史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

大島 Ⅲ

2019年07月06日 | 山口県

(神浦共同墓地)

 竹さんの事前調査によれば、作詞家の星野哲郎の墓が、出身地である大島の和佐地区の共同墓地にあるという。星野哲郎は「アンコ椿は恋の花」「三百六十五歩のマーチ」「兄弟船」などのヒット曲の作詞を手掛け、平成二十二年(2010)、八十五歳で没した。

 少し苦戦したが、やっとのことで星野哲郎の墓を探しだした。ところが、いくら墓域を確認しても星野雄助の墓がみつからない。一旦、諦めてここを離れることになった。

 竹さんが持参した「幕末維新全殉難者名鑑(三)」によれば、星野雄助は和佐の隣の神浦郷の出身となっている。念のため帰りに神浦の墓地で探してみると、墓地の中央辺りに星野雄助の墓を発見した。これはまさに発見と呼んでよいだろう。

 因みに「幕末維新全殉難者名鑑」は、厚さが四センチもあるハードカバーの本で、少しでも荷物を減らしたい旅行に、この本を持って行こうとはなかなかそういう考えにはならないものである。何としてでもという竹さんの熱意が、この発見に結び付いたといえよう。

 

 

星野雄助霊神

 

星野雄助は建武隊。和田筏八幡神社の神官。大島郡神浦住。慶応四年(1868)伏見に戦い、四月九日、京都で病死。

 墓石正面には戒名らしきものが刻まれているが、読み取ることはできない。

 

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