和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ブログと知的生産活動。

2023-02-08 | 古典
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)は、
毎回ひらくと、あたらしい発見があるのですが、今日は、
読書論に触れ、知的消費と知的生産を腑分けしている箇所から引用。


「 今日おこなわれている読書論のほとんどすべてが、
  読書の『たのしみ』を中心にして展開しているのは、
  注目してよいことだとおもう。

      今日、読書はおもに知的消費としてとらえられているのである。

  ・・・知的であれ、それ以外であれ、消費はべつにわるいことではない。

  知的生産とは、知的情報の生産であるといった。
  既存の、あるいは新規の、さまざまな情報をもとにして、
  それに、それぞれの人間の知的情報処理能力を作用させて、
  そこにあたらしい情報をつくりだす作業なのである。

  それは、単に一定の知識をもとでにしたルーティン・ワーク以上のものである。
  そこには、多少ともつねにあらたなる創造の要素がある。
  知的生産とは、かんがえることによる生産である。  」

         ( p10~11 「知的生産の技術」の「はじめに」 )

何回か、読んだはずなのに、そのたび、すっかり忘れていて、
何度も、新しい読み方を、読む方に想起させてくれる楽しみ。
はい。もうすこし続けます。

「  こういう生産活動を業務とする人たちが、
   今日ではひじょうにたくさんになってきている。

   研究者はもちろんのこと、報道関係、出版、
   教育、設計、経営、一般事務の領域にいたるまで、

   かんがえることによって生産活動に参加している
   人の数は、おびただしいものである。

   情報の生産、処理、伝達、変換などの仕事をする産業を
   すべてまとめて、情報産業とよぶことができる・・・・

   そして、情報産業のなかでは、とくに知的生産による部分が、
   ひじょうにたいせつであることはいうまでもない。   


   ・・・・・・
   知的活動が、いちじるしく生産的な意味をもちつつあるのが現代なのである。
   知的生産ということばは、いささか耳なれないことばだが・・・
   
   人間の知的活動を、教養としてではなく、積極的な
   社会参加のしかたとしてとらえようというところに、
   この『知的生産の技術』というかんがえかたの意味もあるのではないだろうか。

   ・・・・・そういう人たちの範囲をこえて、すべての人間が、
   その日常生活において、知的生産活動を、たえずおこなわないでは
   いられないような社会に、われわれの社会はなりつつあるのである。」


はい。『知的生産の技術』は1969年に新書として発売されております。
何か、しごく真っ当で、正確な大風呂敷を聞かされている気がします。
引用した文のつぎには、こうあります。

「  社会には、大量の情報があふれている。
   社会はまた、すべての人間が情報の生産者である
   ことを期待し、それを前提としてくみたてられてゆく。

   ひとびとは、情報をえて、整理し、かんがえ、
   結論をだし、他の個人にそれを伝達し、行動する。
   それは、程度の差こそあれ、みんながやらなければならいことだ。 」

         ( ~p12 「知的生産の技術」の「はじめに」 )

読み直すたび、あらたに違うことを思い浮かべるのですが、今日は、
引用した最後で、gooの皆さんのブログを思い浮かべておりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「素晴らしき哉、人生」

2022-12-22 | 古典
新聞は、テレビ欄を覗く楽しみ(笑)。

さてっと、今日の午後1時からNHKBSプレミアムで
映画『素晴らしき哉、人生』(字幕)を放映。
うん。この機会に再見。

ハローウィンは、私にはどうもピンとこない。それなら、
年末年始のこの時期なら、クリスマスが思い浮かびます。

うん。『素晴らしき哉、人生』を録画しておくことに。
ということで、この映画のお話。

瀬戸川猛資著「夢想の研究」(早川書房・1993年)からの引用。

「・・唐突に思い出すのは、フランク・キャプラ監督の
 アメリカ映画『素晴らしき哉、人生!』(’46)である。

 人生に絶望して自殺しかけたジェームズ・スチュアートを、
 天国の見習い天使ヘンリー・トラヴァースが
 クリスマスの晩に救いにやって来て、
 
 《 彼が存在しなかったもうひとつの世界 ≫を見せてやる。
 というストーリーのこの作品は、
 『オズの魔法使』と並び称されるアメリカ・ファンタジー映画の古典である。
 同時にまたこれは、西欧の生んだクリスマス映画の最高傑作でもある。
 ・・・・・

 わたしはかねがねこの映画に感嘆していた。
 なんというか、普通の映画の規格をはずれた『すごさ』を感じるのである。

 とくにラストの30分。このめちゃくちゃなフィナーレは、まったくすごい。
 演出とか演技とか映像とかいったものを超えた何かがある。

 あれはいったい何なのだろう?・・・・
 あれは、クリスマスの祖先たる太古の祭りの熱狂のすごさなのだ。

 時間と次元の混乱。
 クリスマス・プレゼントというとてつもない無償の贈り物。
 古い秩序の崩壊と新しい人生の誕生。

 『素晴らしき哉、人生!』は、
 ≪ 死と再生 ≫の祝祭に捧げられた寓話なのである。」( p186~187 )


はい。この言葉を噛みしめながら、録画して映画を再見することに。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子の『道(タオ)』

2022-08-23 | 古典
加島祥造訳「タオ 老子」(筑摩書房・2000年)の最初から引用。

  道(タオ)

 これが道だと口で言ったからって
 それは本当の道(タオ)じゃないんだ。
 これがタオだと名づけたって
 それは本物の道じゃないんだ。
 なぜってそれを道だと言ったり
 名づけたりするずっと以前から
 名の無い道(タオ)の領域が
 はるかに広がっていたんだ。

 まずはじめに
 名の無い領域があった。
 その名の無い領域から
 天と地が生まれ、
 天と地のあいだから
 数知れぬ名前が生まれた。
 だから天と地は
 名の有るすべてのものの『母』と言える。

 ところで
 名の有るものには欲がくっつく、そして
 欲がくっつけば、ものの表面しか見えない。
 無欲になって、はじめて
 真のリアリティが見えてくる。

 名の有る領域と
 名の無い領域は、同じ源から出ている、
 名が有ると無いの違いがあるだけなんだ。

 名の有る領域の向うに
 名の無い領域が、
 はるかに広がっている。
 明と暗のまざりあった領域が、
 その向うにも、はるかに広がっている。その向うにも・・・
 入口には
 衆妙の門が立っている、
 森羅万象あらゆるもののくぐる門だ。
 この神秘の門をくぐるとき、ひとは
 本物の Life Force につながるのだ。


ちなみ、PARCO出版・加島祥造訳「タオ」(1992年)があるのですが、
筑摩書房のほうが訳文の推敲がされていて、よりわかりやすく読めます。 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子の『徳』

2022-08-22 | 古典
加島祥造著「タオ(道)」筑摩書房・2000年。
帯には「道は無い・・・それが道だ」全訳創造詩とあります。
今回引用するのは第38章徳(テー)

 だいたい私が
 徳と呼ぶのは
 千変万化するタオのエナジーが
 この世で働く時のパワーのことを言うのだ。

 タオのパワーにつながる人は
 いまここに居る自分だけに
 心を集めている。
 ほかの意識は持たないから、
 内側のエナジーはよく流れる。
 これを私は上等の徳と言うんだ。
 世間にいる道徳家と言うのは
 徳を意識して強張(こわば)るから、
 エナジーはよく流れない――
 こういうのを私は下等の徳と言うのさ。

 同じことが日々の行為にも当てはまる。いつも
 意識して行動するだけの人は
 深いエナジーを充分に掬(く)みだせない。
 タオの働きを信じて、
 余計なことをしない人は
 いつしか大きなパワーに乗って、自分の
 生きる意味につながる。
 その人の
 本当の人間感情も
 こういう大きな愛から動く。

 これが正しいからやる、なんてことばかり
 主張する人は
 浅いパワーを振り回しているのさ。
 そして礼儀や世間体や形式ばかり
 守ってる人は、
 こっちがそれに同調しないと
 目を剝いて文句を言い、
 腕まくりして無理強いしたりする。

 言い直すと、世界ははじめ、
 タオ・エナジーの働きを、
 徳として尊んだんだがね。
 それを見失ったあと、 
 人道主義を造りだした。
 それを失うと、
 正義を造りだした。
 正義さえ利(き)なくなると、
 儀礼をはじめた。
 儀礼がみんなの基準になると
 形式ばかり先行して、裏では
 むしり合いがはじまった。
 先を読みとる能力が威張り、
 愚かな競争ばかり盛んになった。

 あの道(タオ)の
 最初のパワーにつながる人は
 上辺(うわべ)の流れを見過ごして平気なんだよ。
 結果が自然に実を結ぶのを
 待っていられる人になる。
 花をすぐ摘み取ろうなんてせずに
 ひとり
 ゆっくりと眺めている人になる。

              ( p104~107 )


はい。この夏は、老子・荘子を読もうと思った。
思ったまま、夏も過ぎようとしております。
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉の、人生処方箋。

2022-08-02 | 古典
以前に、『人生処方箋詩集』とかいう題の文庫をひらいたことがあります。
挙げられた詩は思い出せないけれど、題名には惹かれるものがありました。

こういうときは、この詩を処方するという、言葉の処方箋。

鶴見俊輔に「如是閑の見かた」という文がありました。
長谷川如是閑のことを書いた文で、そのなかに本の読み方を
指摘した箇所がありました。

「 本を読んで記憶することに、重きをおかず、
  むしろ失念術の修業を日常生活で実行した。

  弓をいることを思いうかべることが、
  失念するために役だったそうだが、

  寝る前に漢籍からぬきがきをすることも数年したそうで、
  『論語』がもっとも多く、『老子』もあり、
  佐藤一斎『言志録』もあった。
  もっとも気のめいった時に読むのが『老子』であったという。」

          ( p393 「長谷川如是閑集第一巻」岩波書店 )


ここなど処方箋でいえば、『もっとも気のめいった時に読む』本。

そういえば、福永光司「荘子内篇」朝日文庫のあとがきが思い浮かぶ。
戦場にもっていた本(万葉集・死に至る病・パイドン・荘子)を語る箇所。

「 戦場の炸裂する砲弾のうなりと戦慄する精神の狂躁とは、
  私の底浅い理解とともに、これらの叡智と抒情とを、
  空しい活字の羅列に引き戻してしまった。

  私は戦場の暗い石油ランプの下で、時おり、
  ただ『荘子』をひもときながら、私の心の弱さを、
  その逞しい悟達のなかで励ました。明日知れぬ
  戦場の生活で、『荘子』は私の慰めの書であったのである。」

                 ( p341~342 )


どうやら、処方箋の薬箱(本棚)の常備薬に、老荘思想は欠かせなそうです。

さてっと、興膳宏氏の現代語訳「荘子内篇」は、
さらさらと読めたのですが、さらさらと忘れてしまう。
うん。ここは、

 福永光司・興膳宏訳「荘子内篇」(ちくま学芸文庫)
 福永光司「荘子内篇」(中国古典選12・朝日文庫)

この2冊。並べて読んでみれば効果がありそうな気がしてきます。




           
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道元と、68歳の典座の夏。

2022-08-01 | 古典
講談社学術文庫に、道元「正法眼蔵」8冊揃いがあるけど、
ちゃんと本棚には、並んでいるのだけれど、読まずにある。

読まずにあるのですが、最初の一冊くらいは読みました。
きちんと読んでから感想を浮かべればよいのでしょうが、
この調子でゆけば、どうしても感想を書けないだろうな。

ええい儘(まま)よ。
思い浮かぶ感想を描きながら本へ近づくという手もある。

道元に典座教訓(てんぞきょうくん)がありまして、
そこに、留学中の道元と典座との会話が載ってます。

「私は、昼食が終わったので、東の廊下を通って・・途中
 用典座(ゆうてんぞ)は仏殿の前で海藻を干していた。

 その様子は、手には竹の杖をつき、頭には笠さえかぶっていなかった。
 太陽はかっかっと照りつけ、敷き瓦も焼けつくように熱くなっていたが、

 その中でさかんに汗を流しながら歩きまわり、一心不乱に海藻を干しており
 大分苦しそうである。背骨は弓のように曲がり、大きな眉はまるで鶴のよう
 に真っ白である。

 私はそばに寄って、典座の年を尋ねた。すると典座は言う、
 『六十八歳である』。私はさらに尋ねて言う。
『どうしてそんなお年で、典座の下役や雇い人を使ってやらせないのですか』

 典座は言う、
 『他人がしたことは私がしたことにはならない』。
 私は尋ねて言う、
 『御老僧よ、確かにあなたのおっしゃる通りです。
  しかし、太陽がこんなに熱いのに、どうして
  強いてこのようなことをなさるのですか』。

 典座は言う。
 『(海藻を干すのに、今のこの時間が最適である)
  この時間帯をはずしていつやろうというのか』。

 これを聞いて、私はもう質問することができなかった。
 私は廊下を歩きながら、心のなかで、典座の職が
 いかに大切な仕事であるかということが肝に銘じた。」

    ( p70~71 講談社学術文庫「典座教訓・赴粥飯法」 )


そういえばと、昨日の夜に、本棚の正法眼蔵へ目がゆきました。
講談社学術文庫の正法眼蔵1~8は、増谷文雄全訳注です。

うん。正法眼蔵(一)だけはパラパラ読みした記憶があります。
一冊目のはじめのほうに、現成公案(げんじょうこうあん)が
ありました。この一巻を増谷文雄氏は説明しております。

「この一巻が制作されたのは、天福元年(1233)の
 中秋(8月15日)のころであったと知られる。
 巻末の奥書に記すところである。・・・・・・

 この一巻は、別に衆に示されたものではなく、ただ書いて、
 これを『鎮西の俗弟子楊光秀』なる者に与えたものと知られる。・・」
                        ( p38 )

うん。現成公案は、中秋(8月15日)のころに、
鎮西(ちんぜい)の俗弟子へと書いた手紙のようです。
きっとまだ暑さが消えない時期だったのでしょうね。

本文の始まりは「諸法の仏法のなる時節・・・」を
語り始めているのですが、数行目あとには、こうあります。

「しかもかくのごとくなりといへども、
 華は愛惜(あいじゃく)にちり、
 草は棄嫌(きけん)におふるのみなり。」

ここを、増田文雄氏は、こう訳しておりました。

「また衆生・諸仏があっても、なおかつ、
 花は惜しんでも散りゆき、
 草は嫌でも繁りはびこるものと知る。」(p41)

「現成公案」の、最後には扇が出てくるのでした。
ここは、増谷氏の現代語訳で

「(風俗常住ということ)
 ・・宝徹禅師が扇を使っていた。
 
 そこに一人の僧が来って問うていった。
 『風性は常住にして、処として周(あまね)からぬはないという。
 それなのに、和尚はなぜまた扇を使うのであるか』

 師はいった。
 『なんじはただ風性は常住であるということを知っているが、
  まだ、処として周からぬはないという道理はわかっていないらしい』

 ・・・・・・・
 つねにあるから扇を使うべきではない、
 扇を用いぬ時にも風はあるのだというのは、
 常住ということも知らず、風性というものも解っていないのである。

 風性は常住であるからこそ、
 仏教の風は、大地の黄金なることをも顕現し、
 長河の水を乳酪たらしめる妙用をも実現することを得るのである。」


はい。夏に扇。そうして、
「華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり」。

時節柄、夏のこととて、何だか身近な感覚として伝わってきます。
1233年の中秋は暑かったのでしょうかどうだったのでしょうね?
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆったりとそのかたわらに。

2022-07-25 | 古典
荘子の逍遥遊篇。それはわりかし最初の方にありました。
漢文は難しい。読むのはやめとこうと思う最初の方です。

「恵子(けいし)が荘子にいった」とはじまっています。

恵子とは、どなた?

「恵施(けいし・施はその名前)は
 孟子との問答で有名な梁(りょう)の恵王に仕えた
 荘子と同じ頃の論理学者であり政治家である。

 荘子との交渉も当時の思想家のなかでは最も密接であり・・・

 恵施の荘子に対する批判の重点は、要するに荘子の思想が
 余りにも超世俗的で現実に何ら役だたないということにあるが、 
 荘子はその非難に対して『無用の用』ということをもって答える。」

           ( p54 福永光司「荘子内篇」朝日文庫 )

はい。それでは、樗(おうち)が出てくる箇所。
そこを、現代語訳で引用。

「 恵子(けいし)が荘子にいった。
 『ぼくのところに大木があって、みなに樗と呼ばれている。

  その幹はこぶだらけで墨縄(すみなわ)もあてられず、
  小枝は曲がりくねってぶんまわしや差しがねもあてられない。
  道ばたに立っているのに、大工も知らぬ顔だ。

  ところで君の議論にしても、大きいばかりで役に立たない。
  みんながそっぽを向いてしまうのはそのせいだよ 』。


 荘子
 『君はヤマネコやイタチを知ってるだろう。
  あいつらは身を伏せて隠れ、うろついている獲物を待ち受けて、
  あっちこっちと跳ねまわり、高いも低いもへっちゃらだが、
  あげくに罠にかかったり、網にからめ取られたりして死んじまう。

  一方、ほら、あの大牛ときたら、
  空の果てまで垂れこめた雲みたいにでっかい。
  でっかいにはでっかいが、ネズミだって捕らえられない。

  いま君のところの大木は、役に立たんとこぼしているが、
  なぜそれを何一つない村里や、果てもなく広い曠野に植えて、

  ゆったりとそのかたわらに憩(いこ)い、
  のびのびとその下に寝そべらないんだい。

  まさかりや斧で若木のうちに切りたおされもせず、
  何かに危害を加えられる恐れもない。何の役にも立たなくたって、
  気に病むことなんてまったくないんだよ。 」

        ( p34~35 ちくま学芸文庫「荘子内篇」2013年 )


ちなみに、ちくま学芸文庫のp158には、

「人は皆な有用の用を知りて、無用の用を知ること莫(な)きなり」

ともありました。
やっと興味の糸口がつかめました。
夏は楽しく荘子を読めますように。
できれば樗(おうち)の木の下で。
  
 



            
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

荘子と名前あれこれ。

2022-07-24 | 古典
福永光司の「『荘子』の世界」は、12㌻ほどの短文に、
さまざまな言葉の紹介があって便利。
はじまりは

「荘子といいますのは、西暦前四世紀、ギリシャのアリストテレスと
 ほぼ同じ時期の古代中国社会を生きた哲学者荘周のことです。
 
 荘が苗字で、周が名前です。
 この周という名前を日本人で自分の名前にしたのが、
 ・・西周(にしあまね)という明治の哲学者です。
 この方が『あまね』と読ませている周という字は、
 これは荘周の周という字を採ったものです。 」


 「なかなか紛らわしいのですが、
  人間である哲学者自身を呼ぶ時は『荘子(そうし)』と澄んで読む・・
  荘周の言行を記録した書物の方は『荘子(そうじ)』と濁って読む
  のがずっと古い時代からの習慣なのです。・・・・」


明治の人の名前が、取り上げられて興味深い。

〇 幸徳秋水の秋水は、『荘子』の秋水篇から採った名前です。

〇 坪内逍遥・・逍遥というのは『荘子』の中の逍遥遊篇から採っった名前。

〇 高山樗牛や相馬御風、この樗牛や御風も『荘子』の中の言葉です。


うん。初心者の私に、興味深い短文なので、ここは反芻しておきます。

「 荘周の著とされる『荘子』の内容は、大きく分けて
  二本の柱から成り立っています。

  そのひとつは『道』という言葉です。
  それが道教になっていきます。

  『道』、いまの北京語ではこれを『ダオ』と発音しますが、
  ヨーロッパではこれを濁らずに『TAO(タオ)』と読んで、
  タオイズムと呼ばれています。

  このタオという言葉と思想、これが『荘子』の第一の柱です。
  それからもうひとつの柱が『遊』、遊びということです。
  つまり
  『荘子』は『道と遊びの哲学』であると理解したらいいと思います。」


うん。ちょこちょこと引用してゆくと、どんどんと長くなるので、
あとひとつだけ、『庖丁(ほうちょう)』が出てくる箇所を引用します。

「庖というのは料理をするという意味、
 あるいは料理人ということを意味します。

 古代の中国では職業名を名前の上に置きますから、
 庖丁というのは『料理人の丁さん』という意味になります。

 この庖丁さんの登場するのは・・『道』と『技』の問題を論じています。

 儒教の場合は、
 技術というのはあまり重視されずに、精神の方に重点を置きます。

 けれど道教の場合は肉体的な要素を非常に重視します。
 この世の生活は身体が一番根本になり、その身体に心(精神)が宿る
 という考え方をします。

 そして外篇の天地篇では、この『道』と『技』をさらに展開し、
 『機械』と『機心』という言い方で論じています。

 機械を使う時は用心しなければならない。
 機械に慣れてしまうと心まで機械のようになってしまうからだ、
 と言っているのです。

 このように、機械という言葉はすでに『荘子』に出てきています。
 この機械とは、からくりを使った仕掛け道具といった意味です。

 天地篇のこの原文は
 『機械あるものは必ず機事あり、機事あるものは必ず機心あり』
 となっています。

 機械が作られると人は必ず物事を機械的に処理してしまうようになる。
 そうすると、心まで機械のように冷酷な温かみのないものになってしまう
 危険性がある。だから、機械を使う者は用心しなさいと言っているのです。

 この『荘子』が書かれたのは中国の戦国時代です。
 戦いが続き、どんどん戦うための機械が作り出され、
 効果的な武器が出てきて戦死傷者の数がますます増えてしまうため、
 荘子が警告の意味でこうした言葉を書いたのです。・・・   」


うん。ここから「無心」へとつながる箇所なのですが、
途中ですが、ここまでにしときます。

福永光司著「『馬』の文化と『船』の文化 古代日本と中国文化」
(人文書院・1996年)に「『荘子』の世界」は入っておりました。
ちなみに、この本の「あとがき」のはじまりは

「私たちが日常生活の中で意識しないでやっていることの中には、
 道教をはじめとする中国古代宗教の思想信仰やしきたりが
 習俗となって染みついています。それは想像以上といっていいでしょう。」

この本は、各雑誌などに掲載・発表されたものがまとめられた一冊。
どれどれと、「『荘子』の世界」の初出一覧を見ると、

「『花も嵐も』1994年2月号(NHK ラジオ深夜便「こころの時代」より)」
とありました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徒然草と芥川龍之介

2022-07-17 | 古典
「徒然草」のガイド・島内裕子さんの
通読コースを、うしろからついて読みすすんでみると、
いままでの「徒然草」観が払拭された気分となります。

そうすると、今までのことはもうすっかり忘れてしまっている。
今までの、先入観で私はどう『徒然草』を思い描いていたのか。
それを、ふりかえってみることは、まんざら無駄じゃなさそう。

ということで、ひろげたのが、
谷沢永一・渡部昇一「平成徒然草談義」(PHP研究所)。

はじめの方に、芥川龍之介によって突っ込まれる「徒然草」が、
紹介されているので。そうだ。そうだった。と思い当たります。


谷沢】 ・・・・文学史上、有名な人物のうちで、
    芥川龍之介は『徒然草』をこてんぱんに言っています。

  『わたしはたびたび、こう言われている、
    ≪ 徒然草などさだめしお好きでしょう ≫。
   しかし、不幸にも徒然草などはいまだかつて愛読したことはない。
   正直なところを白状すれば、徒然草が名高いというのも、
   またほとんどわたしには不可解である。
   中学程度の教科書に便利であることは認めるにしろ・・・  』

  なぜ、芥川がこういうことを書いたのか。
  『徒然草』の各段を分類すると、教訓性の強い話が圧倒的に多く、
  次が物語性の濃い面白い話、それから叙情詩的なものです。
  つまり、教訓癖の強さがある。
  それに芥川がカチンときたのではないか。

  また、芥川が全編を読んで言ったのかどうかはわかりませんが、
  もし読んでいたとすれば、『鼻』のようにちょっと変わった人の話など、
  
  自分ならもっと上手に書いてみせる、せっかくの材料を兼好は
  生のままで放りだしている、と考えたに違いないとも思います。


渡部】 芥川龍之介にはずいぶんと嫌われたものですな。
    ・・・・・
    やはり芥川は若い。全然わかっていません。

                        ( p7~8 )


はい。これと関連するもう一箇所を引用しておわります。


谷沢】 芥川龍之介に関して付け加えると、芥川にしてみれば、
    自分が材料として使っている日本の説話文学について
    『徒然草』には発見がない。
    しかも、説話を兼好は面白くなく書いている。
    そういう軽蔑があったのではないかと思います。

    ただ、平安、鎌倉は説話文学の全盛期です。・・・
    『今昔物語』もここら辺です。

   ところが、たくさんある説話文学のほとんどを兼好が
   引用していない。知っていたはずなのに、それを一切退け、
   そこに書いてないことを書いてやろうという独創性を意識している。
   
   今回、調べて、そこまで徹底していたかと感心しました。
   兼好の作家魂といいますか、表現意欲といいますか、
   それは並々ならぬものがあったと思います。 
                       ( p12 )


はい。どうやらですが年齢を加えるにつけ、だんだんと、
芥川龍之介バイアスを脱ぎ捨てることが出来てきました。
これは『先達はあらまほし』ガイドさんのおかげでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徒然草と神道と老荘。

2022-07-10 | 古典
徒然草連続読みは、ガイドさんまかせで終了したことにします。
ところで、何か読み忘れた箇所はなかったかと振り返ることに。

うん。神道と吉田兼好のつながりがボンヤリしてる。
ここは、ガイド・島内裕子さんが『兼好とは誰か』で
語っているのでした。そこを取り出してくることに。

「少年期における兼好の精神形成に重要な役割を果たしたのは、
 やはり神道の家柄に彼が生まれ育ったことであろう。

 兼好は後年出家しているので、ややもすれば
 仏教的な側面に力点が置かれがちであるが、
 
 『徒然草』を読むと、ある特定の思想や宗教や人物の
 決定的な影響というものは考え難い。・・・・

 『徒然草』の基盤が儒教・仏教・老荘思想の融合にあることは、
 すでに江戸時代から言われ続けていることであるが、彼の場合、
 老荘思想の背景に神道があることは今まで等閑視されてきた。

 ところが、当時の神道界の状況を見渡してみると、
 鎌倉仏教の隆盛への対抗上、神道思想の著作が盛んに行われ、
 
 その際に、抽象的な論理展開や表現の基盤として
 老荘思想を援用することが多かった。

 兼好の兄弟である慈遍が著した神道書
 『旧事本紀玄義(くじほんぎげんぎ)』でも、
 『老子』や『荘子』が引用されている。

 『徒然草』で老荘思想が随所に顔を出すのは、
 兼好が大人になってから自分の判断で学んだとも考えられるが、

 神道の家に生育した彼が、少年期から自然と老荘思想に
 親しんでいた知的環境も、見逃してはならない。・・    」

     ( p110~111 『西行と兼好』ウェッジ選書 )


うん。どうやら、『神道の書』というのは、
老荘思想とのむすびつきの中にあるらしい。

グッと、老荘思想が身近に感じられてくる。
これなら、『老子・荘子』が楽しめるかも。
  
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『心』と、徒然草。

2022-07-08 | 古典
島内裕子さんの案内『徒然草』も、いよいよ終盤。

島内裕子校訂・訳「徒然草」(ちくま学芸文庫)の
ご自身による解説には、

『 本書は、徒然草を最初から最後まで、ぜひとも通読
  してほしいという、強い願いから出発している。  』(p487)

とあります。ガイドの案内を聞きながら、
ようやく最後の方へとさしかかりました。

第235段の島内さんの『評』の最後には、こうありました。

「 心にうつりゆく由無し事の種は尽きることがなくとも、
  徒然草の執筆の終幕は、近い。残りあと、八段である。 」(p448)

案内が「もうすぐ終わりますよ」と語る。
ここの、第235段の『評』には、

「 心について、正面から思索を凝らした、注目すべき段である。 」

とあります。この段を、島内裕子さんの訳で全文引用。


「 住む人のいる家には、無関係な人が、自由に侵入することはない。
  しかし、住む人がいない家には、通行人がむやみに立ち入り、
  狐や梟(ふくろう)などといった動物も、
  人の気配がないのをよいことに、平気で侵入しては住み着き、
  木霊(こだま)などという怪異のものも顕れるのだ。

  また、鏡には、特定の色も形もないので、どんなものでも、
  鏡の前に立てば、色や形が、映像として映し出される。
  もし、鏡に何か色が付いていたり、凸凹した形だったら、
  物の姿があるがままに映ることはないだろう。

  空っぽの空間には、いろいろなものが入る。私たちの心に、
  さまざまな思いが、とりとめもなくやって来て浮かぶのは、
  しっかりとした心というものがないからであろうか。

  もし、何かすでに心の中を占めている思いがあったなら、
  胸の中に、こんなにもたくさんの雑念は入り込まないだろうに。」
                      ( p446~447 )

ご自身の訳を補強するように島内さんの『評』がつづきます。

「心について、正面から思索を凝らした、注目すべき段である。

 心とは、どこから来てどこに行くとも知れぬ雑念が、次々と通り過ぎたり、
 下手をすると怪しげな想念が住みついたりしてしまう、空ろな場所である。
 
 また、鏡の前では、何ものであれ映らない物はないように、
 心には、どんな異形な想念も映し出され、心はそれを拒否できない。
 
 茫漠としてとりとめもなく、統べるものがそもそもないもの。
 それが心というものの実体、いや、『自分の心』の実体だった。

 ・・・・・・

 このことは、徒然草をここまで書き継いで来て、
 兼好が初めてしっかりと自らの手に摑んだ、疑いようのない事実であり、
 これを置いて他に自分という存在もない。なぜなら、
 自分の心に『うつりゆく由無し事』があるからこそ、
 それらを容れる『自分の心』の実在が証明されるのだから。

 思えば、徒然草の冒頭で、まず書かれていたのは、
 心の実体を探究したいということであった。

 この段で、自分の心の実体を摑んだ兼好にとって、
 徒然草を執筆する意味と意義は、ほぼ明らかになったと見てよい。

 心にうつりゆく由無し事の種は尽きることがなくとも、
 徒然草の執筆の終幕は、近い。残りあと、八段である。  」


うん。各段はつながっておりました。次の、
第236段は、滑稽な話が呼び寄せられております。
第236段の、島内さん『評』を引用しておきます。
第235段とのつながりに、踏み込んでおりました。

「・・・滑稽な話(第236段)であるが、兼好の筆致は、
 この上人の言動を愚かしい笑い話として、書き留めたとは見えない。
 上人の思い込みは、粗忽だが、そこに何がしかの純粋で無邪気な、
 疑うことを知らない浮世離れした無垢な人柄を感じ取り、
 それを尊んだのではないだろうか。

 人間の心は多様な働きをする。前の段(第235段)で、
 心をめぐって深く思索した直後に、ふっと緊張がほどけて
 一息ついたことが、ユーモラスな話を呼び寄せたのである。 」
                      ( p450 )

はい。お上りさんよろしく、キョロキョロしながら、
先達のガイドさんのあとを、説明を聞き辿りました。

ここで、兼好は振り向き語りはじめるかもしれませんね。

  私の心の物語は、ここまで来ました。
  君自身の物語は、どこまで来ましたか。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉田兼好の宗派?

2022-07-08 | 古典
谷沢永一・渡部昇一『平成徒然談義』(2009年)を
パラパラとめくって、面白そうな箇所を引用。

徒然草第52段を谷沢さんは語ります。

「 旅の話ということで、52段を見てみましょうか。
 『徒然草』には仁和寺がよく出てくるのですが、これは
  仁和寺の法師が石清水八幡宮に初めて参詣した話です。
  ・・・・・

  私はこの段の最後にある『先達』という言葉を、
 『チチェローネ』と読むようにしています。

  歴史家のブルクハルトが『チチェローネ』というタイトルで
  本を書いていて、これはローマの旧跡を案内するガイドの呼称です。
  ローマを深く知るのなら、この人たちを雇ってまわったほうがいい。
  ちょっとしたことでも経験者、案内人の知識、知恵を乞う姿勢は
  大事でしょう。 」( p31~32 )

うん。ここからどういうわけか大学の概論講義へと話が弾んでいました。

それはそうと、兼好は何宗だったのか?
ここも谷沢さんの語りから引用します。

「 『徒然草』の作者である吉田兼好のいた時代は、
  まさに天台宗の全盛期でした。鎌倉新仏教を築いた人たちは、 
  当時の日本における最高の図書館であり大学だった比叡山で、
  学問をしました。ところが当時は、いかに勉強して仏教の教えを
  頭に入れても、身分が卑しければ上に上がることは出来ない。

  藤原北家の系統に生まれ、一番上の兄貴がお公家さんとして
  太政大臣になると、弟は天台座主になる。

  それを悟って、みんな山を下りたわけです。つまり、
  一遍、法然、親鸞という系列、いわゆる鎌倉新仏教は、
  当時は支配的なものではなく、むしろ異端の説の類でした。

  そして、兼好も仏教徒としては天台宗だったのです。

  にもかかわらず、次の段(第39段)で法然上人の名を
  出してくるのが、兼好の兼好たる所以でしょう。

  兼好は仏教の宗派に対して中立的な人で、
  自分のよしとするものは、遠慮会釈なく取り上げたのです。

  『歎異抄』のなかで決め手になる言葉は
  『法然がこう、おっしゃった』と親鸞が言っている場面が多い。
  しかし、そもそも
  念仏を唱えることを提唱したのは、法然なのですから。  」
                 ( p103~105 )

このあとに渡部さんは続けます。

 「・・・・・この超越している感じが法然らしいし、
  だからこそ法然は偉いと思いますね。
  法然のことを何も知らなくても、ここだけ読んだだけで、
  法然の偉さがわかります。
  その本質をつまみ出した、兼好の目もまた鋭い。 」(p105)

はい。第39段の原文を、あらためて引用したくなります。

  或る人、法然上人に
  『念仏の時、眠(ねぶ)りに侵されて、行を怠り侍る事、
   いかがして、この障(さは)りを止(や)め侍(はべ)らん』
   と申しければ、

  『目の醒(さ)めたらん程、念仏し給へ』

  と答へられたりける、いと尊かりけり。
  また、

  『往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり』

  と言われけり。これも尊し。
  また、

  『疑ひながらも念仏すれば、往生す』

  とも言はれけり。これもまた、尊し。


気になったのは、徒然草第59段に及んだ際に
谷沢さんは、こう指摘しておりました。

「 『老いたる親、いときなき子』云々は
  道元の『正法眼蔵随聞記』から引いています。
  道元の言葉が出てくるのは、たしか、
  ここだけではないかと思います。    」(p112)

兼好の時代の宗教といわれてもなあ、
私にはチンプンカンプンなのですが、
チチェローネ・谷沢さんの話には惹かれます。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『老の友』との遭遇。

2022-07-07 | 古典
谷沢永一と渡部昇一対談「平成徒然談義」(PHP研究所・2009年)。

その「結びにかえて」で谷沢さんは、
中村幸彦の「徒然草受容史」から引用しながら
こう指摘しておりました。


「 『徒然草』の魅力は、新しい感受性を受け、
   改めてこの時期に発見されたのである。

   執筆されてからほぼ百年後という推定は動かし難い。
   時代が『徒然草』を文化の正面に誘い出したと見做し得よう。

   画期的な功労者は連歌師の正徹(しょうてつ)であり、
   彼が永享3年に書写した本には、感ニ堪エズ、と記されている。
    ・・・
   細川幽斎は一子に写させて、老の友としたと伝える。
   これが享受の始源であり、期せずして評価の方向が定まった。」


この対談本を以前、読んでいたのですが、いまやっと、
この箇所の意味が了解できて、飲み込めた気がします。
ということで、もうすこし引用をつづけます。

「  近世の風潮を一語で要約するなら、
   それは表現意欲の幅広い高まりである。

   多くの人々が均し並みに自己表現へ赴いた。
   けれども、その根強い志向は必ずしも
   一筋道としては発現しない。思想性の重視という
   時代の制約が依然として力を発揮している。

   それが儒学および佛教という足枷となって機能した。
   『徒然草』もまた従来の固定観念が形成する磁場に
   引き寄せられて解釈される。

   それを許す一面が備わっている事情が
   『徒然草』ブームを誘発した基盤であろう。
   『徒然草』が古典としての地位を得たのには、
   過ぎ去り行く一時代前の常識をも許容する
   側面があったことも否定できない。

   しかし社会的制約は必ず移転していく。
   思想性の固執を撥ね返す要素が
   『徒然草』の内容にはしっかりと根を下ろしていた。

   それがすなわち物語性である。『徒然草』には
   骨格の強靭な短編小説が多く埋めこまれているではないか。
    ・・・・・・・

   『徒然草』の本質は物語なのである。・・・
   まだ小説とまでは評価できない段階にあるとはいえ、
   物語の成立に最も近い散文表現が提示されている。

   小説を小説たらしむる
   虚構の組み立てが足場として実現した。

   この点が『徒然草』の登場が問題となる要素であろう。」


この対談本で、いつか徒然草を通読したいと思いました。
その機会が、ようやくこうして、めぐってきております。

対談では、読むのにボタンの掛け違いを指摘する箇所があります。
うん。そこを引用してみます。

渡部】 ・・・・・我が身を振り返ると、端から見たら・・
    いい歳をして、受験参考書によく出てくる
    『徒然草』を種にしゃべっているのは浅ましいとか(笑)。

谷沢】 そうです。『あいつら、何がしたいのか』と端から
    思われることは十分覚悟しないといけませんね。

    いまは受験勉強が、学問することだという勘違いも多いですし、
   『徒然草』を読んだのは受験のためという人が多いでしょうからね。
       ・・・                ( p73 )


谷沢】 ・・・・そもそも近代以前の日本において、
    学問は人間の精神を養うためのものでした。

    つまり、人間学、社会学のテキストとして
    『論語』を筆頭に漢籍を読んだわけです。

    一方、チャイナで四書五経を学ぶのは、
    科挙に受かって高級官僚になるためでした。

    学ぶ姿勢が違うと、当然ながら
    同じ漢籍を読んでも、違う結論にいたります。

    たとえば、江戸時代の儒学者・伊藤仁斎の
   『童子問』は『譲りの精神』が説かれていますが、
    チャイナで『譲りの精神』は出てきません。   ( p74 )

はい。わたしは、この対談をすっかり忘れておりました。
いつかは徒然草を、きちんと読んでみようと思ったのは、
この対談を読んでからです。それがやっとめぐってきた。

『未知との遭遇』じゃないけれども、
『老の友』『感に堪えず』との遭遇。

   
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

でなければ、あれほど。

2022-07-06 | 古典
今日は、朝五時発の高速バスで東京へ買い出し。
汗だくになり、トイレで半袖肌着を着替える。
うん。午後にはそうそうに帰ってくる。

さてっと、徒然草。
第155段をひらくと、思い浮かんぶ本がありました。

小林秀雄著「考えるヒント」(昭和39年)。そこに、
「青年と老年」と題する4~5頁ほどの文。
この文には、堀江謙一の名が登場します。

そうそう、今年2022年6月4日に83歳でヨットで
無寄港太平洋単独横断を達成の記事がありました。
その堀江謙一の名が登場する「青年と老年」です。

うん。ここは小林秀雄のこの短文を紹介することに。
まず、この短文のはじまりは、こうでした。

「『つまらん』と言ふのが、亡くなった正宗さんの口癖であった。
『つまらん、つまらん』と言ひながら、何故、ああ小まめに、
飽きもせず、物を読んだり、物を見に出向いたりするのだろうと
いぶかる人があった。しかし、『つまらん』と言ふのは
『面白いものはないか』と問ふ事であろう。

正宗さんといふ人は、死ぬまでさう問ひつづけた人なので、
老いていよいよ『面白いもの』に関してぜいたくになった人なのである。」


うん。こうして引用してみると、何んだか、
徒然草のどこかを読んでる気分になります。

さてっと、小林秀雄は、そのつぎに徒然草の第152段の
ことに触れて、その内容をちょこと紹介してからでした

「 徒然草のことを言ったからついでに言ふと、
  兼好は、かういう事を言ってゐる。

  死は向こうからこちらへやって来るものと皆思ってゐるが、
  さうではない、実は背後からやって来る、

  沖の干潟にいつ潮が満ちるかと皆ながめてゐるが、
  実は潮は磯の方から満ちるものだ。   」

はい。これは随筆なので徒然草のどこにあるのかなんてことは
示してはおられなかったので、読後すっかり忘れておりました。
今回それが、徒然草第155段の最後にあるのだと了解しました。

せっかくですから、第155段の原文のはじまりとおわりとを引用。
はじまりは

「 世に従はん人は、先づ、機嫌を知るべし。 」

そして、おわりはというと

「 死期は、序(つい)でを待たず。
  死は、前よりしも来(きた)らず、
  予(かね)て、後ろに迫れり。

  人皆、死有る事を知りて、待つ事、
  しかも急ならざるに、覚えずして来る。

  沖の干潟、遥かなれども、
  磯より潮(しほ)の満つるが如し。  」


ちなみに、小林さんは、ここを『現代風に翻訳すると』
としてありますので、すこし端折って引用してみることに

「 死は向うから私をにらんで歩いて来るのではない。
  私のうちに怠りなく準備されてゐるものだ。

  私が進んでこの準備に協力しなければ、
  私の足は大地から離れるより他はあるまい。

  死は、私の生に反して他人ではない。
  やはり私の生の智慧であらう。

  兼好が考へてゐたところも、
  恐らくさういふ気味合ひの事だ。

  でなければ、あれほど世の無常を説きながら、
  現世を生きる味ひがよく出た文章が書けたはずもない。」


このあとに、昭和37年度の、文学的一事件に数えられた
堀江謙一『太平洋ひとりぼつち』を語ってゆくのでした。
こちらも紹介してしまうと、徒然草の簡潔さがなくなる。
ここまで。ちなみに『考えるヒント』は文庫で読めます。



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

惑(まど)へる我らを見ん。

2022-07-05 | 古典
参院選挙の当日投票を誰に、そして
どこへとしようかまだ迷っています。

それはそうと、徒然草でした。
第194段のはじまりは

「達人の人を見る眼は、少しも誤る所、有るべからず。」

とあります。そのあとに、
『嘘を聞いた時の人々の反応を』10通りに分類するのでした。
10の『人、有り。』として観察しながら描き分けております。

引用する前に、まずは10通りの分類目次。
( ここは、島内裕子さんの訳で引用してみます )。

① 言われるままに誑(たぶら)かされる人がいる。
② さらなる嘘を言い添えてしまう人がいる。
③ 注意を払わない人がいる。
④ 逡巡する人がいる。
⑤ それ以上は考えない人もいる。
⑥ ちっともわかっていない人がいる。
⑦ あやしむ人がいる。
⑧ 手を打って笑う人がいる。
⑨ 知らない人と同じようにしている人もいる。
⑩ 嘘を広めるのに力を貸す人がいる。


ここは、原文を読むと、私はチンプンカンプンなので
島内裕子さんの訳で十通りの分類を読んでゆくことに、

訳】 達人が、人間を見る眼は、ほんの少しも見誤ることはない。
 例えば、ある人が、世間に嘘を流布させて人を誑かそうとする時に、

① その嘘に対して、率直に本当のことだと思って、
  言われるままに誑かされる人がいる。

② また、余りにもその嘘を深く信じてしまって、
  さらなる嘘を言い添えてしまう人がいる。

③ また、嘘を聞いても、何とも思わないで、
  注意を払わない人がいる。

④ また、その嘘をどう受け取ったらよいか、よくわからなくて、
  信用するでもなければ、信用しないでもなく、逡巡する人がいる。

⑤ また、本当とは思わないが、他人がそう言うのであれば、
  そうなのかと思って、それ以上は考えない人もいる。

⑥ また、いろいろと推量して、自分で納得したように、賢そうに頷いて、
  にこにこしているが、ちっともわかっていない人がいる。

⑦ また、自分で推測して、『ああ、そうなのだろう』と思いながらも、
  やはり、もしかしたら誤りもあるのではないかと、あやしむ人がいる。

⑧ また、『何も変わったことはない』と、手を打って笑う人がいる。

⑨ また、嘘だと心得てはいるが、『嘘だと知っている』とも言わず、
  はっきり知っている真相についても、何かを言うでもなく、
  知らない人と同じようにしている人もいる。

⑩ また、この嘘の主旨を最初から心得ているのだが、嘘だからといって、
  少しも反発せず、この嘘を作り出した人と同じ気持ちになって、
  嘘を広めるのに力を貸す人がいる。


はい。原文は私には意味がとりにくいのですが、
簡潔でしかも、『人、有り。』とリズムがあり、
ここはやはり、原文も引用しておくことに。

「 達人の、人を見る眼は、少しも誤る所、有るべからず。
 例へば、或る人の、世に虚言を構へ出だして人を謀る事有らんに、

① 素直に真と思ひて、言ふままに謀らるる人、有り。

② 余りに深く信を起こして、猶、煩はしく虚言を心得添ふる人、有り。

③ また、何としても思はで、心を付けぬ人、有り。

④ また、いささか覚束無く覚えて、頼むにもあらず、
  頼まずもあらで、案じ居たる人、有り。

⑤ また、真(まこと)しくは覚えねど、人の言ふ事なれば、
  然(さ)もあらんとて、止みぬる人も、有り。

⑥ また、様々に推し、心得たる由して、賢げに打ち頷き、
  微笑みて居たれど、つやつや知らぬ人、有り。

⑦ また、推し出だして、『あはれ、然るめり』と思ひながら、
  猶、誤りもこそ有れと、怪しむ人、有り。

⑧ また、『異なる様も、無かりけり』と、手を打ちて笑ふ人、有り。

⑨ また、心得たれども、『知れり』とも言はず、
 覚束無からぬは、とかくの事無く、知らぬ人と同じ様にて過ぐる人、有り。

⑩ また、この虚言の本意を初めより心得て、少しも欺かず、
  構へ出だしたる人と同じ心に成りて、力を合はする人、有り。

愚者の中の戯れだに、知りたる人の前にては、
この様々の得たる所、言葉にても顔にても、隠れ無く知られぬべし。

まして、明らかならん人の、惑へる我らを見ん事、掌の上の物を見んが如し。

ただし、かようの推し量りにて、仏法までを
準(なずら)へ言ふべきにはあらず。  」
           ( p380~381 ちくま学芸文庫 )

うん。最後は、第194段の島内裕子さんの『評』の
最初と最後から引用。

「嘘を聞いた時の人々の反応を、精緻な観察と、
 精緻な分類によって、十通りに描き分けており
 ・・・・・・・」

「なお、幕末の志士である坂本龍馬は、姉に宛てた手紙の中で、
 先生と仰ぐ勝海舟の凄さを、
 『達人の見る眼は恐ろしきものとや、つれづれにも、これ有り』
  と書いている。   」
                ( p382~383 文庫 )



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする