透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

1314 辰野町伊那富の火の見櫓

2021-10-17 | A 火の見櫓っておもしろい


1314 上伊那郡辰野町伊那富 3無36型 撮影日021.10.16

 遠くから上の写真を撮った時、屋根は6角形だと思った。だが、車で通過する時に屋根が3角形だと分かり、スルーするわけにはいかないと思って引き返してきた。


見張り台が6角形で屋根が3角形という組み合わせは記憶にない。柱3本の場合には3角形の屋根は支えやすく、構造的に合理的だが、覆うことができる面積が少ないために、もっと簡易な火の見櫓では見られる。ただし、その場合には見張り台も3角形(隅切りをしている場合が多いが)のことが多い。梯子に火の用心と書いた板を取り付けて、登れないようにしてある。


 


辰野町沢底日向の庚申碑

2021-10-17 | B 石神・石仏


上伊那郡辰野町沢底日向 石神・石仏 撮影日2021.10.16

 辰野町沢底日向で見た青面金剛像2体


光背型の石(高さ68cm、幅46cm)に一面六臂の青面金剛を納めている。像の上に日輪と月輪。
像の右手には上から宝輪、宝剣(体の前)、矢を持ち、左手には三叉槍(剣?)、人身(体の前)、弓を持っている(手元の本による俄か勉強で得た知識)。顔の怒りの表情がなかなか好い。脚の下に馴染みの三猿。 



細長い碑形(高さ100cm、幅38cm)の上部に日輪ふたつ、と思って調べると、月にも円形のもの(満月か)があるという(『庚申信仰』平野 実(角川選書1969年 57頁)。だからこれも日輪と月輪か。


四手。合掌している二手、他の二手に持っているものはよく分からないが右手は剣?(単なる棒ではないと思うが)、左手は蛇?(蛇を持つことはあるようだ。*1)顔はやはり憤怒の表情か。

刻字 像の両側に文字があるようだが読めなかった。碑の裏面は未確認。


*1 上掲書52頁 **右側三手が上からそれぞれ輪・矢・索を持ち、左手三手が上からそれぞれ矛・弓・棒を持っている。以上三例が比較的一般の型であるが、このほか持ち物には、鍵・斧・数珠・独鈷・三鈷・どう幡(どう:漢字変換できず)・日月輪・宝珠・卍・蛇など各種あり、なかには空手のものもある。**


辰野町沢底入村の道祖神

2021-10-17 | B 石神・石仏


上伊那郡辰野町沢底入村 双体道祖神 撮影日2021.10.16


 山の斜面に何基かの石仏と共に双体道祖神が祀られている。「日本最古の道祖神」という看板が設置されている。説明文は文字のペンキが剥落していて読み取れない。


櫛形に整えた石(高さ75cm、幅50cm)に双体道祖神が彫られている。男神が女神の着物(服装についてはよく分からない)の裾を男神が手で掴み、女神が手を添えて開いているように見える(*1)。となると、ちょっとエッチなしぐさということに(*2)。厄病神はアツアツのカップルには寄り付かないとのことだから、このしぐさも頷ける。集落の賽の神としての役割を負う神様のデザインに相応しいともいえるだろう。両神の姿形が整っていて、石との大きさのバランスも良い。


像の右側に永正二年、左側に入澤底中と彫り込まれている。永正二年は室町時代で西暦1505年。建立年が彫り込まれた道祖神で最古と言われている。ただし真贋は定まってはいないようだ。像がそれほど損耗していないということも、後年同じように彫って建立し直したのではないかという理由のひとつに挙げられている(*3)。安曇野でよく見られる花崗岩の道祖神は損耗しやすいが、石質によっては経年に伴う損耗がそれ程ないこともある。仮に損耗してしまって像がはっきりしなくなったからと、建立し直すことが道祖神や青面金剛像などの石神・石仏で実際に行われていたのだろうか・・・。仮に行われた場合、再建立した年を刻まないということも不自然だと思うがどうだろう。作風についても指摘があるが、凡そ芸術表現というものはいつの世でも多様なものと捉えたい。入澤底中という刻字について。今は沢底入村だが、昔この地は入澤底村だったようだ。室町時代のことは不明。


*1 このような姿を「裾まくり像」と分類している文献もある。『双体道祖神』伊藤堅吉(緑生社 発行年不明)
*2 直接的な表現のものもある。
*3 上掲書にこの道祖神について次のような記述がある。**像碑の風化状態、作風などから、後年同所にあった古碑の口伝年代をこの碑を再建した時刻入した疑念がある。**(105頁)ただし双像記年刻銘代表碑表(107頁)には掲載されている。ちなみに同表で 2番目は大永2年(1522年)所在地はやはり長野県で北安曇郡松川村大泉寺となっている。


1313 辰野町沢底の火の見櫓4

2021-10-17 | A 火の見櫓っておもしろい


1313 上伊那郡辰野町沢底入村 入村ふれあいセンター 3無66型 撮影日2021.10.16

 沢底の一番奥の集落・入村、後方に山が迫っている。ここにも火の見櫓が立っていた。


長野県の南信地区には4角形の火の見櫓が多いが、昨日(16日)沢底で見た火の見櫓は4基とも3角形だった。なぜ、中信地区には3角形が多くて南信には4角形が多いのか、理由は全く分からない。

外付け梯子の段数と間隔(ピッチ)から見張り台の高さが約8.1メートルだと分かった。この高さを外付け梯子で昇り降りするのは怖いだろうな(といつも思う)。沢底公民館近くの火の見櫓(1311)はピカピカだったが、この火の見櫓はサビサビ。




柱で支えていない下り棟(稜線部)を両側の柱から持ち出した曲線部材によって支えていることがよく分かる。錆びていることもよく分かる。


手すり付きの外付け梯子。櫓の下部はやはり脚でないと。


「道祖神 200m」の看板が立っている。日本一古い道祖神となると、見に来る人が少なくないのだろう。




1312 辰野町沢底の火の見櫓3

2021-10-17 | A 火の見櫓っておもしろい


1312 上伊那郡辰野町沢底 沢底公民館の近く 3無66型 撮影日2021.10.16

 沢底川沿いに集落が点在する沢底地区を奥へと進む。最古と言われている道祖神がある入村地区はこの先だ。途中、沢底公民館のすぐ近く、アイストップのように火の見櫓が立っていた。




反りが強い6角錘(六角錐という表記が一般的)の屋根頂部に飾り付きの避雷針、下り棟下端に平鋼の蕨手。6角形の見張り台を大きく欠いて外付け梯子を取り付けている。手すりのデザインは蔓状、曲線のデザインが多く、このような直線で構成されたものは少ないという印象。6本の下り棟の内、3本を柱で支えているが、柱の無い残り3本の下り棟を支持材で突いている。錆止め塗装がされているのは好ましい。消防信号板も内側を向けてきちんと取り付けられている。


柱脚のコンクリート基礎が少し心もとない。


部材接合部 柱材の等辺山形鋼に溶接接合したガセットプレートに横架部材の等辺山形鋼(柱材よりメンバーは小さい)をボルト接合している。ブレースの丸鋼は曲げた端部を引掛けただけの引掛け接合(このような呼称はない。私の造語)。