長い文章を読まないので、
たとえば、司馬遼太郎の「風塵抄」などは
喜々として読んでいた方です(笑)。
その「風塵抄」の44「日本的感性」が
そういえば、印象に残っておりました。
こういう時、あまりに短すぎるので
意味を推し量れないうらみはあるのでしたが、
それでも、何か深い指摘をうけたような気がしておりました。
まあ、そんな印象をもっておりましたが、
それが司馬遼太郎・福島靖夫往復書簡
「もうひとつの『風塵抄』」をひらいた時に、
忘れていた、その「日本的感性」に関しての
手紙のやりとりが載っていたのでした。
福島靖夫氏が司馬さんに手紙を書きます。
「司馬先生
手紙でお許しください。
来年一月の『風塵抄』のテーマについて、お願いがあります。」
こうはじまる、手紙の最後を引用します。
「鹿内信隆さんは世界文化賞を大いに自慢しておりますが、
私たちにすれば一文化賞などを超えた、地についた、
しかも地球的視野の文化論を読みたい気分が、
切実にしております。
失礼をかえりみず、あつかましいお願いを申し上げました。」
(p60~61)
日本的感性 1990年1月8日掲載
司馬さんの手紙は
「お手紙のご趣旨の主題で書きました。」
とはじまっております。
それへの福島さんの返事は
「司馬先生
このたびは、ぶしつけなお願いをききいれていただき、
まことにありがとうございました。・・・」
として、感想を書いております。
それに対して司馬さんから折り返し手紙がきます。
「よく読みこんでくださってありがとう。
すこし安心しました。」とはじまり、
その手紙の最後を引用。
「ただ、すべてにおいてダイナミズムに欠けます。
これは、『欠ける』という短所を長所にしてしまったほうが
いいと思うのです。東山魁夷さんの杉の山の絵を、
装飾的、平面的、非人間的ながら、
これこそ絵画だという美学的創見が必要なのです。
そういう評論家がいないというのが問題ですが。」
はい。この箇所も、
気になるけれど、やっぱり私にはわからない(笑)。
わからないままでしたが、
最近、ああ、このことかもしれないという
対談での言葉を読めました。
それはVOICE平成4年3月「山本七平追悼記念号」
のなかの谷沢永一・渡部昇一対談「山本七平を読み切る」
にありました。
谷沢】・・・しかし、それだけではないだろうという
手探りがあったと思います。それで掴んできたのが
『日本資本主義の精神』であり、『勤勉の哲学』です。
あそこには七平さんの、われ発見せり、という喜びがありますね。
・・・・
司馬さんにしろ七平さんにしろ、
戦争中の日本人にとことんうんざりし、
戦後の日本人にとことんうんざりし、
世捨て人になる寸前で体を翻して、
逆に日本人のほんとうの美質を発見してくれた。
・・・・・
戦後、黙して語らず世を去った人はたくさんいますが、
その方々は精神的世捨て人というか、
時代が変れば変るほどますます同じだと思って
戦後の風潮にうんざりした。
そうではなしに、もっと気持を平静に落ち着けて、
じわりじわりと自分で納得のいくように勉強する。
これはたいへんな精神力だと思います。
だから、出てくるものになんともいえない
艶、輝きがありますね。
渡部】 大岡(昇平)さんの小説を読むと
日本人が嫌になるところがありますね。
七平さんの場合は日本人が嫌にならない。
それが、いまもって読まれる理由だと思います。
谷沢】 学問的粉飾に一切こだわらずに書いた。
一種のモノローグなんですよ、山本学は。・・・
(p212)
ここにある
「世捨て人になる寸前で体を翻して・・・」
という箇所が印象として残ります。
たとえば、司馬遼太郎の「風塵抄」などは
喜々として読んでいた方です(笑)。
その「風塵抄」の44「日本的感性」が
そういえば、印象に残っておりました。
こういう時、あまりに短すぎるので
意味を推し量れないうらみはあるのでしたが、
それでも、何か深い指摘をうけたような気がしておりました。
まあ、そんな印象をもっておりましたが、
それが司馬遼太郎・福島靖夫往復書簡
「もうひとつの『風塵抄』」をひらいた時に、
忘れていた、その「日本的感性」に関しての
手紙のやりとりが載っていたのでした。
福島靖夫氏が司馬さんに手紙を書きます。
「司馬先生
手紙でお許しください。
来年一月の『風塵抄』のテーマについて、お願いがあります。」
こうはじまる、手紙の最後を引用します。
「鹿内信隆さんは世界文化賞を大いに自慢しておりますが、
私たちにすれば一文化賞などを超えた、地についた、
しかも地球的視野の文化論を読みたい気分が、
切実にしております。
失礼をかえりみず、あつかましいお願いを申し上げました。」
(p60~61)
日本的感性 1990年1月8日掲載
司馬さんの手紙は
「お手紙のご趣旨の主題で書きました。」
とはじまっております。
それへの福島さんの返事は
「司馬先生
このたびは、ぶしつけなお願いをききいれていただき、
まことにありがとうございました。・・・」
として、感想を書いております。
それに対して司馬さんから折り返し手紙がきます。
「よく読みこんでくださってありがとう。
すこし安心しました。」とはじまり、
その手紙の最後を引用。
「ただ、すべてにおいてダイナミズムに欠けます。
これは、『欠ける』という短所を長所にしてしまったほうが
いいと思うのです。東山魁夷さんの杉の山の絵を、
装飾的、平面的、非人間的ながら、
これこそ絵画だという美学的創見が必要なのです。
そういう評論家がいないというのが問題ですが。」
はい。この箇所も、
気になるけれど、やっぱり私にはわからない(笑)。
わからないままでしたが、
最近、ああ、このことかもしれないという
対談での言葉を読めました。
それはVOICE平成4年3月「山本七平追悼記念号」
のなかの谷沢永一・渡部昇一対談「山本七平を読み切る」
にありました。
谷沢】・・・しかし、それだけではないだろうという
手探りがあったと思います。それで掴んできたのが
『日本資本主義の精神』であり、『勤勉の哲学』です。
あそこには七平さんの、われ発見せり、という喜びがありますね。
・・・・
司馬さんにしろ七平さんにしろ、
戦争中の日本人にとことんうんざりし、
戦後の日本人にとことんうんざりし、
世捨て人になる寸前で体を翻して、
逆に日本人のほんとうの美質を発見してくれた。
・・・・・
戦後、黙して語らず世を去った人はたくさんいますが、
その方々は精神的世捨て人というか、
時代が変れば変るほどますます同じだと思って
戦後の風潮にうんざりした。
そうではなしに、もっと気持を平静に落ち着けて、
じわりじわりと自分で納得のいくように勉強する。
これはたいへんな精神力だと思います。
だから、出てくるものになんともいえない
艶、輝きがありますね。
渡部】 大岡(昇平)さんの小説を読むと
日本人が嫌になるところがありますね。
七平さんの場合は日本人が嫌にならない。
それが、いまもって読まれる理由だと思います。
谷沢】 学問的粉飾に一切こだわらずに書いた。
一種のモノローグなんですよ、山本学は。・・・
(p212)
ここにある
「世捨て人になる寸前で体を翻して・・・」
という箇所が印象として残ります。