史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

廿日市

2019年06月29日 | 広島県

(大頭神社)

 

大頭神社                                     

 

 広島市内の掃苔を終えると、次は隣接する廿日市の二つの史跡をアタックした。千人塚は、広島岩国道大野ICを出てすぐ、大頭神社の門前にある。

 

千人塚

 

 慶応二年(1866)六月、この辺りは第二次幕長戦争の際、約二か月にわたり激戦が展開された。この戦闘で戦死した新宮藩士らがここに葬られたという。

 

(残念さん)

 山陽道を走っていると、「残念さん」という看板が目に入ってくるが、これも長州戦争関係の史跡である。高速道路の南側に駐車スペースが設けられており、そこからは徒歩で向かうことになる。高速道路を渡る橋も「さんねんさん橋」と名付けられている。

 

残念社

 

 残念社に祀られているのは、丹後宮津藩士依田伴蔵。

 慶應二年(1866)七月九日、四十八坂を単騎西に向かって走る幕軍の武者がいた。長州軍は、これを戦闘員と誤認をして狙撃。武士は「残念」と言い残してこと切れた。武士の名は依田伴蔵で、軍使として長州軍営に向かう途中であったことが分かり、長州軍は遺憾の意を表した。残念社は、村人が伴蔵の戦死を悼んで祀ったものである。

 

吉田松陰の腰掛石

 

 近いところに依田神社というもう一つ社がある。その参道にあるのが、吉田松陰の腰掛石である。松陰が江戸に護送される途中、当時西国街道中の難所といわれた八坂峠のこの石の上に腰を掛け、遥かに周防大島を望みながら、「この場こそ、三国一望の地である」と。故郷への別れを告げた。

 

依田神社

 

 以上で予定された広島県の史跡を終了し、いよいよ山口県に入る。

 

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