和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

司馬さんの「素人の観察ですが」。

2017-08-03 | テレビ
この前、
NHK昼の番組に磯田道史さんが登場しておりました。
いそいで、録画(笑)。
気になった箇所を、再生しながらメモしました。
以下に引用。


「歴史は私好きなんです」とか
「苦手なんです」というけど、
僕、それ違うと思うんですよ。
歴史は、トンカチとかノコギリと同じように
道具であり、実用品なのですよ。
嗜好品ではなく、タバコとか酒とかとは違うんです。

靴とかといっしょなんで、
要するに歴史という靴をはかなければ、
世の中を歩けないと僕は思っている。


うん。いいですね(笑)。
さっそく、私に思い浮かんだのは、
司馬遼太郎さんでした。
司馬遼太郎・福島靖夫往復手紙
『もうひとつの「風塵抄」』(中央公論新社)
そのp277~278
こちらも引用しておきます。


それにしても朝鮮半島人の誇り高さは、
人類のなかでもめずらしいのではないでしょうか。
『朝鮮人(韓国人)は、なぜああも誇り高いのでしょう』
と、井上靖氏にきいたことがあります。
『風濤』のなかの朝鮮漢文の激越さについての話題のときです。
『誇るべき何物ももたないために誇り高いのでしょう』
おだやかなはずの井上靖氏にしては、
息をのむようなきついことばでした。

われわれはニューヨークを歩いていても、
パリにいても、日本文化があるからごく自然に
ふるまうことができます。
もし世阿弥ももたず、光悦、光琳をもたず、
西鶴をもたず、桂離宮をもたず、姫路城をもたず、
源氏物語をもたず法隆寺をもたず
幕藩体制史をもたなかったとしたら、
われわれはオチオチ世界を歩けないでしょう。



こうして、読み直していたら、
北朝鮮のミサイルについて、
司馬さんが言及なさっております。
次に、その箇所も引用を続けます。


・・・・それにしても、
韓国・朝鮮史の空虚さは、悲惨ですね、
六百年、朱子学の一価値しかなかったための空虚
だったと思います。個々にはすぐれた人が多いのに、
いまでも、社会的な発表となると、反日一本ヤリです。
朱子学一価値時代とかわりがないように思います。
(北朝鮮のミサイルと核は、
八、九十%までできているのではないでしょうか。
問題は、燃料ではないかと思います。
その製造法に難があること。
また大量に石油が要ること。
その石油のパイプを中国が締めていること、
ではないでしょうか。素人の観察ですが。)


コメント
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