち着いた雰囲気が共通しているように思う。それが好い。




*抱肩握手像  長野県朝日村 寛政七(1795)年


― 脚を比べるって・・・

2016-06-19 | A 火の見櫓っておもしろい

■ スケベな中年オヤジ目線、アルコールな夜のブログじゃないぞ。ヤグラー目線で脚を比べる。


西荒町の火の見櫓の脚

トラス構成部材の等辺山形鋼をガセットプレートに溶接している。ごつい脚。



薄町の火の見櫓の脚

斜材の両端をボルト留めしているだけ。シンプルな脚



藤井の火の見櫓の脚

トラスの構成は西荒町と同じ。等辺山形鋼をリベット(?)で留めている。

火の見櫓の脚はさまざま。


 


629 松本市里山辺藤井の火の見櫓

2016-06-19 | A 火の見櫓っておもしろい


629 松本市里山辺藤井 撮影日160619

 美ヶ原温泉にあるホテル翔峰の近くに立っている火の見櫓。後方に里山辺の町並みが写っている。このような構図の写真、好きだなぁ。少し標高が高いところにあるから、この火の見櫓の見張り台からは市内が一望できるだろう。

この櫓は上方に向かってあまり逓減していない。ずんどうで頭でっかち。総高約12メートル、高い部類に入るだろう。



屋根頂部の避雷針から導線を出している。このような導線は今まで見たことがなかったのか、気がつかなかったのか。

屋根は厚い鋼板一枚ではなく、薄い鋼板を横葺きしている。大事な半鐘を守るがごとく、四方に向けてスピーカーを設置してある。

手すりは平鋼でできているが、丸鋼の手すりより閉鎖感を強く感じる。使う材料によって印象が変わることが分かる。



がっしりした男脚。



山田商會製作所(松本市庄内町)ここは初めて。 






 

 


628 松本市里山辺薄町の火の見櫓

2016-06-19 | A 火の見櫓っておもしろい


628 松本市里山辺薄町 撮影日160619

兔川寺(とせんじ)の南側の集落内の生活道路脇に立っている。西荒町の火の見櫓(657)と似た姿だが、この火の見櫓の方が少しスレンダーで背も高い(総高11.5メートルくらい)。

3角形の櫓の場合、6角形の屋根に6角形の見張り台という組み合わせが多く、この火の見櫓のような8角形の屋根に8角形の見張り台は少ない。





屋根のてっぺんのデザインも西荒町の火の見櫓とよく似ている。半鐘は表面に乳が付き、寺の梵鐘と同様のデザイン。見張り台の床面とその下の横架材の間にはブレース・方杖を設置するのが一般的だが(前稿、西荒町の火の見櫓は方杖を設置してある)、この火の見櫓はすっきり。床はハッチ付き。



脚部もすっきり! トラスを構成する部材がない。消防信号表示板がなんとも中途半端なところについている。消防団員が半鐘を叩くときに参照できるように、見張り台に内側を向けて設置するのが親切というか、望ましいと思うのだが。




マンホール蓋コレクションをするつもりはないが、これは防火用水槽の蓋で、火の見櫓関連ということで。真上から自分の影を落とさずきっちり撮らねばならぬ。


 


627 松本市里山辺西荒町の火の見櫓

2016-06-19 | A 火の見櫓っておもしろい


627 松本市里山辺西荒町 撮影日160619

 南信のヤグラーそれがしさんのブログでこの火の見櫓を知り、今朝(19日)出かけてきた。

がっしりした印象の3角形の櫓、8角形の屋根に円形の見張り台。梯子段の数とピッチ(間隔)から見張り台床までの高さは約6.5メートル、そこから屋根のてっぺんまでの高さ約3.5メートルを加えて総高約10メートルと把握した。



3本の柱の上に8角形(8角錐)の屋根を下地を上手く組んで載せている。屋根のてっぺんの団子というか、ネギ坊主はこのあたりで見かける。屋根下につるりんちょな(表面に乳などの突起が無くつるっとした)半鐘を吊り下げてある。

2本の柱に付けたブラケットに消火ホース掛けのフックを付けた横架材を渡している。見張り台の手すりは細い鋼管、手すり子は丸鋼ですっきりとしたデザイン。



脚部はがっちりとしたトラス。


 


「ふるさと納税」を考える の巻

2016-06-18 | D 新聞を読んで

 信濃毎日新聞の16日付朝刊に長野県全77市町村の「ふるさと納税」の額が一覧表で示されていた。表に示されている納税額に注目した。村で最も額が多いのは下伊那郡喬木村の8億1239万円で、最も少ないのは木曽郡大桑村の23万円だった。

私は本稿で両村を批判するつもりなど全くないことをここで断っておかなくてはならない。ふるさと納税そのものについて書きたいだけなのだ。

**地方で生まれ育ち都会に出てきた方には、誰でもふるさとへ恩返ししたい想いがあるのではないでしょうか。税制を通じてふるさとへ貢献する仕組みができないか。そのような想いのもと、「ふるさと納税」は導入されました。** 総務省のホームページにふるさと納税についてこのような説明文が載っている(文章の一部省略)。

「ふるさと応援納税」というわけだが、それがいつの間にか「返礼品目当て納税」の傾向が強まってきている。各自治体もこの状況に応じ、返礼品を豪華に、豪華に、となって、自治体間で返礼品を競っていると指摘されても仕方がないような状況に。

試みに喬木村と大桑村の返礼品を ネットで調べてみた。






なるほど、両村の寄付金の大きな差の理由はこれだったのか・・・。豪華な返礼品、加えて節税目当てのふるさと納税では本来の趣旨から外れている。

両村のホームページではふるさと納税についてどのように扱っているのだろう。


喬木村のHPより


大桑村のHPより

時流に乗ってふるさと納税をきっちりアピールしている喬木村、本来の趣旨を地味に扱っている大桑村。

*****


信濃毎日新聞6月17日付朝刊2面


茅野市と下諏訪町では地元住民が他の自治体に寄付(ふるさと納税)した際の住民税控除やふるさと納税の返礼品の経費が寄付を受けた額より多く、15年度のふるさと納税の収支が赤字だったという。ふるさと応援納税のはずが、こんなしわ寄せが来てはどうにもならない。

各自治体は本来の趣旨に立ち返り、返礼品は無くして礼状で済ませることに決めたらいい。そして自治体の魅力を分かりやすく効果的に発信することを考えるべきなんだろう・・・。

我が僻村はどのように扱っているのかな、と気になってホームページを見ると、これ以上まじめな書き方はない、だれにもこのように思われるであろう記事が載っていた。



 


中身も大事 見た目も大事

2016-06-16 | A あれこれ

■ 下の写真は株式会社LIXILのPR誌。誌面のレイアウトがきちんとしている。基本的に各ページ、上下左右とも記事や写真が出入りなく配置されている。

「JR東日本・・・」というタイトル文字の上端とその右側の写真の上辺をきっちりそろえてある。写真は幅をそろえ、右端もそろえてあり、その下の図も右端をそろえてある。実に端正なレイアウト。




gooブログはメンテナンスの後、コメント欄のU1で分かる通り、どうやらフォントが変わったようで(*1)、半角数字やアルファベット文字が変わってしまった。記事の中でこの表記はいただけないので、フォントを変えることにした。今までブログの文字の色とサイズを変えることはしていたが、フォントは気にしたこともなかった。が、それではいけないと反省した。

載せた冊子のように写真の右端と文章の右端はそろえることができるのかどうか、試したことがない。

雑誌の記事は内容も大事だが、見た目にも気を使わないと。まあ、どんな場合でもきっちりレイアウトが良いとは限らないが。

ブログも同じ、かな。


*1 メンテナンス後の仕様変更についてという案内があり、そこに**1.文字コードの変更 文字コードをEUCからUTF-8に変更させていただきました。**という記述がある。 


体は遺伝子の乗り物?

2016-06-13 | A 読書日記

 **遺伝子は百万歳になっても、百歳くらいのときより死にやすくなるわけではない。それは、自分の目的にあわせて自分のやりかたで次から次へと体を繰り、死ぬべき運命にある体が老衰や死にみまわれないうちに相次いでそれらの体を捨て、世代を経ながら体から体へ乗り移ってゆく。**(62頁)

なるほどね。これが有名な一節なのかな・・・。遺伝子目線?で体をみて、体って遺伝子の乗り物だと捉える。これはおもしろい。 このようなユニークな捉え方には魅せられる。

ドーキンスは**私は体を遺伝子のコロニー、細胞を遺伝子の化学工場として都合のよい作用単位、と考えたい。**(80頁)とも書いている。

この本は前々から読みたいと思っていて、なかなか読めずにいた。たとえ内容がろくに理解できなくても、「読んだ」ことに満足したいという思いから読みすすむ。

読まずに死ねるか。大げさだと言われそうだけど、そんな本が何冊かある。『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス/紀伊國屋書店もその中の一冊。


 


相性を占う

2016-06-12 | A 読書日記



「決定版! 天中殺占い」高尾学館/主婦の友社

 金曜日はノー残業デイと決めて、梓川のカフェ バロで閉店まで過ごすことにしている。それだけでワーク・ライフ・バランスが取れているとは思わないが・・・。よく一緒になる常連のお客さんからこの本を借りてきた。いかにも、といった雰囲気のカバーデザイン。

天中殺? 聞いたことはあるけれど、何も知らない・・・。どうもこの頃引用ばかりで気が引けるが、この本には天中殺について**古代中国では、歴代皇帝の命により、かなり昔から、人間の運命に関する学問の研究が行われていました。その中で確立したのが東洋占学の最高峰だといわれている算命学です。
算命学では、人の運勢を占うとき、まずその人の生年月日をもとにして、中国古来の干支暦に置きかえます。そしてその干支暦を算命学独自の技術によって分析し、その人の性格および運勢を的確に当てていきます。
この算命学の中で需要な理論の一つが、本書で明らかにしていく天中殺理論です。**(10頁)という説明がある。

冬には冬の過ごし方があるように、天中殺のときには天中殺のときの生き方があるという。要するに自分の状態というか、状況を把握して、それに相応しい生き方をするように、ということだろう(って、なかなか難しいのだろうが)。

第1章「天中殺であなたの「宿命」がわかる」で自分の天中殺のところを読むといろいろ書いてある。**古いやり方をそのまま踏襲する仕事や、毎日同じことを繰り返すルーティンワークには向いていません。**(85頁)

**気さくな反面、権力や体制の圧迫に対して「納得しなければ決して迎合しない」という頑固さも持ち合わせているため、(後略)**(84頁)

占いは自己確認の術(すべ)として、なんというか・・・、納得できることだけを信じればよいと思う。

占いに相性占いは欠かせない。第2章にちゃんと「天中殺・相性の法則」が載っている。それで・・・、**その人はあなたにとっての「ラッキーパーソン」と考えていいでしょう。**(139頁) 

自分に都合よく、都合よく。占いはみなそうだ。


 


「台所いいですか?」

2016-06-12 | D 新聞を読んで

 松本市内のカフェマトカでフリーペーパー「肉質感覚でキッチンルポ 台所いいですか?」を読んだ。よそんち(といっても知人、友人の家)の台所をレポートして、味噌汁をいただき、フリーペーパーにまとめている。

作者は松本市里山辺在住のAさん。四国のお遍路さんになぞらえていて、四月号第四十二番となっている。八十八箇所のルポをする予定らしい。発行部数もこだわりの88部。
 
Aさんの書く文章が個性的で実におもしろい。 例えば**食卓のアリーナというか食卓の外野ではH家(レポートは実名)の程よいカオスが取り巻いてはいるのだけど、食卓だけは別次元の旅館の朝食のお膳の(夜だけど)お店の味をご家庭にのごときおだやかなきらめきがあって、(後略)**といった具合。

**小葱が甘さの甘質補正イコライザーみたいな機能するのか、ちょうどいい飲みやすい和食的まろみ感だった。**と、A氏の味噌汁レポもユニークな表現。味噌汁と同時に提供されるごはんやおかずについてもきっちりレポートしてまとめている。




A3サイズのペーパーは複数枚の写真と角ゴシック体の細かな文字でびっしり埋められている。満願のあかつきには本にまとめていただくことを願う。

A3サイズ縦使いのペーパーには縦横の折り目がついていて、A5サイズにたためる。で、縦の折り目の両端はつながっているが中の半分くらいが切れていて、ちょっと横に引っ張ると、縦長の2枚に割けてしまう。この意図が分からない・・・。 Aさんにお目にかかる機会があればこのことを伺いたい。


  


「水兵リーベ僕の船」

2016-06-09 | D 新聞を読んで


信濃毎日新聞6月9日付朝刊第3面

■ 今日(9日)の信濃毎日新聞朝刊の1面トップに新元素「ニホニウム」原子番号113番 元素記号Nh 日本初 理研が命名案 という見出しの記事が載っていた。

記事には**ニホニウム 原子番号113番の新元素。(中略)自然界で見つかったのは92番のウランまで。93番のネプツニウムから先は人工的に合成されて存在が確認された。理化学研究所のチームは、30番の亜鉛の原子核を光速の10%まで加速して83番のビスマスにぶつけて核融合を起こし、ニホニウムを合成した。寿命はわずか500分の1秒と短く、化学的性質はほとんど分かっていない。**とある。

第3面に大きく元素の周期表が載っている(写真)。元素の周期表を見るのは何年ぶりだろう・・・。大学受験のころ以来かもしれない。

この表の水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム・・・を「水兵リーベ僕の船・・・」と今も覚えている。
この覚え方でケイ素、リン、硫黄、塩素、アルゴン、カリウムまで、いやその次のカルシウムも覚えている。「シップスクラーク、カル」と。 その先は覚えなかったと思う。

1面の解説記事を読むと**「水兵リーベ僕の船」でおなじみの元素周期表の113番目に日本にちなんだ元素名が加わり、日本の基礎科学の実力を世界に示すことになった。**と、「水兵・・・」が紹介されている。どうやらこの覚え方は今でもよく知られているらしい。

中央紙がこのニュースをどのような扱いで報じているかわからないが、元素の周期表がこれほど大きく載ることがあるなんて、思ってもみなかった。


 

 


朝カフェ読書

2016-06-08 | A 読書日記



 今朝(8日)出勤前の小一時間、いつものスタバのいつもの席で『利己的な遺伝子』を読んだ。

幅1.4m、奥行1.1mの4人掛けテーブルがふたつ並ぶこのエリアだけ、床がタイルカーペット敷きで、大きなコードペンダント照明がテーブルの上に吊り下げられている。一体の空間でありながら、このエリアだけ雰囲気が違う。この席は落ち着く。

**自己複製子は存在をはじめただけでなく、自らのいれもの、つまり存在し続けるための場所をもつくりはじめたのである。生き残った自己複製子は、自分が住む生存機械(survival machine)を築いたものたちであった。最初の生存機械は、おそらく保護用の外被の城を出なかったであろう。**(42頁)という件を読む。

「ということは自分の体は遺伝子のためのシェルターなんだ」と思いながら、コーヒーを飲む。

少し読み進むと**今や彼らは遺伝子という名で歩きつづけている。そしてわれわれはかれらの生存機械なのである。**(同頁)とあった。

たまには理系本も好い。なかなか読書に時間が割けないが、毎日少しずつ読んでいこう・・・。


 

 


原宿駅の建て替え

2016-06-06 | A あれこれ


JR山手線 原宿駅(1924(大正13)年竣工)2006年11月撮影

■ JR東日本が原宿駅の建て替えを発表した、と今朝(6日)ラジオのニュースで聞いた。また個性的な駅舎が姿を消すことになった。東京オリンピックを控えていること、乗降客の増加に対応できていないことなどが建て替えの理由のようだ。

ガラスと金属パネルの箱の駅舎とはならないことを切に願う。まさか、国立駅の二の舞を演ずることはないと思うけれど・・・。


JR中央線 国立駅 中央線高架化に伴い平成18年12月に取り壊された。2006年6月撮影


国立市のHPからの転載

昔、国立に住んでいた。だから思い出の三角駅舎が取り壊されて、なんとも凡庸な駅舎になってしまったのは本当に残念。



JR東日本のプレスリリースより

 追記(160612):この記事を投稿した翌日だか、二日後だかに新しい駅舎のイメージ図が公開された。予想通り、どこの駅舎なのかわからないデザインが示された。大学のキャンパス内にできる新しい図書館だと言われれば、なんの疑いも持たないだろう。その場所の地理的・歴史的文脈とも、それから用途とも全く関係のないデザインの建築がまたできる。

こんなことを嘆くなんて、建築観が古いのかな・・・。