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■ 9月のブックレビュー。なんといっても『源氏物語』を読み終えたこと、これに尽きる。いつか読みたいと思い続けていた長編小説を読み終えた。紫式部は源氏物語を書くために生き、生きるために書いたのだ。
1,000年以上も読み継がれるような小説を残し得たことは、作者の才能によるところが大きいことは言うまでもないだろうが、環境にも恵まれていたのだろう。紫式部が『源氏物語』で書きたかったこと、それは人は孤独だということではないか、と思う。紫式部は華やかな貴族社会に身を置きながらも孤独というか、人は結局ひとりなのだと常に感じていたのではないか。このような感慨が反映されている、と思う。再来年(2024年)の大河ドラマは紫式部が主人公の「光る君へ」で、吉高由里子さんが紫式部を演じる。鬼に大笑いされるだろうが、ぜひ見たいと今から記しておく。
さて、他に読んだ本は5冊。
『「美味しい」とは何か 食からひもとく美学入門』源河 亨(中公新書2022年)
**本書で扱う「美学」は、私たちが評価を下す際に用いる「センス」を考察対象とする哲学である。この意味での美学の目的は、美しいものを紹介することではなく、「何かを美しいと評価するとき、私たちは何をしているのか」といった問題を考察することだ。**(まえがき)
食事という日常的な行為を対象に「美」とは何かということを注意深く、周到に論じている。本書での論考の展開は対象がなんであれ、大いに参考になると思う。
『「日本列島改造論」と鉄道 田中角栄が描いた路線網』小牟田哲彦(交通新聞社新書2022年)
『日本列島改造論』の刊行は1972年。それから50年後の今、改めてその構想を鉄道の現状と比較しつつ論じている。当時の官僚や専門家たちの知の集積『日本列島改造論』、その過程を知ったことだけでも本書を読んだ意義があった、と思う。
『武蔵野をよむ』赤坂憲雄(岩波新書2018年)
著者の赤坂憲雄さんの講演を聴き、その会場で買い求めた。内容を理解するのに難儀した。いや、理解できなかった。本書に取り上げられているのはもちろん国木田独歩の『武蔵野』。
**(前略)独歩による武蔵野の発見とは、ひとつの恋愛の破綻の副産物であったのかもしれない、ということだ。**(47頁)
**「武蔵野」一編がいわば、ひそかな、明治の青春の忘れ形見であったことを否定するわけにはいかない。**(136頁)
**くりかえすが、「武蔵野」の底には、ひとつの恋愛の記憶が沈められていた。**(150頁)
フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」。この作品の壁面に描かれていたキューピッドが塗りつぶされた絵の具を注意深くはぎ取って画面に出現したことが話題になった。「武蔵野」を注意深く読み解くと**(前略)幾重にも上塗りして覆い隠した(後略)**(141頁)信子という若い女性が浮かび上がると赤坂憲雄さんは説く。そう、フェルメールが描いていたキューピッドのように・・・。
『源氏物語五十五帖』夏山かほる(日本経済新聞出版2021年)
源氏物語は五十四帖。薫の浮舟に対する邪推で終っている。え、これで終わり、と思った。で、実は秘されたもう一帖があるということで、それを探し出すという物語。探す人のひとりは紫式部の娘、という設定。ミステリーだから詳しく書かないけれど、信濃国で紫式部のライバルの女性が持っていたという、作者の奇想には驚いた。なんだか物足りないと思う読後感、なぜ?
『源氏物語の女君たち』瀬戸内寂聴(NHK出版2008年)
源氏物語に登場する女性たちを論じている。**ここで「浮舟」の帖は終わりますが、終始息もつがせぬ面白さで、やはり「宇治十帖」、特にこの「浮舟」の帖がなくて、何の『源氏物語』かと思われる出来ばえです。**(210,211頁)と寂聴さんは評している。同感。
読書の秋。