史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「徳川将軍家 十五代のカルテ」 篠田達明 新潮新書

2009年04月18日 | 書評
 たまたま「徳川将軍家 十五代のカルテ」と「幕末の将軍」という二つの本を並行して読んだ。両著に共通するのは、我々が徳川将軍に抱いている固定観念に対する鋭い指摘である。
 例えば三代将軍家光といえば、時代劇の世界では男前のりりしい将軍と相場が決まっているが、「その実像は貧相な小男であった」という。虚像が独り歩きしたのは、「権現(家康)の再来のごとし」という幕府の喧伝効果であろう。
 増上寺の徳川歴代将軍の墓は、昭和三十三年(1958)に改修工事がおこなわれ、全身の骨格が発掘された。また三河の大樹寺には、歴代将軍の等身大の位牌が安置されているという。これらの資料から推定された歴代将軍の身長がこの本に紹介されているが、二代将軍秀忠の160㎝が最高で、ほかは全てそれ以下である。無論、この時代の日本人の身長はそれが平均的な水準で、徳川将軍家だけがちっちゃかったというわけではない。その中にあってひと際目を引くのが五代将軍綱吉である。綱吉の身長はわずか124㎝というから現代でいえば小学校生低学年並みである。犬公方と称され天下の民衆を苦しめた張本人が、実はこんなちっぽけな男だったとは、何だか拍子抜けするほどである。
 京都の霊山歴史館で、等身大の徳川慶喜肖像が展示されていたのを見たことがある。慶喜といえば、フランス式の軍装に身をつつんだ騎乗の凛々しい写真が残されている。時代劇で役者が演じる慶喜は、長身で男前と相場が決まっているが、実際は150㎝そこそこの小男であった。といっても幕末における慶喜の存在を損なうものではないが、ドラマとは異なる現実を知っておくことも歴史の実像を正確にイメージするには必要なことかもしれない。

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2 コメント

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Unknown (鳴門舟)
2009-04-19 13:22:26
私も幕末の人物の実像について興味があって、身長など調べた事があります。
 検索して調べると、江戸時代の男性の平均身長は
155~158cmくらい。
 慶喜の身長150cmそこそこと聞いて、いろいろ本を取り出して調べてみました。
 取りあえず、パ-クス公使やサトウと共に将軍に
引見したミットフォ-ドの回想録が詳しいようです。
 ≫彼は西洋人に比べると小さく、普通の日本人並みの背丈であったが、昔風の日本の衣装を着ていると、その差はほとんど目立たなかった。
 私が日本滞在中に会った日本人の中では、西洋人の目から見て最も立派な容姿を備えた人間であった。

 回想と言う意味で疑問符も付きますが、私には160cm位あったのではないかと想像します。
 小男と言えば勝海舟の方が有名なのではないでしょうか。
 西郷の180cmはほぼ合ってるようですが、大久保もそれに近い身長があったというのは、私は疑問に思っています。
 岩倉使節団の集合写真を見ても、彼が飛びぬけて大きくは感じません。
 西郷の集合写真が残っていないのはまことに残念です。
 
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Unknown (植村)
2009-04-25 15:18:24
鳴門舟様

返信遅くなって済みませんでした。

慶喜や大久保利通の身長が、どれくらいだったか。結局、正確なところは分かりません。
西郷さんは、六尺くらいあったといわれていますが、当時としては相当な大男だったと思われます。当時の人は、西郷の大きさに「神秘性」を見出したのかも知れませんね。
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