(永源山公園)
永源山にある招魂社には、山崎隊士、献功隊士の墓がある。
永源山招魂社
山崎隊士の墓
永源山招魂社は、徳山藩士で結成された山崎隊や献功隊士を祀っている。
山崎隊は、徳山藩士民の有志によって、慶応元年(1865)四月に編成された徳山藩諸隊の一つ。慶応二年(1866)の四境戦争を皮切りに各地を転戦した。戊辰戦争では、同じく徳山藩士で編成された献功隊とともに、慶應四年(1868)の鳥羽・伏見の戦いから、その翌年の箱館戦争に参加した。明治三年(1870)の脱退騒動では徳山藩の主力として鎮圧に動いた。明治四年(1871)、徳山藩が山口藩と合併する際に解散した。
有福次郎招魂墓
有福次郎は、厳密にいえば戦死者ではない。戊辰戦争で各地を転戦して戦功のあった有福次郎は、戦後イギリスへの留学生に選ばれ、ロンドンに渡ったものの、現地で病を得て没。今もロンドン近郊に墓がある。
永源山招魂場碑
この碑は大正四年(1915)に建立。明治維新に際して、藩のために尽くした十八名の名前や、招魂社が官祭に指定されたことなどが刻まれている。撰文は大野直輔。山崎隊創設時の総監を務めたほか、鳥羽伏見の戦いの後、徳山藩第九代藩主毛利元蕃(もとみつ)の世子元功(もといさ)に随行してイギリスで経済学を学び、帰国後は造幣局長や会計検査院部長を務めた人物である。
題字は元功の子にあたる毛利元秀によるものである。
明治天皇御製
世と共に 語り傳へよ國の為
命捧げし 人の勲を
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