(黒崎)
伊能忠敬測量記念碑
伊能忠敬一行は、享和元年(1801)十一月十日、黒崎に到着し、井戸の計測を行った。当日の日記には「此夜晴 天側量」と記録されている。
三陸道(三陸沿岸道路)は、仙台と八戸までの全長約三百六十キロメートルを結ぶ自動車道路である。東日本大震災の復興事業の一環として事業化され、令和三年(2021)十二月に全線が開通した。これにより岩手県普代村へのアクセスは随分と改善することになった。
朝からの雨は、普代村に着いた頃に本降りとなり、黒崎周辺は深い霧に覆われた。国民宿舎くろさき荘の北側に北緯40度を示すシンボルタワーがあって、人が近づくと地球儀が回り出すという仕掛けになっている。本来、展望台からは太平洋の絶景を見下ろすことができたはずだが、周囲は真っ白であった。
先ほどのシンボルタワーの近くに黒崎砲台跡が復元されている。
黒崎砲台跡
その先に黒崎砲台跡がある。
黒崎砲台跡
南部藩ではこの場所に台場を築き、黒崎御台場と称した。幕末の南部家文書「御分国海辺全図」によると、領内の太平洋沿岸沿いと津軽海峡、そして内海睦湾側に至る広い沿岸要所に遠見番所十カ所以上と砲台場三十三ヶ所以上を配置したとしている。
黒崎台場には、土塁をめぐらし、砲台場、火薬庫、詰所を配置して、打ち方と手伝人六名を常置させていた。慶應四年(1868)の戊辰戦争では、幕軍に属した南部藩は北航してくる官軍艦船をこの場所から狙い撃ったという。
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