透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

時には下を向いて街中を歩こう

2016-06-25 | B 地面の蓋っておもしろい











松本市内 撮影日160625

◎ 凡そ世の中のもので人の趣味の対象になっていないものなどない。

今どき犬が街中を歩いたって棒に当たることなどないだろうが、マンホール蓋はちょっと街中を下を向いて歩けばいくらでも見つかる。

マンホール蓋は種類が多く、いろんなデザインのものがあるから日常生活の中や旅行先の街中で見つけたものを紹介するブログも数多い。

ところで、火の見櫓の脚元に防火水槽を設置してあるところも少なくない。今まで火の見櫓を見上げていた視線を脚元に落としてその存在を意識するようになった。

時には下を向いて街中を歩いて路上の蓋を観察してみたい。観察してみると漫然と見ていた時には見えなかったものが見えるようになり、今まで気づかなかったことに気がつくようになるだろう。そう、火の見櫓の場合と同様に。

観察の視点が定まってきたら、それにふさわしい写真を撮ることができるようになるだろう。 それまでは試行錯誤を重ねる他ない。



 


里山辺下金井の防火貯水槽の蓋

2016-06-25 | B 地面の蓋っておもしろい



 前稿に取り上げた火の見櫓の脚元の防火水槽の蓋 撮影日160625

蓋の中央の〇の中に松本市の市章を入れているが、市章が円いのでぴったりおさまっている。

松本市のホームページには昭和13年制定の市章について次のように説明されている。**外側の円は陽春の若松をあらわし、市の将来の円満な発展を象徴しています。円の中心は「本」の字によって六合をあ らわし、宇宙に本市の光輝発揚をねがい、形は雪の結晶をあらわしています。また突起の部分は北アルプスの山岳を意味し、六角は松本藩6万石の歴史的意味、あるいは旧藩主戸田氏の六星紋所の意味もふくまれています。**

なるほど、いろんな意味を込めたデザインなんだなぁ。


 


630 松本市里山辺下金井の火の見櫓

2016-06-25 | A 火の見櫓っておもしろい


630 松本市里山辺下金井 撮影日160625

■ 下金井集落内の生活道路の辻に立っている火の見櫓。3角形の櫓に6角形(6角錐)の屋根、6角形の見張り台はごく一般的な組合せ。櫓内に設置された梯子の段数と間隔から見張り台の床までの高さを約7.5mと推測した。屋根頂部までの総高は約11mとなろう。



屋根頂部の大きめの「団子」はこのあたりの火の見櫓ではなじみ。下り棟先端に蕨手は無い。5つのスピーカーが半鐘を囲むかのように設置されている。強度的に大丈夫かな、と思わせるような頼りない感じの手すり。


脚部。第一横架材の中央部と柱材の下端部を斜材でつないでいるだけの簡素なつくり。部材接合は溶接。





柱材とガセットプレートとはリベット接合、横架材とガセットプレートとはボルト接合。注目はブレース端部。ガセットプレートとボルト接合しているが、これは珍しいかもしれない。ガセットプレートの孔にブレースの端部を曲げて通して、ただひっかけてあるだけのものが多いように思う。

この火の見櫓ではリベット接合とボルト接合、それから溶接と3種類すべての接合方法が採られている。


南信のヤグラー・それがしさんのブログから情報を得て、里山辺の火の見櫓巡りをした。それがしさんに感謝。


― 中尾彰「村の坂道」に描かれた火の見櫓

2016-06-25 | A 火の見櫓っておもしろい

 6月23日付信濃毎日新聞朝刊の17面に長野県内の展覧会・イベント情報が掲載されているが、そこに「村の坂道」中尾彰/1969年が紹介されている。その絵の中に火の見櫓が描かれていることに気が付いた。火の見櫓センサー、感度良好なり。



茅野市美術館のホームページを見ると現在開催中の「地域をみつめる 紡ぐ」展のチラシが載っていて、チラシにもこの絵が使われていた。



茅葺きの民家や白壁の蔵などから成る集落に火の見櫓が立っている。単純化した民家、緑の集落の坂道、白い火の見櫓が際立つ。

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中尾彰(なかおしょう 1904-1994)は島根県津和野町の生まれの画家、詩人。

1953年に茅野市の蓼科高原にアトリエを建て、以後一年の半分近くを過ごしたということだから、「村の坂道」は茅野の風景かもしれない。茅野は火の見櫓も多い。後方の青い山は単純化した八ヶ岳? さて、ここは一体どこだろう。この火の見櫓は今でも立っているだろうか・・・。