史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

津 Ⅲ

2020年11月07日 | 三重県

(お城西公園)

 

お城西公園

 

明治天皇臨幸記念碑

 

 お城西公園の東側に小さな池がある。その畔に明治天皇の臨幸を記念した巨大な石碑が建てられている。明治天皇の行幸は、明治十三年(1880)七月六日。題字は文部大臣松浦鎮次郎。

 

(寒松院)

 津市寿町の寒松院には初代藤堂高虎から十代高兌(たかさわ)に至る歴代津藩主の墓地がある。寒松院は、高虎の号。本堂北側には、分家久居藩主の墓が、初代から十六代まで並んでいる。寒松院は、藤堂家の菩提寺となって以来、寺領四百石が与えられ、末寺も十八寺を数えた。藩の費用で寺の維持が行われ、藩主が毎月参拝した。明治になっても、明治十二年(1879)には第一回の県議会が開かれるなど、この地方の中心的寺院であった。昭和二十年(1845)、戦災を受けて建物は全て焼失し、藤堂家の墓石も破損した。以来、寺は無住と化し、敷地も縮小し、現在本堂の周囲は駐車場と化している。往時は偉容を誇ったことが想像されるが、現状はすっかり寂れている。

 

寒松院

 

初代藤堂高虎の墓

 

藤堂家墓地

 

明治天皇行在所跡

 

 寒松院は、明治十三年(1880)七月四日から七日、明治天皇の行在所となった。

 

(結城神社)

 結城神社は、津市藤方にあって、とても歩いて行ける距離ではない。津市街の三重会館からバスに乗って十五分ほど揺られると「結城神社前」というバス停に至る。ここから歩いて数分の場所である。

 

結城神社

 

 結城神社は、新田義貞とともに後醍醐天皇の建武の中興を助けた「忠臣」結城宗広を祀る神社である。宗広は足利尊氏を迎え撃ったが、志を得ずこの地に没したとされる。文政七年(1824)には津藩主藤堂高兌は、宗広の忠節を慕い、社殿を改修、墳墓を整備して、祭祀費を藩の負担で行った。

 明治十三年(1880)、明治天皇御巡幸に当たり、勅使が派遣され、明治十五年(1882)には特旨をもって別格官幣神社に列せられ、諸社殿が建立された。

 

(三重大学)

 津の市街地を歩くのは何年振りだろうか。以前は十年以上も前になるが、その時は発見できなかった斉藤拙堂の山荘跡碑に再挑戦することにした。当時斉藤拙堂山荘跡碑は、鉄道の法面にあって繁るにまかせた雑草に被われ、特に夏場は見ることも近づくこともできない状況であった。関係者もさすがにそれではマズイということに気が付いたのであろう。この十年でこの石碑を巡る環境はがらっと様変わりした。石碑は実際の跡地から三キロメートルほども離れた三重大学のキャンパス内に移設された。それだけではなく、比佐豆神社内に別の石碑が建てられ、以前石碑が建っていた場所近くの公園には説明板が設置された。ということで、まず三重大学内の石碑を訪ねた。広いキャンパスのどこにあるのか事前に情報がなかったが、比較的正門に近いところにあった。

 

拙堂先生山荘遺址碑

 

(比佐豆神社)

 

比佐豆神社

 

拙堂先生山荘遺趾碑

 

 平成二十八年(2016)に比佐豆神社内に山荘遺址碑が再建された。斉藤拙堂が晩年茶磨山荘を建てたのは、比佐豆神社西隣一帯といわれる。

 

(しあわせの森児童公園)

 

齋藤拙堂山荘(茶磨山荘)跡

 

 もともと拙堂先生山荘跡碑のあった場所近くの小さな公園に、津市教育委員会が説明板を設置している。

 斉藤拙堂は、時代の流れの中で必要となった医学や兵学、化学などを積極的に取り入れた洋学館を開設するなど藩士教育の充実を図った。しあわせの森児童公園の付近一帯は、晩年拙堂が隠居した山荘の跡地で、幕末、吉田松陰や吉田東洋、横井小楠ら著名な志士や学者が訪れ、拙堂と面会して彼の意見を求めた。

 

齋藤拙堂像

 

(大里窪田町)

 大里窪田町の民家の前に「史蹟明治天皇窪田御小休所」が建てられている。明治天皇がこの地に行幸したのは、明治二年(1869)三月十日のことである。

 

史蹟明治天皇窪田御小休所

 

(専修寺)

 一身田の専修寺は、広大な境内と国宝・重要文化財級の伽藍を有する大寺院である。これほどの寺院が三重の片隅に存在しているとは全く予想外であった。

 

 明治十三年(1880)七月九日から翌日まで明治天皇が専修寺に滞在している。明治天皇が滞在した書院は賜春館と名付けられ保存されているが、残念ながら一般に公開されていない。部屋には三条実美書「賜春館」の横額や有栖川熾仁親王の書などが掲げられているらしい。

 

専修寺御影堂

 

対面所

 

 賜春館のあるのは対面所のちょうど裏側に当たる。

 

(八幡町)

 

史蹟 明治天皇津八幡町御小休所

 

 八幡町の民家の庭に一つの石碑がある。明治天皇が明治十三年(1880)七月七日、滞在したことを記念したものである。

 

 まだ津や三重県下の史跡を訪ねたかったが、レンタカーを返却する時間が迫っていた。急ぎ返却場所である岐阜駅まで戻った。岐阜に近づいた時、俄かに前が見えないほどの雷雨となった。返却時間までだいぶ余裕があるはずだったのだが、結果的には時間ギリギリに返すことになった。

 次第に雨は弱くなったが、名古屋に向かうJR東海道線は運転見合わせとなり、名鉄の振替輸送に乗客が殺到した。何とか名古屋までたどりつきその日のうちに八王子に帰ることができた。

 今日のようなゲリラ豪雨が日本各地で発生している。今年も九州や岐阜、長野で堤防が決壊して深刻な浸水被害や土砂崩れが発生したが、振り返れば近年集中豪雨による被害は毎年発生している。治山治水がこれほど重要になった時期はかつてなかったかもしれない。

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