史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

新南陽

2019年07月06日 | 山口県

(永源山公園)

 永源山にある招魂社には、山崎隊士、献功隊士の墓がある。

 

永源山招魂社

 

山崎隊士の墓

 

 永源山招魂社は、徳山藩士で結成された山崎隊や献功隊士を祀っている。

 山崎隊は、徳山藩士民の有志によって、慶応元年(1865)四月に編成された徳山藩諸隊の一つ。慶応二年(1866)の四境戦争を皮切りに各地を転戦した。戊辰戦争では、同じく徳山藩士で編成された献功隊とともに、慶應四年(1868)の鳥羽・伏見の戦いから、その翌年の箱館戦争に参加した。明治三年(1870)の脱退騒動では徳山藩の主力として鎮圧に動いた。明治四年(1871)、徳山藩が山口藩と合併する際に解散した。

 

 

有福次郎招魂墓

 

 有福次郎は、厳密にいえば戦死者ではない。戊辰戦争で各地を転戦して戦功のあった有福次郎は、戦後イギリスへの留学生に選ばれ、ロンドンに渡ったものの、現地で病を得て没。今もロンドン近郊に墓がある。

 

 

永源山招魂場碑

 

 この碑は大正四年(1915)に建立。明治維新に際して、藩のために尽くした十八名の名前や、招魂社が官祭に指定されたことなどが刻まれている。撰文は大野直輔。山崎隊創設時の総監を務めたほか、鳥羽伏見の戦いの後、徳山藩第九代藩主毛利元蕃(もとみつ)の世子元功(もといさ)に随行してイギリスで経済学を学び、帰国後は造幣局長や会計検査院部長を務めた人物である。

 題字は元功の子にあたる毛利元秀によるものである。

 

 

明治天皇御製

 

 世と共に 語り傳へよ國の為

 命捧げし 人の勲を

 

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