和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ただ一文、一句なりとも。

2023-09-10 | 古典
鴨長明「発心集」下巻(角川ソフィア文庫)をはじめて読んだのですが、
一読忘れがたい言葉になるのだろうなあ、そう感じる箇所がありました。

「全ての意味を理解し、一文毎に解釈せよといわれているのでもない。
 理解力が乏しく学がなくても卑下すべきでない。

 世間には師はたくさんいるので、長い年月お仕えせねば
 教えてもらえないという難しさもあるとは思えない。

 受持・読経・読誦・解説(げせつ)・書写の五種の
 修行法はそれぞれあるわけで、その中からで、
 好みに従って選べば良いのだ。

 もしも一偈一句であっても御縁を結び申し上げるというのであれば、
 それはやはり行い易い修行ではないか。

 ただ、習って読もうとしなければ、読経するまでには到らない。

 一偈一句を唱え申し上げるだけの人は信心が少なくて、
 仏説を疑い、見聞くところは深くとも、修行はわずか、
 ときっと、人目を恥じるに違いない。
 しかし、これはとても愚かなことだ。

 たった一文・一句であっても、
 渇いた時に水を飲むように、
 巡り会い難く聞き難い経だと思い、
 法華経と縁を結び奉るべきなのである。 」(p239~240 現代語訳)

とりあえず、この箇所を原文はどうなっているかと
ページをめくってみることに。

「・・文々解釈(もんもんげしゃく)せよとも説かず。
 鈍根無智なりとも卑下すべからず。

 世に師多ければ、千歳仕ふる煩ひもあるまじ。
 五種の行まちまちなり。

 行も好みにしたがひて、もしくは一喝、一句なりとも、
 縁を結び奉らんことは、さすがに易行(いぎょう)ぞかし。

 されど、習ひ読まねば、読までぞある。

 一偈を持(たも)ち奉る人は、これすなはち、信心は少なくて
 仏説を疑ひ、見聞は深くて微小の行と、人目を恥づるなるべし。
 これ、極めて愚かなることなり。

 ただ一文、一句なりとも、飢ゑたるに水を飲むが如く、
 遇(あ)ひがたく聞きがたき思ひをなして、縁を結び奉るべし。 」(p74)


ちなみに、p62にはこんな箇所もあるのでした。

「所行は宿執(しゅくじふ)によりて進む。
 みづからつとめて、執して、他の行そしるべからず。

 一華一香(いつけいつかう)、一文一句、
 みな西方に廻向せば、同じく往生の業(ごう)となるべし。

 水は溝をたづねて流る。さらに、草の露、木の汁を嫌ふことなし。
 善は心にしたがひて趣く。いづれの行か、広大の願海に入らざらんや。」
                          ( p62 )
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春日の神の後ろ姿。

2023-09-09 | 古典
はい。とりあえず鴨長明著「発心集」下巻の現代語訳を読みました。
一日数ページなので、時間ばかりかかりました。
うん。読みかえしてはいないのですが、上巻より下巻のほうが
私には楽しく味わえた気分です。

とりあえずは、一箇所引用。
『夢の中でそのお姿を拝すること度々』という箇所。

「永朝僧都は春日の社にいつも参籠していたが、
 神の感応があらたかで、夢の中でそのお姿を拝することが度々になった。

 しかし、後ろ姿ばかり見て、向かい合って下さることがないので、
 不本意で不思議に思い、特別思いを籠めてお祈り申し上げた。

 その時、夢の中で
 『 お前が恨むのはもっともだ。
   ただ、いとおしいと思うものの、
   全く私に後世のことを願わないので、
   お前と向かい合って見ることはできないのだ 』
 とおっしゃると見えた。

 末世の者たちの能力に合わせて、
 仮りに神として姿を現していらっしゃるが、本来のところでは
 衆生を教え導こうとのお志から発していることなので、
 現世のことばかりお祈り申し上げるのが、
 春日の神には不本意に思われたにちがいない。  」(p297)


まったくもって、現世の言葉ばかりを拾い集めようと期待し、
この『発心集』をめくってた私には手痛い指摘となりました。
下巻になって、ようやく私は見当違に気づかされたのでした。
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「発心集」届く。

2023-08-15 | 古典
注文した鴨長明著「新版発心集」上下(角川ソフィア文庫・2014年)届く。
浅見和彦・伊東玉美訳注となっております。もちろん古本。

東日本大震災の2011年に刊行されていた
浅見和彦校訂・訳の鴨長明著「方丈記」(ちくま学芸文庫)の
印象が鮮やかだったので、同じ浅見の名前があるこの文庫を注文しました。


「新版発心集」下の、浅見和彦氏の解説の最後にこうあります。

「『方丈記』には鴨長明の生涯のあらましが綴られている。
 それゆえ、『方丈記』は自伝的文学と評されることが多い。

 一方、この『発心集』には長明の情念が表出し、色濃くにじみ出ている。
 
 『方丈記』が長明の自伝的な作品だとすれば、この
 『発心集』は長明の自画像的な作品ということができるかもしれない。」
                       ( p339 )


はい。この興味深い本なのですが、本を手に入れると
それだけで満足してしまいやすい私ですので、まずは、
『発心集 序』の現代語訳からすこし引用し終ります。


「仏が教えて下さったことがある。
 『 心の師とはなるとも、心を師としてはいけない 』と。
 本当にその通りだ。・・・・・・・

 それゆえ、常に我が心ははかなく、愚かであるということを忘れないで、
 かの仏の教えにしたがい、心許すことなくし、迷いの世界を立ち離れ・・

 それはたとえていうなら、
 牧童が暴れ回る馬を連れて、遠い土地まで行くようなものである。
 ただ心には強弱もあり、また浅深もある。

 また一方、自らの心をおしはかるに、善に背くというわけでもない、
 また悪から遠ざかっているというわけでもない。

 まるで風に吹かれてなびきやすい草のようだ。あるいはまた、
 浪の上に映る月影の静まりにくいのと全く同じだ。

 いったいどのようにして、この愚かな心を教えさとしたらいいのだろうか。」
                 ( 上巻現代語訳 p248~249 )

さてっと、この本は、いったいどのようにして、私みたいな愚か者が、
本を放り投げる心を、教えさとし、読み続けさせてくれるのだろうか。
と今からワクワクしてくるのでした。
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狐は人にくいつくものなり。

2023-05-18 | 古典
「絵巻で見る・読む徒然草」(朝日新聞出版・2016年)は、
絵・海北友雪筆「徒然草絵巻」(サントリー美術館所蔵)
監修・島内裕子。訳・絵巻解説上野友愛。

うん。古本で買ってみました。残念。
絵巻がひとつひとつ全部見れるかと思ったのですが、違いました。
でも、現在手にできる海北友雪筆「徒然草絵巻」に違いありません。

最後の方に上野友愛氏による解説がありました。そのはじまりを引用。

「 『 小説はほとんど読まないが、マンガはよく読む 』
  という人は少なくない。それは、ストーリーによって
  ≪ 読む・読まない ≫を判断しているのではなく、

   文字がページを埋めつくす本よりも、
   絵を見て目で楽しめるマンガに親しみを感じている
   ことが大きな要因だろう。

   昔の人も、そのような絵の魅力に心惹かれていた。
   仏典のエピソードや子どもへの教訓話、
   摩訶不思議な伝説や町の噂話、そして
   美女と貴公子のロマンチックなラブストーリーなど、

   私たちの祖先は古くから物語を愛好し、そして、もっともっと
   物語の内容を楽しみたいという熱い愛によって、
   物語は早くから絵画化された。

   目から具体的なイメージを得ることによって、
   物語の世界はより身近になり、理解しやすいものになったのだ。

   なかでも、『源氏物語』ほど、絵画と深く結びつきながら
   享受され続けた古典はない。・・・・・・・

   文学愛好の享受史のなかで、物語だけでなく、
   随筆である『徒然草』の絵画化も例外ではない。・・・  」(p162)


はい。このようにはじまっているのですが、
かえすがえすも、この本では海北友雪筆『徒然草絵巻』の
絵巻全部の紹介でないのが、残念。

それはそうとして、マンガ徒然草へ焦点をあてると、
長谷川法世著「マンガ古典文学徒然草」(小学館文庫・2019年)
バロン吉元著「マンガ日本の古典 徒然草」(中公文庫・2000年)
が古本で簡単に手に入る。

こちらは、両方とも第243段まで、きちんと載せております。
たとえば、島内裕子校訂・訳「徒然草」(ちくま学芸文庫・2010年)
の全段を読み通せなくとも、マンガでなら通し読みが簡単可能です。

とりあえず、ご注意しておきたいのですが、
バロン吉元さんの絵には、大人マンガの要素が混じります。

両方に魅力はあります。バロン吉元さんの絵は、それこそ、
まとわりついてくる徒然草と切り合うような、大人の魅力があります。
長谷川法世さんの絵には、徒然草の世界そのままを、吞み込むような
ふところの深い法師像です(初めての方におススメなら、長谷川法世)。


はい。何はともあれ、徒然草の全243段とむきあい、
鳥瞰するのに、おススメのマンガとなっております。

その意味でも「絵巻で見る・読む徒然草」が全243段あるのに、
それを全部入れていないのが何とも残念だと思えてしまいます。

せっかくの海北友雪筆による「徒然草絵巻」の全体が
本としては全段見れないことはかえすがえすも寂しい。
全段あると、マンガとの比較が俄然面白くなるのになあ。
まあ、無いものネダリは、このくらいにして、

今回は一か所とりだしてみます。
徒然草の第218段「狐は人にくいつくものなり」を

長谷川法世さんは、3コマで表現しております。
1コマ目は、狐が飛びかかる形相で、左前足の爪をたて今にもの場面
「堀川家の御殿で舎人(とねり)が寝ていて狐に足を食われた。」
2コマ目は、夜の本堂が描かれ、その屋根の上に
「仁和寺では夜、本堂の前を通る下法師に狐が三匹飛びかかって食いついた。」
3コマ目、家の前で法師と三匹の狐の争う場面。
「 刀を抜いて防戦し、狐二匹を突いた。
  一匹は突き殺した。二匹は逃げて行った。
  法師は体中を噛まれたが無事だった。 」

バロン吉元氏の第218段も3コマで納めておりまして、
こちらは、法師の大立ち回りで、狐の首が二つ飛んでおりました。

海北友雪筆の徒然草絵巻の第218段の場面は一枚の絵。

黒色の着衣まま、横に倒れたような恰好の法師。
左腕は、狐の頭を手で地に押さえ
右足の裾から腿へと狐が噛みつき、
三匹目の狐が背後から右腕に噛みついている。
右手に小刀をもちながら法師は、その三匹目を
アッと驚きながらも見据えている。

はい。徒然草絵巻はカラーで、法師の装束の黒を中央に
三匹の狐の茶色が、火焔がおそいかかるかのような構図。


最後には、忘れずに徒然草第218段の原文を引用。

「 狐は、人に食い付く物なり。
  堀川殿にて、舎人が寝たる足を、狐に食はる。

  仁和寺にて、夜、本寺の前を通る下法師に、
  狐三つ、飛び掛かりて、食ひ付きければ、
  刀を抜きて、これを防ぐ間、狐二匹を突く。

  一つは、突き殺しぬ。二つは、逃げぬ。
  法師は、数多(あまた)所、食はれながら、
  事故(ことゆゑ)無かりけり。       」

          ( p418 「徒然草」ちくま学芸文庫 )









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絵巻と漫画と徒然草。

2023-05-14 | 古典
ちくま学芸文庫の『徒然草』(島内裕子校訂・訳。2010年)を
読んでいたせいか、島内裕子監修の「絵巻で見る・読む徒然草」
(朝日新聞出版・2016年)が気になっておりました(これ古本で高価)。

それはそれとして、その関連で手頃で楽しかった図録カタログがありました。
「美術として楽しむ古典文学 徒然草」(サントリー美術館図録・2014年)。
この「ごあいさつ」から引用してみます。

「・・『徒然草』は、成立後100年あまりも
 その鑑賞の歴史をたどることができません。

 慶長年間(1596~1615)になってようやく幅広い読者層を獲得し、
 江戸時代になると、鑑賞、研究、そして創作への応用など、
 さまざまな分野で多様な展開を示すようになりました。

 そうして『徒然草』流布の過程で、≪ 徒然絵(つれづれえ)≫
 とも呼ぶべき絵画作品が登場するようになります。

 近年サントリー美術館の収蔵品に加わった
 海北友雪(はいほうゆうせつ)筆『徒然草絵巻』20巻もその一つです。

 ・・・・『徒然草』といえば無常観の文学といわれますが、むしろ兼好は、   
 現世をいかに生きるべきか、いかに楽しむべきかを探求した現実主義の人
 でした。鋭い観察力で人間性の真髄を描いた、いわば兼好のつぶやきを
 美術作品とともにお楽しみいただければ幸いです。 ・・   」

この次のページは、島内裕子氏が書いております。
うん。こちらからも引用しておかなきゃね。

「・・兼好が生きた鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけては、
 政治・社会の混乱期であった。人々の価値観や美意識も、大きく変化した。

 そのような新時代の息吹をいち早く伝えると同時に、
 いつの世も変わらない人間のあり方や伝統的な文化への共感も、
 『徒然草』には書かれている。

 ひとことで言えば、『徒然草』は多彩な内容がぎっしりと詰まった、
 稀に見る豊穣な文学なのである。

 しかもその密度の濃さは、不思議と重苦しくならず、
 簡潔・明晰な文体の余白に、王朝文学の余香も漂わせつつ、
 内容展開はスピード感に溢れている。

 『徒然草』を読んでいると、まるで初夏の青葉風が吹き渡るような、
  爽快な気分に満たされて、心の中が広々としてくる。

 ものの見方や考え方が柔軟になり、新しい目で
 自分の周りの世界を捉え直すことができる。・・・   」(p8)


うん。この図録カタログの徒然草絵の、楽しみを紹介するのには
私の手には負えないのでした、それでも

『 ものの見方や考え方が柔軟になり、新しい目で
  自分の周りの世界を捉え直すことができる   』

この指摘は、ひょっとすると漫画を語ってもよさそうな気分になります。
ということで長谷川法世著「マンガ古典文学徒然草」(小学館文庫・2019年)

徒然草という素材にむかって、妙なはぐらかしなどせずに第243段を通して
漫画の柔軟性を発揮して描いており、徒然草読みならば、きっと楽しめる。

などと思っていると、徒然草から、徒然草絵巻、徒然草マンガへと、
学校で習う徒然草が、彩り豊かに染み込むような年齢となりました。

 

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千年の時空と浦島太郎。

2023-04-22 | 古典
本は買えど、本を読まず。読まないけれど、
それでも、とりあえず本はとって置きます。

はい。本棚にちょうど読み頃な本がある。
『お伽草子』(ちくま文庫・1991年)。
うん。ここは目次を紹介

  文正草子   福永武彦訳
  鉢かづき   永井龍男訳
  物くさ太郎  円地文子訳
  蛤の草紙   円地文子訳
  梵天国    円地文子訳
  さいき    円地文子訳
  浦島太郎   福永武彦訳
  酒呑童子   永井龍男訳
  福冨長者物語 福永武彦訳
  あきみち   円地文子訳
  熊野の御本地のそうし  永井龍男訳
  三人法師   谷崎潤一郎訳
  秋夜長物語  永井龍男訳


どうやら、今は古本でしか入手できなさそうです。
それはそうと、ここは最後の解説の織田正吉氏の文を紹介。

「・・・浦島説話は長い生命を持つ伝承の一つである。
 文献に現れたものでは『丹後国風土記』『日本書紀』がもっとも古く、
『万葉集』の高橋虫麻呂の長歌などにも見えるから、少なくとも
 千二三百年の生命を持つことになる。・・・   」 (p328)

「・・『お伽草子』はいわゆるお伽話の草子ではない。
 それは室町時代から江戸時代初期にかけて、
 戦乱の時代を背景に生まれた無数の物語群のことである。・・」(p329)

この解説は、いろんなことが詰まっているのですが、
飛び越して、解説の最後の場面を引用しておきます。

「・・短時間に要領よく読者の感情を刺激する仕掛けは、
 現在のテレビ、劇画に代わるものと見てよい。

 表現が紋切型で描写がはなはだ物足りないのは、
 相当部分が絵でおぎなわれているためだと思わなければならない。

 物語のほとんどはご都合主義、出世する者はあれよあれよという
 うちに出世する。主人公の性格、知能の程度など前後矛盾してこだわらず、
 現代の小説感覚からすれば幼稚きわまるものだが、

 そこで語られる話は心理の深層に潜むさまざまな欲望や情念、恐怖、
 復讐、残忍、笑いなども含めてあらゆる感情を刺激することにのみ
 奉仕している。それは近代の小説がリアリズムの陥穽にはまって
 衰弱し、どこかに置き忘れてきた部分である。

 時間の篩(ふるい)にかけられ、
 無数の小説が死屍累々の惨状を呈しても、
 浦島は千年を隔ててしぶとく生き残る。

 この現象を何と見ると問われて、
 お伽話と小説は違いますというのは腰が引けている。
 玉手箱の中に入っているのは、案外、物語のおもしろさとは何か
 という現代人への素朴な質問状なのかも知れない。   」(p333)



ちなみに、
織田正吉著「日本のユーモア2 古典・説話篇」(筑摩書房・1987年)に、
『御伽草子』(p170~187)の箇所がありました。




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五行ほど読むと。

2023-04-21 | 古典
今年のはじめ、大村はまを読もうとしていたのに、
あれよあれよと、今は御伽草子。

大村はまの講演「教えるということ」で
私に忘れがたい箇所がありました。そこを反芻することに、

「・・子どものなかには、
 どうかすると五行ぐらいで飽きてしまう子どもがいます。

 五行ほど読むとひと息いれてぽっかりしていて、また少し読む。

 こんな集中力のない子どもがだれとだれなのかおわかりですか。
 一字一字見ている子どもと、ひとまとまりのことばを
 ちゃんととらえるように成長してきた子ども、

 それはいつごろからかご存じですか。いつごろといえば、
 小学校にはいった始めごろ、すでにそうなってくる
 子どもが、今、たくさんいます。・・・        」
        ( p39 「新編教えるということ」ちくま学芸文庫 )

はい。ここを読んだときに、この『こんな集中力のない子ども』。
これは、私だと思いました。ここに、私がいたと思いました。

マンガとテレビの中で育ってきたので、
まとまった小説なんて、ちっとも読めないできました。
そんなわけで、何ページ読むか? それは私の気になるテーマです。

さてっと、バーバラ・ルーシュ著「もう一つの中世像」に
『源氏物語』をとりあげたこんな箇所がありました。

「日本人に向かって、『源氏物語』について説明する必要はないと思うが、
 びっくりするのは、日本人が意外なほどこれを読んでいないということである。

 ・・・それじゃひとつ読んでみましょうという人が、ときたま現れるが、
 次の機会に尋ねてみると、実は現代語訳で50ページほど読んだのですが、
 退屈で退屈で放り出してしまいました、とまた頭に手をやるジェスチャー
 を見せる人が多い。

 トルストイにせよプルーストにせよ、どんなにすばらしい小説でも
 最初の50ページほどは退屈なものである。・・・        」
                        ( p96~97 )

そしてバーバラさんは、こう書いておりました。
「 わたくしはいまでも、あのすばらしい『源氏物語』
  を読み終えたときの感動をよく憶えている。    」( p97 )

う~ん。そういわれても、私は読まないだろうなあ。けれども、
マンガやテレビや映画に近い御伽草子ならば親近感が沸きます。

バーバラさんの「奈良絵本」へ言及した箇所があります。

「いま奈良絵本という言葉を使ったが、不思議なのは、
 ほとんどの中世小説がこの奈良絵本の形で残っている事実である。

 奈良絵本とは、簡単に説明すると、15世紀から18世紀にかけて
 多く現れてきた、文章とさし絵の入った、版本でない手書きの
 書物のことを指すが、絵巻の形式も存在する。・・・・

 たとえば、さし絵を見ただけでも一流のプロが描いたものから
 まったくの素人の作品まで・・いろいろな人たちがこれらの
 製作にたずさわったことと思われ、また文章についても、
 多くの種類の人たちがこのような作品に関与したと考えられる。」(p 106 )

このあとに、ヨーロッパやアイルランド、チベットやインドにも
共通する結びつきを紹介したあとに、こうありました。
うん。最後にそこを引用。

「 その結果、中世のあらゆる階層の人たちは、
  無意識のうちに絵と文章が渾然一体となる世界を受け入れ、
  奈良絵本の世界を創り上げていったのではないかと思われる。

  ・・・奈良絵本の世界は生きた世界で、一つの有機物といえる。
  当時の日本人は、この世界のなかに、無意識のうちに自分たち
  の性格にぴったり一致した物語を入れたのである。

  この世界は、もはや平安文学の世界ではなく、新しい世界なのである。
  ・・・わたくしは、この中世小説のなかに、御伽草子のなかに、
  この奈良絵本のなかに、日本人の創造性の一つを見る。   」(p109)
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御伽草子への継子(ままこ)いじめ。

2023-04-20 | 古典
水曜日は出歩ける、私の自由時間。一日よい天気でしたから、
主なき家の庭や道路脇に伸びているスギナを午前午後またいでの草刈り。
帰りはコンビニで缶ビールを買って帰る。

家などのまわりの槙の木のほそば下にスギナがのびて
うっとうしい感じでしたので、草刈り機の雑な素人作業でしたが、
とりあえず何となくやった感の一日でした。行き帰りの農道には、
水をはった田んぼに苗が植えられていたりそんな今日この頃です。

え~と。御伽草子に関連してとりだしたのは、
バーバラ・ルーシュ著「もう一つの中世像」(思文閣出版・平成3年)。
私が買ったのはもちろん古本でした。
その古本には、新聞の切り抜きがはさまっておりました。

はい。その1991年(平成3年)11月16日の朝日新聞
記事は
第一回南方熊楠賞の人文科学・熊楠賞を受賞したバーバラ・ルーシュさん、
とあります。はい。記事のはじまりを引用。

「 賞の決め手になったのは、この6月刊行された
  『 もう一つの中世像 』(京都・思文閣出版刊)の業績。

  わが国の中世を『下剋上時代』、『暗黒時代』など、手あかのついた
  キーワードで語ってきた従来の歴史観の見直しを迫る力作だ。
  わかりやすく、巧みな文章は
  日本人の翻訳ではなく、バーバラさん自身が書いた。・・・    」


この本のなかの「 奈良絵本と貴賤文学 国民性のルーツを求めて 」
という17ページほどの文を読んでみました。

ご自身を「わたくし自身が天邪鬼(あまのじゃく)的な性格」(p97)
として、日本の中世への興味を語りはじめておりました。

「中世文学については、詳しく勉強したのは連歌と謡曲についてだけである。
 というのは、中世文学では、和歌、連歌、それに謡曲だけにしか
 高い評価が与えられてなかったからである。つまり中世小説は、
 ほとんど読む価値のないものとして軽んじられていたのである。 」(p98)


「 日本文学の研究のなかで、中世小説は、
  ある意味で継子(ままこ)いじめされていたといえるだろう。」(p98)

このつぎに、平家物語への言及があるのですが、そこをまたいで、
そのつぎは、こうあるのでした。

「 面白いことに、熊野比丘尼と絵解法師は、
  絵を見せながら語り聞かせたのである。

  彼らは、人の集まるところならどこへでも出掛けるといった、
  旅に生き、旅に死すタイプの宗教的芸人だった。

  これは重要なことである。というのは、
  一つの語り物が一か所だけでなく、彼らが旅するところ、
  つまり全国に広がったということを示しているからである。

  この現象は、とりもなおさず、彼らの語る物語がいろいろの
  階層の日本人に受け入れられたということを示唆している。

  受け入れられないものや愛されないものを、
  日本全国にもってまわるということは不可能であろう。

  もし受け入れられなかったならば、彼らは
  その物語を語ることを止めたに違いないし、また改作したかもしれない。

  そしてだれからも愛されるように、観客の好みに合わせて、
  また必要に応じて、少しずつ変えていったかもしれない。  」(p102)


「 これらの作品は人びとにショックを与えたり、
  また革命的な思想を吹き込んだりするようなものではない。

  これらは、人びとが何度も何度も聞きたい、
  あるいは読みたいと願うテーマから成っており、

  何度聞かされてもまた読んでも、決して飽きたりしない、
  それどころか、人びとに安心感と慰みを与えるのである。

  なぜかというと、これらの作品の内容が国民性と一致しているからである。
  したがって、これらの物語は外国人に最も理解され難いものかもしれない。」
                             (p103)


「 わたくしの考えでは、日本人の国民性は室町時代の小説のなかに、
  いちばんはっきりとした形で現れていると思われる。

  この時代は、いわゆる御伽草子の時代でもあり、
  奈良絵本という絵入りの冊子本が登場した時代でもある。

  しかし残念なことに、この絵入り物語は、
  平安時代や江戸時代の文学や絵画の作品と比較してみると、
  いちばん一般の日本人に知られていない、また研究されていない分野で、

  いまだに国文学者のなかにも、御伽草子とは室町時代に単に子供と
  女性を対象にして書かれた作品だと考えている人がいるくらいである。

  いままでの説明から、これがいかにいいかげんな解釈であるか
  おわかりいただけると思うが、国民性のルーツともいえる
  中世小説は過小評価されすぎているのではなかろうか。  」(p106)


はい。あと一か所引用して、おわりにします。

「 やはり、紫式部から井原西鶴までの五百年間は空白ではなかった。
  日本人はフィクション、つまり小説の世界で、
  すばらしくクリエイティブなものを創っていた。

  わたくしは、この中世小説のなかに、
  御伽草子のなかに、この奈良絵本のなかに、
  日本人の創造性の一つを見る。            」(p109)




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詩と散文。

2023-04-17 | 古典
角川ソフィア文庫『飯田蛇笏全句集』(平成28年)の
井上康明解説のはじまりのページにこうありました。

「 生涯、散文に関心を抱きつづけた。蛇笏の俳句は、
  幅広い文学の裾野のなかから生まれていることがわかる。 」(p721)

うん。気になったので、
「飯田蛇笏集成」第六巻随想を古本で注文するとすぐに届く。
第六巻の巻末解説は竹西寛子。そのはじまりにこうありました。

「飯田蛇笏の随筆を、まとめて読む機会に恵まれた。・・・

 喚起される力は強く、促される思考は多様で、・・・・

 現代俳句の代表者飯田蛇笏は、かつて、
『 現在、わたくしに於ける文学のすべては、俳句と随筆である 』
 と明言した。            」  
(p430)

こうはじまっているのでした。
この解説を読んで思い浮かんできたのが岩波少年文庫の一冊
大岡信の『おとぎ草子』でした。

そのあとがきで大岡信は、この草子に出てくる和歌に言及しておりました。
はい。そこを引用したくなります。

「・・同じことは、多くの物語に出てくる『和歌』についても言えます。

 主人公たちは、何か重要な決心をする時でも、
 悲劇的な事態に立ち至った時でも、しばしば和歌を詠みます。

 そんなのんきなことをしているひまはないはずじゃないか、
 と現代人なら思います。たぶん、主人公たちだって同じでしょう。

 ・・・・個々の理由はどうあれ、和歌というものは、
 単なる筋の運びとは次元の異なる情感を、物語を聞き、
 あるいは読む人びとに与えたにちがいありません。

 和歌は、物語の味わいをそこで深める役割りを果たしていたわけです。 
 この工夫は、私などにはなかなか面白いものに思えます。
 そのため、この本では、従来の『御伽草子』の現代語訳の多くが
 省略していた和歌をも、なるべくそのまま生かし、
 原作の次に和歌の現代語訳を添えてあります。・・   」(p239~240)


もどって、竹西寛子氏の解説には、こんな箇所がありました。

「蛇笏の随筆における惜しみない自己投入には、俳句も随筆も、
 人が言葉で生きるかたみとしては全く対等なのだという認識の反映をみる。
 俳句と随筆の二筋に生きようとした蛇笏・・・

 伝統の定型以外でも、なお解放し得る詩情のすべてを随筆に注ぎ、
 そこでの解放をはかっている点で、蛇笏の随筆は、その規模の
 大きさと詩的余情の強さを特色とする。・・・   」(p431~432)


はい。またしても、読みたくなる本がふえます。
せめて『しるべ』ばかりでもと記しておきます。



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好(い)いネエ、と先輩が。

2023-04-14 | 古典
幸田露伴の『野道』。
うん。つづけて紹介したくなりました。

そのまえに、西脇順三郎氏の柳田国男回想の文を紹介。

「私が柳田先生に初めてお会いする光栄を得たのは大正11年頃で・・」

とはじまっておりました。中を端折って

「 先生は東京近辺の散歩をよくなされたようだ。
  春になるとどこそこへ行ってみたまえ、
  ひばりがないているとか、野原があるとかいわれた。
  私も一度おともをして散歩をしたことがある。

  ・・・季節は忘れたが春の頃かと記憶する。
  先生と上野の美術館で偶然久しぶりでお会いした時、

『 これから多摩川へ行ってよしきりの鳴くのをきこうではないか 』

  と例のほほえみで私をさそって下さった。上野からなら
  江戸川であればそれほど驚かなかったのであろうが、
  なにしろ多摩川ときては、私は心の中でこれは大変だと思った。

  その半日の道程は複雑であった。たしか調布まで行き、
  それから今日の地名では京王多摩川というところまで
  別の電車にのりかえた。あしの生えている古戦場の中を
  つっきって多摩川べりに出た。

  先生と私と二人きり、その辺の道は一人の旅人も歩いていない。
  その当時の先生の服装は中おれ帽子にはおりはかま
  実にしょうしゃなものであった。白たびは不変的なものであった。
  ひより下駄だったか、せっただったか忘れたが恐らく後者であったと思う。
  それにステッキ。お年のわりに青年のような歩きぶりであった。

  ・・・先生は散歩されている時でも家でタバコをすわれているときでも、
  ・・・こうやって多摩川べりを歩いている時でも何かいつでも考えて
  いられたようだ。やがて二人は和泉多摩川で電車にのり成城へ帰った。
  よしきりはきこえなかった。・・・    」

      ( p77~80 臼井吉見編「柳田國男回想」筑摩書房1972年 )


はい。これを引用してからだと、はずみがついて
幸田露伴の『野道』も引用しやすくなるというものです。

閑事(かんじ)と記された郵便物が来たところからはじまっておりました。
その書簡には、こうありました。原文をそのままに

「・・瓢酒野蔬(へうしゅやそ)で春郊漫歩の半日を楽まうと
 好晴の日に出掛ける・・其節御尋ねして御誘引する、
 御同行あるなら彼物二三枚を御忘れないやうに、呵ゝ(かか)、
 といふまでであつた。 」

このあとに『 おもしろい。自分はまだ知らないことだ。 』
として、片木を短冊位にきって、味噌をぬり、火鉢にかざします。

『味噌は巧く板に馴染んでゐるから剥落もせず、宜い工合に少し焦げて
 ・・同じやうなのが二枚出来たところで、味噌の方を腹合せにして
 一寸(ちょっと)紙に包んで、それでもう事は了(れう)した。』

うん。ほとんど引用しちゃいそうですが、なるべく端折ってゆきます。
つぎの日。

『其の翌日になった。照りはせぬけれども穏やかな花ぐもりの好い
 暖い日であった。三先輩は打揃って茅屋(ぼうをく)を訪うてくれた。』

うん。以下も原文のままに引用したくなる箇所でした。

『庭口から直に縁側の日当りに腰を卸して五分ばかりの茶談の後、
 自分を促して先輩等は立出でたのであった。

 自分の村人は自分に遇(あ)ふと、興がる眼を以て一行を見て
 笑ひながら挨拶した。自分は何となく少しテレた。けれども

 先輩達は長閑気(のんき)に元気に溌剌と笑ひ興じて、
 田舎道を市川の方へ行(ある)いた。

 菜の花畠、麦の畠、そらまめの花、田境の榛の木を籠める遠霞
 ・・・・何といふことも無い田舎路ではあるが、

 或点を見出しては、好(い)いネエ、と先輩がいふ。

 ・・小さな稲荷のよろけ鳥居が藪げやきのもぢゃもぢゃの
 傍に見えるのをほめる。・・・
 土橋から少し離れて馬頭観音が有り無しの陽炎の中に立ってゐる、
 里の子のわざくれだろう、蓮華草の小束がそこに抛り出されてゐる。
 ・・・・ 」

このあとに、各自持参の瓢酒で、各自手酌のお猪口で野草を採っては
味わいながら飲み始める。

『・・先生は道行振の下から腰にしてゐた小さな瓢(ひさご)を取出した。
 一合少し位しか入らぬらしいが、如何にも上品な佳い瓢だった。・・・

 それに細い組紐を通してある白い小玉盃(しょうぎょくはい)を取出して
 自ら楽しげに一盃を仰いだ。そこは江戸川の西の土堤(どて)へ上り端の
 ところであった。堤(つつみ)の桜わづか二三株ほど眼界に入って居た。』

こうして、土手の野蒜(のびる)を掘り出して持参の味噌につけて食べ始め、
さらには、各自が食べられそうな野草を探し出すのでした。

こうして最後には、主人公も珍しいものを探しだして食べようとする

『・・先生は突と出て自分の手からそれを打落して、やや慌て気味で、
 飛んでもない、そんなものを口にして成るものですか、と叱するが
 如くに制止した。自分は呆れて驚いた。

 先生の言によると、それはタムシ草と云って、其葉や茎から出る
 汁を塗れば疥癬(ひぜん)の蟲さへ死んで了ふといふ毒草だそうで、
 食べるどころのものでは無い危いものだといふことであって、
 自分もまったく驚いてしまった。

 こんな長閑気(のんき)な仙人じみた閑遊の間にも、
 危険は伏在してゐるものかと、今更ながら呆れざるを得なかった。
 ・・・                            」
                         ( ~p443 )


この短文の最後も引用しておかなきゃ。

「 其日は猶ほ種々のものを喫したが、今詳しく思出すことは出来ない。
  其後の或日にもまた自分が有毒のものを採って叱られたことを記憶
  してゐるが、三十余年前の彼(か)の晩春の一日は霞の奥の花のやう
  に楽しい面白かった情景として、春ごとの頭に浮んで来る。    」
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はじまりの『グリム童話集』。

2023-04-01 | 古典
河合隼雄著「泣き虫ハアちゃん」の中の
第7話「クライバーさん」にグリム童話が出てくる。
そこでグリムの「つぐみ髯の王様」の話を持ち出す。

はい。気になったので完訳グリム童話(小澤俊夫訳)を
読んだこともなかったのですが、ひらいてみました。

ちなみに、番号がふってあり52番に『つぐみひげの王さま』
つぎの53番は『白雪姫』でした。ぱらりとひらいていたら
34番の『かしこいエルゼ』が、私には印象に残りました。

それはそうと、河合隼雄には「『グリム童話集』を読む」
という短文がありました。うん。そのはじまりはこうです。

「グリムの昔話は、私の子どものころの愛読書であった。
 私は田舎育ちで本を読む子どもなどは少ない状況だったが、

 私の家にはアルス社の『日本児童文庫』という本がずらりと
 並んでいて、私は読書欲を相当に満足させられたものである。

 そのなかの一冊に『グリム童話集』というのがあり、
 小学二年生のときに読んだように思う。・・・

 グリムの話は大好きだったが、何度読んでも心のなかに疑問が生じてきて、
 どうしてもとけないことがあった。

 『黄金の鳥』という話は大好きだが・・・・
 『つぐみ髯の王様』も強く心を惹かれた話であったが・・・・

 空想好きなくせに妙に論理的なところがあった私は・・・
 だれも本気で相手にしてくれず、自分なりに勝手に考えるより
 仕方がなかった。・・・・・

 私は子どものときから、人間が不幸になるのはたまらない、
 というところがあって、日本の昔話の悲劇的結末に耐えられず、
 どうしたら幸福になれただろうかと・・・・

 ところで、昔話に対する私の長年の疑問がとかれる時が
 思いがけずやってくるのである。それは1962年にスイスの
 ユング研究所に留学すると、ユング心理学による昔話の解釈の
 講義が、フォン・フランツ女史によってなされており、
 そこでは私が子ども時代に抱いた疑問がつぎつぎと取りあげられて、
 見事にとかれてゆくのである。・・・

 私もまったく心を奪われてしまった。
『つぐみ髯の王様』も『黄金の鳥』もちゃんと取りあげられ、
 私のそれまで考えていたことをはるかにこえた観点から
 解釈がなされてゆくのである。・・・・        」


こうして4ページほどの短文のしめくくりは、こうありました。

「 大人も子どもも多くの人が、グリムの昔話を読み、
  自分なりの意味をそこに見出してほしいものと思う。 」

はい。わかりました。年は喰いましたけれど、これから読みます。
はじまり。はじまり。

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ブログと知的生産活動。

2023-02-08 | 古典
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)は、
毎回ひらくと、あたらしい発見があるのですが、今日は、
読書論に触れ、知的消費と知的生産を腑分けしている箇所から引用。


「 今日おこなわれている読書論のほとんどすべてが、
  読書の『たのしみ』を中心にして展開しているのは、
  注目してよいことだとおもう。

      今日、読書はおもに知的消費としてとらえられているのである。

  ・・・知的であれ、それ以外であれ、消費はべつにわるいことではない。

  知的生産とは、知的情報の生産であるといった。
  既存の、あるいは新規の、さまざまな情報をもとにして、
  それに、それぞれの人間の知的情報処理能力を作用させて、
  そこにあたらしい情報をつくりだす作業なのである。

  それは、単に一定の知識をもとでにしたルーティン・ワーク以上のものである。
  そこには、多少ともつねにあらたなる創造の要素がある。
  知的生産とは、かんがえることによる生産である。  」

         ( p10~11 「知的生産の技術」の「はじめに」 )

何回か、読んだはずなのに、そのたび、すっかり忘れていて、
何度も、新しい読み方を、読む方に想起させてくれる楽しみ。
はい。もうすこし続けます。

「  こういう生産活動を業務とする人たちが、
   今日ではひじょうにたくさんになってきている。

   研究者はもちろんのこと、報道関係、出版、
   教育、設計、経営、一般事務の領域にいたるまで、

   かんがえることによって生産活動に参加している
   人の数は、おびただしいものである。

   情報の生産、処理、伝達、変換などの仕事をする産業を
   すべてまとめて、情報産業とよぶことができる・・・・

   そして、情報産業のなかでは、とくに知的生産による部分が、
   ひじょうにたいせつであることはいうまでもない。   


   ・・・・・・
   知的活動が、いちじるしく生産的な意味をもちつつあるのが現代なのである。
   知的生産ということばは、いささか耳なれないことばだが・・・
   
   人間の知的活動を、教養としてではなく、積極的な
   社会参加のしかたとしてとらえようというところに、
   この『知的生産の技術』というかんがえかたの意味もあるのではないだろうか。

   ・・・・・そういう人たちの範囲をこえて、すべての人間が、
   その日常生活において、知的生産活動を、たえずおこなわないでは
   いられないような社会に、われわれの社会はなりつつあるのである。」


はい。『知的生産の技術』は1969年に新書として発売されております。
何か、しごく真っ当で、正確な大風呂敷を聞かされている気がします。
引用した文のつぎには、こうあります。

「  社会には、大量の情報があふれている。
   社会はまた、すべての人間が情報の生産者である
   ことを期待し、それを前提としてくみたてられてゆく。

   ひとびとは、情報をえて、整理し、かんがえ、
   結論をだし、他の個人にそれを伝達し、行動する。
   それは、程度の差こそあれ、みんながやらなければならいことだ。 」

         ( ~p12 「知的生産の技術」の「はじめに」 )

読み直すたび、あらたに違うことを思い浮かべるのですが、今日は、
引用した最後で、gooの皆さんのブログを思い浮かべておりました。

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「素晴らしき哉、人生」

2022-12-22 | 古典
新聞は、テレビ欄を覗く楽しみ(笑)。

さてっと、今日の午後1時からNHKBSプレミアムで
映画『素晴らしき哉、人生』(字幕)を放映。
うん。この機会に再見。

ハローウィンは、私にはどうもピンとこない。それなら、
年末年始のこの時期なら、クリスマスが思い浮かびます。

うん。『素晴らしき哉、人生』を録画しておくことに。
ということで、この映画のお話。

瀬戸川猛資著「夢想の研究」(早川書房・1993年)からの引用。

「・・唐突に思い出すのは、フランク・キャプラ監督の
 アメリカ映画『素晴らしき哉、人生!』(’46)である。

 人生に絶望して自殺しかけたジェームズ・スチュアートを、
 天国の見習い天使ヘンリー・トラヴァースが
 クリスマスの晩に救いにやって来て、
 
 《 彼が存在しなかったもうひとつの世界 ≫を見せてやる。
 というストーリーのこの作品は、
 『オズの魔法使』と並び称されるアメリカ・ファンタジー映画の古典である。
 同時にまたこれは、西欧の生んだクリスマス映画の最高傑作でもある。
 ・・・・・

 わたしはかねがねこの映画に感嘆していた。
 なんというか、普通の映画の規格をはずれた『すごさ』を感じるのである。

 とくにラストの30分。このめちゃくちゃなフィナーレは、まったくすごい。
 演出とか演技とか映像とかいったものを超えた何かがある。

 あれはいったい何なのだろう?・・・・
 あれは、クリスマスの祖先たる太古の祭りの熱狂のすごさなのだ。

 時間と次元の混乱。
 クリスマス・プレゼントというとてつもない無償の贈り物。
 古い秩序の崩壊と新しい人生の誕生。

 『素晴らしき哉、人生!』は、
 ≪ 死と再生 ≫の祝祭に捧げられた寓話なのである。」( p186~187 )


はい。この言葉を噛みしめながら、録画して映画を再見することに。
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老子の『道(タオ)』

2022-08-23 | 古典
加島祥造訳「タオ 老子」(筑摩書房・2000年)の最初から引用。

  道(タオ)

 これが道だと口で言ったからって
 それは本当の道(タオ)じゃないんだ。
 これがタオだと名づけたって
 それは本物の道じゃないんだ。
 なぜってそれを道だと言ったり
 名づけたりするずっと以前から
 名の無い道(タオ)の領域が
 はるかに広がっていたんだ。

 まずはじめに
 名の無い領域があった。
 その名の無い領域から
 天と地が生まれ、
 天と地のあいだから
 数知れぬ名前が生まれた。
 だから天と地は
 名の有るすべてのものの『母』と言える。

 ところで
 名の有るものには欲がくっつく、そして
 欲がくっつけば、ものの表面しか見えない。
 無欲になって、はじめて
 真のリアリティが見えてくる。

 名の有る領域と
 名の無い領域は、同じ源から出ている、
 名が有ると無いの違いがあるだけなんだ。

 名の有る領域の向うに
 名の無い領域が、
 はるかに広がっている。
 明と暗のまざりあった領域が、
 その向うにも、はるかに広がっている。その向うにも・・・
 入口には
 衆妙の門が立っている、
 森羅万象あらゆるもののくぐる門だ。
 この神秘の門をくぐるとき、ひとは
 本物の Life Force につながるのだ。


ちなみ、PARCO出版・加島祥造訳「タオ」(1992年)があるのですが、
筑摩書房のほうが訳文の推敲がされていて、よりわかりやすく読めます。 
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老子の『徳』

2022-08-22 | 古典
加島祥造著「タオ(道)」筑摩書房・2000年。
帯には「道は無い・・・それが道だ」全訳創造詩とあります。
今回引用するのは第38章徳(テー)

 だいたい私が
 徳と呼ぶのは
 千変万化するタオのエナジーが
 この世で働く時のパワーのことを言うのだ。

 タオのパワーにつながる人は
 いまここに居る自分だけに
 心を集めている。
 ほかの意識は持たないから、
 内側のエナジーはよく流れる。
 これを私は上等の徳と言うんだ。
 世間にいる道徳家と言うのは
 徳を意識して強張(こわば)るから、
 エナジーはよく流れない――
 こういうのを私は下等の徳と言うのさ。

 同じことが日々の行為にも当てはまる。いつも
 意識して行動するだけの人は
 深いエナジーを充分に掬(く)みだせない。
 タオの働きを信じて、
 余計なことをしない人は
 いつしか大きなパワーに乗って、自分の
 生きる意味につながる。
 その人の
 本当の人間感情も
 こういう大きな愛から動く。

 これが正しいからやる、なんてことばかり
 主張する人は
 浅いパワーを振り回しているのさ。
 そして礼儀や世間体や形式ばかり
 守ってる人は、
 こっちがそれに同調しないと
 目を剝いて文句を言い、
 腕まくりして無理強いしたりする。

 言い直すと、世界ははじめ、
 タオ・エナジーの働きを、
 徳として尊んだんだがね。
 それを見失ったあと、 
 人道主義を造りだした。
 それを失うと、
 正義を造りだした。
 正義さえ利(き)なくなると、
 儀礼をはじめた。
 儀礼がみんなの基準になると
 形式ばかり先行して、裏では
 むしり合いがはじまった。
 先を読みとる能力が威張り、
 愚かな競争ばかり盛んになった。

 あの道(タオ)の
 最初のパワーにつながる人は
 上辺(うわべ)の流れを見過ごして平気なんだよ。
 結果が自然に実を結ぶのを
 待っていられる人になる。
 花をすぐ摘み取ろうなんてせずに
 ひとり
 ゆっくりと眺めている人になる。

              ( p104~107 )


はい。この夏は、老子・荘子を読もうと思った。
思ったまま、夏も過ぎようとしております。
 
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