高校生の頃、試験に出ないことは重々承知していたが、とにかく歴史的知識に飢えていて、歴代天皇をひたすら暗記したものである。歴代天皇だけでなく、歴代の足利将軍や徳川将軍も当たり前のように諳んじていた。今となっては、朝会った人の名前が、夜には思い出せないほど著しく記憶力が低下してしまったが、あの頃は暗記することにストレスはなく、歌をうたうように歴代天皇の名前を覚えたのである。
あれから四十年以上が経ったが、
桓武・平城・嵯峨・淳和・仁明・文徳・清和・陽成・光孝・宇多・醍醐・朱雀・村上・・・
と続く一節は今も口をついて出てくるくらい脳裏に刷り込まれている。
本書は神武天皇から平成の天皇に至る歴代天皇の生涯と事績を記述したもので、(2001)に初版が発刊されて以来、二十年が経った今年、「増補版」として更新された。昔、覚えた歴代の天皇の名前に懐かしさを覚えつつ、ページをめくった。
神話時代には、百歳を越えて亡くなったという天皇が登場する。第十代崇神天皇に至っては「日本書記」によれば百二十歳、「古事記」によれば百六十八歳で崩御したことになっている。要するにこれはフィクションだよ、というメッセージなのだろう。神武天皇の父の名前は彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎたけうがやふきあえずのみこと)というらしいが、こんな長たらしい名前で日常呼びあっていたとは到底思えないし、第一本人が自分の名前を覚えられないだろう。こういう名前が登場すること自体、フィクションであることを物語っている。
本書を読んで、天皇が政治に関与すると世が乱れるという一定の傾向があることを確認した。後鳥羽上皇が北条執権打倒を目指して挙兵した承久の乱(1221)では、後鳥羽上皇が隠岐へ、土御門、順徳両上皇はそれぞれ土佐、佐渡へ流された。鎌倉幕府との対決姿勢を鮮明にした後醍醐帝の時代、正中元年(1324)には討幕計画が事前に漏れて多数の天皇方の武将が殺害された。それでも討幕の意思を変えなかった後醍醐帝は、楠木正成、新田義貞、名和長年そして足利尊氏といった武将を味方につけ、ついに鎌倉幕府を倒して親政を実現した。しかし、建武政権への批判は日増しに高まり、反政府運動が活発化した。後醍醐帝は吉野に移って南朝を樹立し、都奪回を夢見ながら崩御した。これ以降、南北朝並立の時代が六十年近く続き、その間争乱が絶えなかった。
再び天皇が政治の表舞台に立ったのが幕末であった。孝明天皇は強烈な攘夷主義者であると同時に親幕的であった。こうした孝明天皇の存在が幕末の混乱に拍車をかけたことは間違いない。
昭和天皇は決して統帥権を乱用するようなことはしなかったが、天皇の存在を軍部に利用され、それが日本を戦争に走らせた。天皇は時代の流れに抗うことはできなかったし、基本的には平和主義者だったと言われるが、それでも天皇の戦争責任は免れないだろう。
本書の副題は「皇位はどう継承されたか」である。記憶に新しいところでは、平成二十八年(2016)、天皇(現・上皇)はビデオメッセージを通じて国民に「お気持ち」を表明し、高齢のため全身全霊で務めを果たすことができなくなった旨を伝えた。天皇の発言は多くの国民の共感を呼び、翌年には皇室典範特例法が成立し、平成三十一年(2019)四月三十日、退位に至った。江戸時代の光格天皇から仁孝天皇への譲位以来、実に二百年振りの出来事であった。
私などは四十年近くサラリーマンをやってきて、まだ六十を超えたところだというのに既に十分疲弊している。明仁天皇が八十歳を越えて、なお重責を担い続けるというのは、我が身に置き換えてみても大変なことだと想像する。これ以上、天皇の位に在り続けるよう強要するのは、非人道的であろう。
と、ごく自然に譲位に賛成していたが、「増補版あとがき」によれば、筆者は平成二十八年(2016)に首相官邸で開かれた有識者会議の専門家ヒアリングの場で退位に反対を表明したという。長い天皇家の歴史を見れば、上皇による院政の事例も枚挙に暇ないし、象徴天皇下にあっても政治利用や二重権威の可能性を完全に否定はできない。現在の上皇陛下と今上天皇の間にそのような心配はないといった反論もあろうが、ことは制度の問題である、として筆者は反対意見を述べたという。学者としての良心であろう。結果、明仁天皇の譲位は特例法によって例外的に認められたのである。
筆者の最大の懸念は皇位継承の危機である。筆者によれば、側室の子がその後即位した非嫡出子による継承は、全体の半数を占めているという。一方で、戦後に皇室には側室を置かなくなった。皇位継承資格は嫡出に限られ、さらに皇室典範では男系男子に限定されている。皇族男子が減少し、皇族女子の皇籍離脱により益々危機は深刻化している。
実は我が国の歴史上、十代八人の女帝が在位している。だったら女性天皇の誕生も良いのではないか、と私などは安易に考えてしまうが、ことはそれほど単純なものではないらしい。八人の女帝はいずれも寡婦か未婚の内親王で、在位中の結婚も出産もなかった。
皇位承継の問題は一時盛り上がりを見せたが、平成十八年(2006)に秋篠宮家に悠仁親王が誕生すると、議論も下火になってしまった。筆者は「皇統断絶の危機をいかに回避するかは、主権者たる日本国民に課せられた大きな課題」と警鐘を鳴らす。時間があるうちに議論を尽くして結論を出すべきであろう。
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